藤枝から島田の宿場まで歩いたのは4月10日のことでした。
4月14日、島田宿から大井川を越えて金谷宿まで歩きました。
島田宿の西木戸にある大井神社。
その名前は865年の書物にすでに記載されています。
大井川の水害から守ってもらうために建立された社で、水、土、日の三女神を祀っています。
3年に一度行われる大祭は「島田の帯祭り」。日本三大奇祭の一つです。

大井神社から大井川に向かって歩いて行くと、交差点のところに大善寺があります。
この寺院にある鐘は「時の鐘」と呼ばれ、大井川の川越人足たちがこの鐘の音で時を知ったそうです。

川越遺跡に向かって行くと、工場の塀のところに、旧東海道の道標がありました。
島田宿と書かれています。島田にはこの道標がたくさん立てられています。

川越遺跡の様子です。
右手に見える古民家は島田市博物館分館で、民俗資料館になっています。


川会所跡です。
安倍川を渡るときもありましたね。(交番になっていました)
こちらの川会所は別の場所にあったのを、ここに移転し、川越の資料を展示しています。

旧東海道道標と、島田市博物館です。
博物館には、川越の資料、江戸時代の旅、旅籠の資料などが展示されています。

大井川の川越は、徒歩渡し(かちわたし)制度が採られていました。
江戸時代、川に橋を架けることは政策上禁止されていました。
多くの川は船で渡っていましたが、戦略的に重要だと思われる川は、徒歩渡しとなっていました。
もっとも、由比川など、小さな川は川会所もなく、川越の人足もいなくて、
旅人各自が勝手に歩いて渡るようになっていました。
東海道では9ヶ所の川が、川越人足の居る徒歩渡しでした。
その内、静岡県内の徒歩渡しの川は以下の6ヶ所です。
興津川、庵原川、安倍川、朝比奈川、瀬戸川、大井川。
徒歩渡しの川でも、冬には仮の橋が架けられ、旅人の便宜が図られていました。
しかし大井川は冬でも橋が架けられることはありませんでした。
多くの人は冬に旅することが多かったそうです。
大井川のほとりに立つ道標。
後に立っている石碑「永仰景迹」と書かれていますが、意味とか謂れとかはわかりませんでした。

いよいよ大井川を渡ります。
車道とは分けて歩道橋が架けられています。



大井川を渡った先は金谷です。
金谷の川越遺跡は公園になっていました。

公園横の橋には、川越の様子のレリーフが。


大井川鉄道新金谷駅の裏手の方に、宅円庵があります。
ここに、日本左衛門の首塚があります。
歌舞伎、白浪五人男の日本駄右衛門のモデルになった盗賊です。

金谷宿には本陣が3軒ありました。河村(柏屋)、佐塚、山田の3軒です。
このうちの佐塚家は、今も同じ場所に住んでいます。


さらに進むと、金谷一里塚があります。
旧東海道はこのガードをくぐっていきます。
上に停車中の電車は大井川鉄道の金谷駅です。

今回はここで終わります。
次回は石畳の坂を越え、悲しい母子の伝説の残る小夜の中山を越えます。
4月14日、島田宿から大井川を越えて金谷宿まで歩きました。
その名前は865年の書物にすでに記載されています。
大井川の水害から守ってもらうために建立された社で、水、土、日の三女神を祀っています。
3年に一度行われる大祭は「島田の帯祭り」。日本三大奇祭の一つです。

大井神社から大井川に向かって歩いて行くと、交差点のところに大善寺があります。
この寺院にある鐘は「時の鐘」と呼ばれ、大井川の川越人足たちがこの鐘の音で時を知ったそうです。

川越遺跡に向かって行くと、工場の塀のところに、旧東海道の道標がありました。
島田宿と書かれています。島田にはこの道標がたくさん立てられています。

川越遺跡の様子です。
右手に見える古民家は島田市博物館分館で、民俗資料館になっています。


川会所跡です。
安倍川を渡るときもありましたね。(交番になっていました)
こちらの川会所は別の場所にあったのを、ここに移転し、川越の資料を展示しています。

旧東海道道標と、島田市博物館です。
博物館には、川越の資料、江戸時代の旅、旅籠の資料などが展示されています。

大井川の川越は、徒歩渡し(かちわたし)制度が採られていました。
江戸時代、川に橋を架けることは政策上禁止されていました。
多くの川は船で渡っていましたが、戦略的に重要だと思われる川は、徒歩渡しとなっていました。
もっとも、由比川など、小さな川は川会所もなく、川越の人足もいなくて、
旅人各自が勝手に歩いて渡るようになっていました。
東海道では9ヶ所の川が、川越人足の居る徒歩渡しでした。
その内、静岡県内の徒歩渡しの川は以下の6ヶ所です。
興津川、庵原川、安倍川、朝比奈川、瀬戸川、大井川。
徒歩渡しの川でも、冬には仮の橋が架けられ、旅人の便宜が図られていました。
しかし大井川は冬でも橋が架けられることはありませんでした。
多くの人は冬に旅することが多かったそうです。
大井川のほとりに立つ道標。
後に立っている石碑「永仰景迹」と書かれていますが、意味とか謂れとかはわかりませんでした。

いよいよ大井川を渡ります。
車道とは分けて歩道橋が架けられています。



大井川を渡った先は金谷です。
金谷の川越遺跡は公園になっていました。

公園横の橋には、川越の様子のレリーフが。


大井川鉄道新金谷駅の裏手の方に、宅円庵があります。
ここに、日本左衛門の首塚があります。
歌舞伎、白浪五人男の日本駄右衛門のモデルになった盗賊です。

金谷宿には本陣が3軒ありました。河村(柏屋)、佐塚、山田の3軒です。
このうちの佐塚家は、今も同じ場所に住んでいます。


さらに進むと、金谷一里塚があります。
旧東海道はこのガードをくぐっていきます。
上に停車中の電車は大井川鉄道の金谷駅です。

今回はここで終わります。
次回は石畳の坂を越え、悲しい母子の伝説の残る小夜の中山を越えます。
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