Kitano Tenmangu Shrine, Kamigyo Ward, Kyoto City
さてさて、ワタクシ達は京都市上京区の北野天満宮を参拝していたのですが、
言うまでもなく全国に数多ある天満宮に祀られているのは菅原道真ですよね。
道真は幼少の頃から神童と呼ばれるほど頭脳明晰だったようで、国の難関試験に若くして次々に合格していきます。
また人間的にも清廉潔白で、多くの人に慕われていたというような記録が残っています。
一方、乗馬や弓なども非常に秀でていたようで、今でいえば「文武両道」というような人物だったのですね。
ワタクシのように「文」も「武」も大したことがない人間にしてみると、羨ましい限りです。
道真は宇多天皇に重用され、従二位右大臣の位につきますから、閣僚のNo.2にまで出世したということですね。
道真が残した業績で有名なのは「遣唐使の廃止」ではないでしょうか。
9世紀末、唐は国が乱れてきており、道真は高い国費を使い、危険な道中を鑑みても、
わざわざ唐まで優秀な若い人材を派遣する価値は無いと考えたのですね。
このことが結果的には、中国の影響を受けない日本独自の文化を生み出して行くことになるわけです。
ただ、「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、あまりにも優秀な道真は当時の最大の権力者であった藤原氏から
激しい嫉妬を受けるのですね。藤原時平たちが醍醐天皇に、根も葉もない悪い噂を吹き込むんですな。
その噂を信じてしまった醍醐天皇の逆鱗に触れ、道真は福岡の太宰府に左遷させられるんですね。
悲しみにくれる道真が「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という句を詠んだのは有名ですが、
道真は幼少の頃から梅の花を愛し、菅原家の家紋も梅の花だったそうです。
ですので、天満宮には必ず梅の花が植えられています。写真に写っている木も梅の木ですし、
ここ北野天満宮には見事な梅林があるんですよ。
また天満宮に必ず祀られているのが牛なんです。これは道真が丑年生まれであったということと、
菅原道真の遺骸を載せた車を引く牛がとあるところで座り込んで動かなくなってしまいました。
鞭でたたいても押しても全く牛は動こうとしないので、菅原道真はこの牛が動かなくなった場所を
自分の墓地としたいのだと周りの人は考え、そこを墓地と定めたという逸話が残っているからなんです。
ですので、天満宮の牛は立っているのではなく必ず座っているんですね。
ではでは、そろそろ天満宮を後にして、次の目的地へと向かうとしましょうかね。
使用したカメラ:3、5、6枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
いつの時代でも、優秀な人材というのは恨みや妬みを買うものですね。
そう考えれば、私のような凡人は他人から恨まれたり妬まれたりすることもないので、幸せなのかもしれません。
その代わり、大きな成功や富を得ることも無いのでしょうが。
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さてさて、ワタクシ達は京都市上京区の北野天満宮を参拝していたのですが、
言うまでもなく全国に数多ある天満宮に祀られているのは菅原道真ですよね。
道真は幼少の頃から神童と呼ばれるほど頭脳明晰だったようで、国の難関試験に若くして次々に合格していきます。
また人間的にも清廉潔白で、多くの人に慕われていたというような記録が残っています。
一方、乗馬や弓なども非常に秀でていたようで、今でいえば「文武両道」というような人物だったのですね。
ワタクシのように「文」も「武」も大したことがない人間にしてみると、羨ましい限りです。
道真は宇多天皇に重用され、従二位右大臣の位につきますから、閣僚のNo.2にまで出世したということですね。
道真が残した業績で有名なのは「遣唐使の廃止」ではないでしょうか。
9世紀末、唐は国が乱れてきており、道真は高い国費を使い、危険な道中を鑑みても、
わざわざ唐まで優秀な若い人材を派遣する価値は無いと考えたのですね。
このことが結果的には、中国の影響を受けない日本独自の文化を生み出して行くことになるわけです。
ただ、「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、あまりにも優秀な道真は当時の最大の権力者であった藤原氏から
激しい嫉妬を受けるのですね。藤原時平たちが醍醐天皇に、根も葉もない悪い噂を吹き込むんですな。
その噂を信じてしまった醍醐天皇の逆鱗に触れ、道真は福岡の太宰府に左遷させられるんですね。
悲しみにくれる道真が「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という句を詠んだのは有名ですが、
道真は幼少の頃から梅の花を愛し、菅原家の家紋も梅の花だったそうです。
ですので、天満宮には必ず梅の花が植えられています。写真に写っている木も梅の木ですし、
ここ北野天満宮には見事な梅林があるんですよ。
また天満宮に必ず祀られているのが牛なんです。これは道真が丑年生まれであったということと、
菅原道真の遺骸を載せた車を引く牛がとあるところで座り込んで動かなくなってしまいました。
鞭でたたいても押しても全く牛は動こうとしないので、菅原道真はこの牛が動かなくなった場所を
自分の墓地としたいのだと周りの人は考え、そこを墓地と定めたという逸話が残っているからなんです。
ですので、天満宮の牛は立っているのではなく必ず座っているんですね。
ではでは、そろそろ天満宮を後にして、次の目的地へと向かうとしましょうかね。
使用したカメラ:3、5、6枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
いつの時代でも、優秀な人材というのは恨みや妬みを買うものですね。
そう考えれば、私のような凡人は他人から恨まれたり妬まれたりすることもないので、幸せなのかもしれません。
その代わり、大きな成功や富を得ることも無いのでしょうが。
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和歌山の天満宮にも牛が祀られています。
しかし地面に座っていなく、石台の上に
祀られていたように思うのですが、次に
行った時に確認してきます。
道真が太宰府に着くと京都から太宰府まで梅が飛んで行ったという言い伝えには泣けました。
。。頭の良しあしではなくても
そうなる可能性はありますね
身近にいたので痛く感じます
重要なポストは全て藤原氏の息がかかった
人材が配置されてたので
やりたい放題政治も経済も乱れてた
談合、賄賂、横領などなど
やりたい放題だった時代
有能でこの図式を壊そうとする人材は
嫌われた事でしょう。
藤原道真は悪い人間だと言う資料も多くあるので
想像を超えた嫌がらせを受けて居たんだろうな。
応援!
藤阪が合併してできた旧菅原
村。お互いどちらの名前も名
乗らないと意地を張る村の衆
に、なんのどちらの村にも天
神さんがいるじゃねえかと知
恵つけた人がおり?スガワラ
を名乗ることとなりました。
が、内務省への届け出以外、
永年我が国では公文書や表記
にルビを振る文化がなかった
ため、戦後に至り改めてロー
マ字やルビを振る段になって、
異文化が混入?し、今日では
スガワラとスガハラがごっち
ゃに。天神さんはスガハラノ
ミチザネじゃないのにね。
なので、道真公には思い入れがあるのですよ。
京都に行ったら、ここは欠かせません。
応援☆
遣唐使の廃止、白紙(894年)に戻すで覚えましたね。
そして、梅といえば、
加賀藩前田家の家紋も梅(梅鉢)で
菅原道真が祖先だからということです。
真偽のほどはわかりませんが…。
それはそうと…
どのお写真もカットが素敵ですね。
天満宮の魅力を楽しませていただきました。
ぽち!
一番の名所といわれる太宰府ですが
梅見処です。
道真公の和歌などたくさんありますが
どれも嘆いた句ばかりです。
余程、博多に左遷されたことが
辛かったようですね〜☆
あまりに優秀なので、杭を打たれたんですね~。
太宰府天満宮は、さだまさしさんの歌に
感銘を受けて、行った事があります。
北野天満宮は、子供の頃に行ったかな。
道真の事を、もう少し知ってれば、もっと
楽しめたんでしょうね。
勉強不足です。
凸
北野さんはいい雰囲気ですね
太宰府天満宮は行きましたががっかり
しました、やっぱり京都がいいですわ
ぽち!!