セレヤの山の下で

静岡県内の小さな旅、植物などを紹介しています。

島田宿から大井川を越えて金谷宿へ/旧東海道の旅

2011年05月01日 | 旅、ウォーキング
藤枝から島田の宿場まで歩いたのは4月10日のことでした。
4月14日、島田宿から大井川を越えて金谷宿まで歩きました。



島田宿の西木戸にある大井神社。
その名前は865年の書物にすでに記載されています。
大井川の水害から守ってもらうために建立された社で、水、土、日の三女神を祀っています。
3年に一度行われる大祭は「島田の帯祭り」。日本三大奇祭の一つです。




大井神社から大井川に向かって歩いて行くと、交差点のところに大善寺があります。
この寺院にある鐘は「時の鐘」と呼ばれ、大井川の川越人足たちがこの鐘の音で時を知ったそうです。




川越遺跡に向かって行くと、工場の塀のところに、旧東海道の道標がありました。
島田宿と書かれています。島田にはこの道標がたくさん立てられています。




川越遺跡の様子です。
右手に見える古民家は島田市博物館分館で、民俗資料館になっています。






川会所跡です。
安倍川を渡るときもありましたね。(交番になっていました)
こちらの川会所は別の場所にあったのを、ここに移転し、川越の資料を展示しています。




旧東海道道標と、島田市博物館です。
博物館には、川越の資料、江戸時代の旅、旅籠の資料などが展示されています。




大井川の川越は、徒歩渡し(かちわたし)制度が採られていました。
江戸時代、川に橋を架けることは政策上禁止されていました。
多くの川は船で渡っていましたが、戦略的に重要だと思われる川は、徒歩渡しとなっていました。
もっとも、由比川など、小さな川は川会所もなく、川越の人足もいなくて、
旅人各自が勝手に歩いて渡るようになっていました。
東海道では9ヶ所の川が、川越人足の居る徒歩渡しでした。
その内、静岡県内の徒歩渡しの川は以下の6ヶ所です。
興津川、庵原川、安倍川、朝比奈川、瀬戸川、大井川。
徒歩渡しの川でも、冬には仮の橋が架けられ、旅人の便宜が図られていました。
しかし大井川は冬でも橋が架けられることはありませんでした。
多くの人は冬に旅することが多かったそうです。


大井川のほとりに立つ道標。
後に立っている石碑「永仰景迹」と書かれていますが、意味とか謂れとかはわかりませんでした。




いよいよ大井川を渡ります。
車道とは分けて歩道橋が架けられています。








大井川を渡った先は金谷です。
金谷の川越遺跡は公園になっていました。




公園横の橋には、川越の様子のレリーフが。






大井川鉄道新金谷駅の裏手の方に、宅円庵があります。
ここに、日本左衛門の首塚があります。
歌舞伎、白浪五人男の日本駄右衛門のモデルになった盗賊です。




金谷宿には本陣が3軒ありました。河村(柏屋)、佐塚、山田の3軒です。
このうちの佐塚家は、今も同じ場所に住んでいます。






さらに進むと、金谷一里塚があります。
旧東海道はこのガードをくぐっていきます。
上に停車中の電車は大井川鉄道の金谷駅です。





今回はここで終わります。
次回は石畳の坂を越え、悲しい母子の伝説の残る小夜の中山を越えます。


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