静岡県藤枝市田中
撮影は2010年4月29日、11月6日、12月29日、2011年4月29日です。

この城の起源ははっきりしませんが、この地域の豪族、一色氏の居宅があった場所を、
15世紀頃、今川氏の手によって、徳一色城と称したのが始まりとされています。
永禄13年(1570)、武田信玄によって攻略され、改築されます。
四角な本丸を中心に、堀が円形に取り囲む形になっていて、
円郭式縄張の典型として知られています。
天正7年(1579)から4回にわたり、徳川家康の攻撃を受け、
家康の家臣、大久保忠世に明け渡しています。
鷹狩りが好きだった家康は、晩年、駿府に隠居していたころ、
足しげくこの田中城を訪れていました。
徳川家康の死因の一つの説「てんぷらによる食あたり」の「興津鯛のてんぷら」は、
この田中城で食べたといわれています。

本丸の位置からだいぶ離れたところに立てられている石碑です。
藤枝宿から来て、この石碑を過ぎると最初にあるのが外堀跡です。

この石碑がある場所、昨年と今年では、ずいぶん様子が違っています。
撮影した方向が違いますが、同じ場所です。向かって左が2010年、右が2011年の様子です。


その後、いくつかの堀のあとを通り過ぎます。




大手門のところの三日月堀の一部が残っています。


堀が三日月の形になっているのがわかりますか?
橋の袂に大手二之門跡の碑がありました。横は小学校、奥は中学校です。

小学校正門横にある、本丸跡の碑。
かつて田中城があった場所は、今は小学校、になっています。

道は六間川にぶつかります。


橋の袂に鉄砲矢場跡の看板が。
六間川は、田中城外堀でした。その畔に、下屋敷があります。
最初にここに居を構えた一色氏の屋敷のあった場所といわれ、江戸時代は、城主の別荘でした。
写真の櫓は田中城内にあったものを移築したものです。

田中城址の地図です。道路が丸くなっていますね。
専門的に城郭を紹介したブログなどがありますが、それらに負けない良い写真を撮られていますね。
中世の土の城は、狙いを外すと草藪だけの写真になって、なにがなんだか解らなくなってしまいます。
また、haruさんの場合易しい解説付きですのでかなり勉強になります。
今後も頑張ってください。
追伸:南条館の情報、ありがとうございます。
いつも楽しみにしてるんだけどッ
ウミの風邪がテンちゃんにうつったみたいッ
また、ゆっくりとお伺いしまっすッ
ウミも看病しないとネッ
ウミウミ
褒めていただいて恐縮です。
自分自身が賢くないので、専門的な言葉や難しい表現ができないのです。
写真は会社で撮り方を教わりました(といっても本当に基本的なことですが)
撮りたいものをはっきりさせる、全体を大きめに(広めに)とる、などということです。
でも、まだまだダメですね。
富士宮は、城址が少ないようですね。
ウミさん、風邪大丈夫ですか?
テンさんも、重くないといいのですが。
夏の風邪は悪質なのが多いですから気をつけてくださいね。
お二人ともお大事になさってくださいね。