信州塩尻発 田舎暮らし日記

生まれも育ちも埼玉県飯能市。現在は移住して長野県塩尻市民です。 田舎暮らしや趣味の事、居合道の事等々を書いております。

台風19号

2019年10月15日 | 雑記



台風が通った地域にお住いの皆様は、ご自身や家族、住居等への被害は大丈夫だったでしょうか?

日を追うごとに犠牲になられた方や行方不明の方が増えて、非常に無念であります。

災害に強いはずの長野県ですら甚大な被害を受けましたし、埼玉の実家のも川が氾濫しそうになったため避難指示が出て、小学校や神社の社務所へ避難したとの事でした。

幸いにも塩尻市はいわゆるATフィールド…アルプス(A)による台風(T)フィールドが今回も発動し、ちょっと風が強い雨程度で済みましたが、東日本のほぼ全域で重大な被害をもたらす災害になるとは、何ともいたたまれない気持ちです。

首都圏から長野県への交通網も、国道20号線、中央道、上信越道、中央線などが通行できず、早く復旧してくれることを願うばかりです。

ここ数年、あらゆる地域で水害ばかり発生しているように感じますが、山岳国家である日本の有効土地は川の流域が主なため、近年の豪雨や大きな台風はどうすることも出来ないですね…。
自然と上手く共存する…どんなに治水工事等を施しても人間の力には限度がありますから、なかなか難しいものです。

とはいえ、かつてマスコミや民主党政権が要らないと唱えていた八ッ場ダムが試験中にも関わらず、良い働きをしたらしいですね。
砂浜の減少や鮎の冷水病、莫大な工事費や環境への負荷などのデメリットもありますが、こうした時にダムの治水能力が有効であることも理解しておくべきですね。

平成最後の日にもらい事故

2019年05月25日 | 雑記


 



10連休中の埼玉への帰省は、甲州街道をひた走って行こうと思い、自宅から国道20号線を上って行ったのですが、高尾や八王子周辺での渋滞が予想されたので、上野原から甲武トンネルを抜けて檜原村経由で実家の飯能までとコースを計画しておりました。
 
甲武トンネルは、学生の頃にツーリングと檜原村の森林浴を楽しんだコースで、奥多摩周遊道路なども、奥多摩ダムを眼下に見ながら走れるので、結構好きなコースでした。
 
ちょうど棡原の小菅方面と檜原方面へ別れる交差点を過ぎ、幅員が狭くなりブラインドの右カーブだったので、左に寄りつつ減速して進入し、カーブの先が見えた辺りの時、坂を下ってくる対向車が目に入ったのですが、かなりの勢いでこっちに突っ込んできて、カーブで曲がる様子もなく一直線でこっちに…
「マズい!」と思った瞬間には、自分の車の正面ちょい右に対向車が。
 






 
衝突寸前は、動きがスローモーションになったので、何とか受身を取って衝撃に備え。
真正面で衝突したら、エアバッグが作動して自分も顔面強打等をする危険があったでしょうが、幸いオフセットで当たったため、エアバッグが作動せずに済みました。
 
それにしても、対向車はぶつかった時既にエアバッグが作動してますね。凄い速さで作動するものなんですね。
ガラスに頭をぶつけてから作動するんじゃ何の意味もないので、当然といえば当然ですが。
 
マッハGoGoGoのように空を飛ぶ仕様は無い愛車なので、逃げきれない状況であったものの、当たり所が良かったのは不幸中の幸いだったと思います。
もう少し後ろのキャビン脇腹から突っ込まれたら、自分も重度な脳震盪等を起こしてかつ閉じ込められたりと、ヤバかったでしょう。
 
衝突直後に直ちにギアをPレンジに入れて電源ボタンを切り、ドアも固いながら開いたので車外に出て怒鳴りつけてやろうと思ったのですが、対向車の運転手は左目から血を流し、ハンドルに顔をぶつけて呻いている様子。
急いで119番をして救急車を要請しました。
事故発生から救急隊への通報まで1分以内に行っていたのは、我ながら関心です。
 
この時、消防署の人から「この電話はすぐ繋がるようにしてください」と確かに言われていましたが、対向車が道を塞いでいたので、ふと110番に通報して警察官を呼んでしまい、その間にも消防署から何件か着信があり、消防署の方から注意を受けてしまいました。
この場合、110番は近くにいた目撃者や周囲の人などにお願いすれば良かったと反省するところです。
ひとまずは人命…救急隊との連絡を最優先すべきでしたね。
 
対向車の18歳の運転手は目から流血があり、膝の皿も露出しているなど、怪我の程度が酷かったので、まずは聞けるだけ名前や年齢などの個人情報や痛いところ等を聞き出して、怪我の箇所には気が行かないようにし、あとは意識が飛ばないようにとにかく話しかけて救急隊の到着を待っておりました。
 
人間は骨が露出しているなど、自分の重度な怪我の状態を見ただけでもショック死する場合があると、かつて教育隊の教官から聞いたことがあります。
だからこそ、精神力を徹底的に鍛えた日本の兵士は日露戦争や大東亜戦争の際に強かったのですね。
 
少ししたら救急車が来て、対向車の運転手は収容、搬送されて行き、自分はお巡りさんへの説明や撮影をして、レッカー屋さんが来るのを待ってました。
 
その間に保険会社や対向車の運転手の親御さんと話をしました。
 
自分の車を積載してもらったら、八王子方面に行くということで、途中の武蔵五日市駅までレッカー車に乗せて行ってもらい、武蔵五日市駅には父親が迎えに来てくれたので、青梅の整形外科医に診てもらい、診断書を書いて頂きました。
 
腰椎捻挫と頚椎捻挫…つまりむち打ちで、全治2週間ということでした。
実際には3ヶ月や半年…場合によっては5年などと完治するまでかかるようですが、むち打ちは便宜上全治2週間なんだそうな。
 
事故直後は何とも無かったですが、やはり話で聞く通り、少し時間が経つにつれて首の後ろや腰が痛くなってきましたし、翌日起きた時に、首と肩と腰が寝違えた時の数倍痛いし動かない…。
買い物へ行っても、学生の頃に徹夜してレポートを書いて、一睡もせずに大学へ行く時のような、目は醒めているけど、頭がボーッとするような嫌な感じがしました。
 
また、衝突した瞬間に後頭部を天井にぶつけていたようですが、病院の待合室の待ち時間でくつろいでいる時に痛みを感じるまで、事故直後から気付いておりませんでしたし、レントゲンでは分かりませんでしたが、右の肋骨にヒビが入ったようなジリジリ来るような嫌な痛みがあるのですが、それも待合室で待機している時まで、全く気付きませんでした。
 
コレについても、一つ反省…ある程度事故が片付いた辺りで、救急車の第二出動の依頼をした方が良かったかもしれないですね。
お巡りさんにも救急車を呼ぶか聞かれておりましたが。
今回は今のところ痛いという程度ですが、万が一内臓とか脳等に実は問題が生じていた場合、特に連休中ということもあって休診の病院が多く、途中で倒れたとか激痛が走ったとなってからでは遅かったですからね。
やはり事故の場合は、擦り傷など無い状態でも救急で行った方が良かったかもしれません。
 
相手方の運転手は免許取立ての未成年だったので、車に乗るのが楽しくて仕方がなく、若気の至り…ということも、分からなくは無いのですが、やはりやってしまったことの重大さは猛省してもらいたいです。
 
普通自動車第一種運転免許は、今の時代誰でも持っている資格です。スピードを出すだけだったら赤ん坊や猿でも出来ますが、安全に配慮した運転をするための知識や技術があると国が認めたから貰えた資格です。
その信認を反故にすることは当然許されることではないですし、一歩間違えば自分の生命のみならず、他者を死傷させたり財産を壊す凶器、兵器になるものですから、その自覚を加害者には再度認識してもらいたいです。
違反点数や免許停止等の行政処分のほか、今回のような人身事故になってしまった場合、自動車運転過失致傷罪などの刑事処分が課される等の責任を負うことも自覚しないといけないですね。
 
今回潰されてしまった自分の愛車も…今のホワイト企業に再就職できたことと、ブラック企業と裁判をして勝てたことを記念して新車を買おうと思い、購入したものです。
交通事故を経験した仲間のアドバイスもあって、安全性が高く、釣りや居合道の遠征などでも不便無く愉しく乗れるスバルのフォレスターにしようと決めました。
 
仕事から帰ってから毎日カタログと睨めっこをして自分の好きなカラーや装備を選び、水平対向エンジン40周年記念として設定された特別仕様車だったので、シートもアルカンターラで長時間座っていても蒸れず、凄く気に入っていました。

予算を相当オーバーして、もちろんキャッシュでは買えないのでローンを組みましたが、昨年他界してしまった祖母が、生前に「車買う足しにしな」とくれたお金を頭金にもしました。
初の鉄工や設備の仕事でしたが、愛車のために頑張ろうとか、今度はどこへ行こうかと、仕事の張り合いにもなっていました。
ちょうど今回埼玉へ帰省して帰れば4万キロになるだろうと思っていましたが、2年2ヶ月の間に、河津桜を見に行ったことを皮切りに、新潟や富山、東京の大会、飛騨高山や山形県での地区講習会、茨城県での全日本大会など、疲れ知らずで乗ってて愉しい車でした。
今回の帰省でも、ちょうど元号が変わるから、実家に車を置いて学生の時以来久しぶりに会う仲間と皇居へ行ってみようかとか、秩父で釣りをしたり、鉱物採集をしようか等と思っていましたが、予定は何も出来ず…

単にガソリンを使ったうえで車を潰され、埼玉での予定は何も出来ず、長野県へ帰ってきてからも、天気が良いのに首、肩、腰、右肋が痛いうえにボーッとするし、時に船酔いみたいな揺れがあるしで、せっかくの超大型連休も最初の3日しか楽しめませんでした。

さらに、うちの道場の稽古も休みにさせてもらい、お弟子さん達に迷惑もかかりましたし、来週の稽古会や来月の学生居合道大会新人戦の審判も不可能になってしまいました。
今日と明日に新潟で行われる、東北日本居合道大会には参加を断念せざるを得ず、来月の石川県での居合道地区講習会も参加出来るか分からないです。

7月の長野県大会を昨年に引き続き今年も頑張って優勝できれば、高知県で開催される全日本居合道大会の県代表として出られると思っていましたが、如何せん日常生活でも恥ずかしい程に具合が悪いので、ひとまず居合道は置いておいて、完治に努めないとですね。
むち打ちの怖さは、話では聞いていましたが、今まで他人事だったので大袈裟のように思っていましたが、いざ自分がなると聞いた話の通りでしたね。
そりゃ鉄の塊が時速数十キロで衝突するのですから、人間なんてマトモではいられないですよね。

一瞬の気の緩みや魔が差し、スピードを出したり、ながらスマホで運転したり、近年問題になっている煽り運転をして他人を巻き込んだ場合、当然相手にも相手自身の体、愛車、家族、財産、予定、仕事などのかけがえのないものに大損害を与えてしまうのです。
相手方の車のタイヤを見たら、普通路面では滑りやすいスタッドレスタイヤでしたし、溝が消えていたので、ハンドルが効くはずも無いですよね。

相手運転手が事故直後に「ブレーキをかけたけど間に合わなかった」「ハンドルを切ったけど曲がらなかった」「あまりスピードは出していない」と言い訳しておりましたが、近所に住む目撃者や通りすがりの方達も「カーブは遅いのに直線ではスピードを出す直線番長だった」とか「あの小僧だったらいつかやると思ってた」と話してくれましたが、今回の事故は起こるべくして起こったものですし、そんな運転手に当てられたこっちは、本当にたまったものじゃないですよね。
あの感じだったら、またいつかやるだろうと思いますし、今度こそ人をはねたり、本人が死亡するような大事故になってしまうと懸念しております。
車に興味が無い人であっても業者に頼むなどして、ちゃんと定期的に点検し、走行や安全性に支障がないようにもすべきですね。

 
とりあえずは、対向車の運転手は、何より失明などを心配していましたが、視力には異常がないと親御さんから連絡があり、一安心です。
 
とはいえ、今回自分は現場をあと10秒通過時間が前後していたか、国道20号線で渋滞に巻き込まれていれば、自分と愛車に被害はなく、相手運転手の単独事故で済んだことでありましたが、レッカー待ちの時に現場周辺を見てたり、家で写真やドラレコ、Googleマップなどを見て検証していたら、加害者の兄ちゃんの単独事故だった場合、カーブ外側の谷に落ちるか、前の民家に突入して家の人を巻き込むか、その手前の電柱と低い樹木に突撃してクワガタ…いずれも最悪の状況になっていたことが容易に想像つく大事故になっていたので、まだ自分の車と衝突して良かったですね。
 
そして、お巡りさんやレスキュー隊、レッカー屋さんも、現場をみて「よくこれだけの事故で死亡事故にならずに済んだね!」とか、「スバルの車がこれだけ損傷しているって相当な勢いで突っ込んで来たんだね!」と、驚いていましたが、「スバルの特にフォレスターは強いんですよね。」と交通鑑識のお巡りさんが話しており、やはりこの車を選んで良かったと思いました。
このような事故を経験すると、やはり軽自動車の危険性はよく分かりましたし、次に乗る車もスバルのフォレスターにしようと感じました。
といいますか、仕事で軽トラに乗る時はたまにあるので、一層注意して乗りたいところですが、この事故写真を見ると、軽自動車はもはや「走る棺桶」ですね。
プライベートでは絶対に乗りたくないです。
 
そして、逆に自分が加害者になり、もっと最悪な事故になる場合も有り得るのが交通事故ですから、今回は完全に被害者でしたが、もちろん他人事ではなく、今回の事故を自身の教訓として、より安全、安心な車選び、運転の知識や技術を考え、実践したいと改めて思うところです。
 
ちなみに、今回の事故については過失割合が10:0ということで、こちらには一切過失が発生しませんでした。
どんなに非がない事故であっても、動いていれば理不尽に過失割合が発生すると聞いていたので、9:1や8:2だと思っておりましたが、反対車線に飛び出て衝突した時や今回のように、センターラインが無くても反対側へ出て衝突した場合は10:0になるそうです。
また、他に動いている時であっても、信号がある交差点で青信号を直進中、赤信号を無視して横から車が突っ込んできたという場合も10:0になるそうです。
 
かつて学生の時に原付を運転中、巻き込み確認とウインカーを出すことを怠った左折車に巻き込まれたことがあり、その時は保険会社に事故状況を紙へ書いて説明し…と、とても面倒でしたが、今回はドライブレコーダーの映像を相手の保険会社へメールで送り、翌日には過失割合について連絡が来たので、動かぬ証拠になることのほか、手間を省けたこともあり、本当にドラレコを装備して良かったです。
転ばぬ先の杖、論より証拠と言いますから。
 
ここ中信地区では穂高神社が交通安全のご利益があるということで、納車した後も毎年穂高神社御札を受けて取り付けておりますが、それでも事故に巻き込まれ…不幸中の幸いで済んだのも穂高神社のご利益だとプラスに考えましょう。
 
重いものが持てず仕事にも支障が出て、連休はもちろん、土日にはどこへも行けず、本当にいい迷惑です。
しかも釣りや山菜採りの一番楽しい時期にこのザマ。
事故調書の時には「厳罰を望みもしないですが、処罰をしないということも、本人のためにならないので、お巡りさんの方針に任せます」と話しましたが、ここまで生活に支障が出ると「厳罰を望みます」と言えば良かったかなと思う時もあります。
いわゆる「被害者の被害感情および処罰感情は峻烈」というやつですね。
 
兎にも角にも、完治できるように努めたいと思います。

You don't waste no time at all!

2019年04月27日 | 雑記


「ボヘミアン・ラプソディ」のブルーレイを買ってしまいました。
映画館へ2回見に行きましたが、また見たくなりました。
コレでディスクが壊れるまで観ることが出来ます。

10連休に突入したものの、小さい予定がちょこちょこ入っているため、遠出して釣り…は出来ないので、TSUTAYAでボヘミアン・ラプソディをレンタルしようと思い出掛けたのですが…

またどうせ見たくなり、ちょこちょこレンタルしてレンタル代を払うのだったら買っても変わらないような気がしたので、買っちゃいました。









ポストカードも特典になっていて嬉しいですね。

そして何より、ライブ・エイドの完全版が収録されているのも良いです。

ヘッドホンをして爆音で聴いて一人盛り上がっておりますが、5.1chサラウンドシステムが欲しいです。
アパートじゃご近所トラブルになってダメか…

フレディーがエイズであることを仲間に打ち明けたシーンは、ストーリーが分かっている今でも目頭が熱くなります。

当時は打つ手がなく死を待つのみだったエイズにかかったフレディーを、仲間が称えて共に涙する友情の美しさを感じましたし、その後のライブ・エイドのシーンで最も盛り上がった「Hammer to fall」の歌詞の一部「You dont waste no time at all」が残り時間が短いフレディーから、今を生きる人々に対する強いメッセージに感じてなりませんでした。

個人的に「Hammer to fall」がQueenの楽曲の中で一番好きな曲ということもありますが。

ゲームや娯楽が全て悪いとは言いませんが、広い宇宙で奇跡的に誕生した生命体のうち、さらに奇跡的に最も知能が発達した人間として生まれて来たのだったら、やはり知的活動に限りある時間を使いたいと思いますし、そもそも生半可に生きたくないですね。


今は発症を抑えられたり、間もなくエイズウイルスを消滅させることが出来る薬も開発されると言われておりますが、あと2,30年早く医学が進歩しており、フレディーが生きていたら、もっと多くの作品が出来ていたのだろうと思うと残念でなりません。
が、むしろタイムリミットがあるからこそ、最後の力を振り絞ってここまでの伝説になれたのかもしれないですし、兎にも角にも一人の人間の生き様が、こうして映画になるなんて凄いことですよね。

嗚呼 華の三十代

2019年03月01日 | 雑記


お陰様で生きながらえて30歳を迎える事が出来ました。

学生の頃から三十代前半と間違われており、最近でも32~35歳くらいと言われているため、年々見た目と実年齢のギャップが埋まってきました。

三十代としての自覚や立ち振舞い等と云った堅苦しい事は抜きにして、二十代と変わったこととしては食事の量が減った事でありますが、一日ご飯を4合半~6合くらいは余裕で食べられていた時に対して、今は1日3合半くらい…といったところなので、減って当然といいますか、むしろもっと減らさないと糖尿病待った無しでしょうか?


立志尚特異
俗流與議難
不思身後業
且偸目前安
百年一瞬耳
君子勿素餐

志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思い煩うな
目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすこと勿れ

吉田松陰先生が弟子の山田市之允に贈った言葉ですが、学生時代にゼミの教授と伊豆下田へ松陰先生の足跡を訪ねた際、先生から教わりました。
それ以降、この言葉を胸に二十代を邁進して参りました。

とはいえ、二十代は新卒で入った会社がブラック企業だったり、その後ワーキングプアになったりと、本当に失敗だらけの十年でもありました。
しかしながら、その都度多くの方々の助力を賜り、それと同じだけ良い経験、教訓も得ることが出来、感謝が堪えません。

そして、國士舘大學居合道部に入部した時に一つの目標としていた「二十代で居合道五段に合格し、全日本へ行く」という29歳、一度きりのチャンスも、お陰様で得る事が出来ました。

三十代では失敗少なく過ごしたいものですが、されど失敗を恐れずに挑戦する気魄は忘れず、一層邁進して参りたいと思う所存です。

失敗はある意味慣れてしまいましたが、何より失敗した後、如何に立ち振る舞うかが肝要であることを二十代で学べた事は、自分にとって非常に大きな収穫だったと思います。

まさに国士舘大学で学んだ不断の読書、体験、反省を実践、思索し、誠意、勤労、見識、気魄を備える国士たる教錬であり、活学なのだろうと感じる所です。

皆様に於かれましては、今後とも宜しく御願い申し上げます。

ブログ再開します。

2017年03月05日 | 雑記
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約6年間放置していたので、このブログを削除しようかと思っていたのですが、直近で更新した日が2011年3月11日の未明。

まさか、その日の昼に東日本大震災が起きるとは想像もしていなかった時に更新していたのでありました。

ひとまず、記事はごく僅かでしたが、タイムカプセルのようになっていたこのブログを、このまま時折更新していこうと思った次第です。

最後に更新した当時は、まだ町田市在住の大学生で、就職を控えている頃でしたが、震災によりパシフィコ横浜で行われるはずだった卒業式は中止。

行き当たりばったりで考えていた独り卒業旅行も中止。

長野県は塩尻市へ引越す前に色々とやっておこうと思ったことをやり残したまま、学生生活を終えることになってしまいました。

そして新卒で入った就職先(一応内閣府認定の公益財団法人だったのですが)はまさかのブラック企業で、3年と少し勤めたものの体調を崩して辞め、残業代や慰謝料等を求めて裁判を提起し、勝利を得る事が出来ました。
その間、自分の精神疾患と母の急逝などがあった、人生最悪の厄年があり・・・
そんな更新していなかった6年間なのでありました。


病んでいた頃、実家へ戻ろうかと思った事や自ら命を絶とうとした事もありましたが、地縁も血縁も無い長野県塩尻市で出会うことが出来た多くの方々の支えで、今もこうして塩尻市で生活しております。


移住に夢を抱いている方の助けになるものかわかりませんが、少しでもここ長野県独自の面白い物事、悪口にならない程度のぶっちゃけた話を、釣り好き(山登りやバイクも好きでしたが、最近は全く…)な私が独断と偏見で書く超主観的なブログになると思います。

これからが川釣りのシーズンなので、あまり更新しないかもしれませんが・・・。

悪しからず…

宜しくお願いします。