屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

雪の山を歩く

2020年03月03日 | 春を呼ぶ朝


大村正次著「春を呼ぶ朝」―故郷の電車―

 雪の山を歩く

どこまでも僕達を靡くのは
足跡一つなお清浄な山の雲、
なだらかな純白のスロープ、
行手の空を割り
雪また雪の圓らかな孤線、
そしてこゝかしこ頭をもたげ
緑の顔を覗かせる松のむれ
 
ふゆ、溌剌のスキー場を
一山越えた山ひだの 何といふ静寂しづけさだ。
友よ 耳を澄ませ かすかに響くもの
眼には見えこず響くもの、
おゝ谷底だ。
雪の下ゆく瀬の音だ。
そして この雪原の裾を消し
直下ました濃青あおい淵ののぞいてゐる厳粛おそろし
かすかなものは その川上から來るのだ。

友よ この
浮世の外の世界に腰を下さう
息の根がとまつたやうに。
しらじらに仄くは
静寂しずかさに身ぶるひする樹々の
ふりこぼす粉雪である。

雪の消えた風景

2020年03月02日 | 春を呼ぶ朝


2012年3月 大沼公園
エゾフクロウの巣を探しながら林道をゆっくり走行したが、巣は見つからない。
途中で行き交う人も車もなく、迫りくる夕暮れのなか、あてもないのんびりとした時間が楽しかった。

大村正次著「春を呼ぶ朝」―故郷の電車―

 雪の消えた風景

世界を俺達のものにしようと
くれから勇敢に降り積もった雪。
寒風に躍りくるひ
どこもかも眞白にぬりこめた雪。
ちつぽけな人間の文明を嘲笑し
吹雪の凱歌をあげ
屋根を越えてもりあがつた雪。
踏みにじられて かんかんに凍てついた雪。
北国の雪。
雪は春の報せが来ても 泰然として積み上がり
四月の南風をきいてはじめて季節を知り
漸くあの獰猛どうもう相貌すがたをうしなひかけると
朝起きるごとにがつさり、、、、と減り
それでもこの世から消え失せた。
雪よ 俺はいま
暗然としておまへの行方をかんがへる。

おまへが荒して去った俺達の庭
漸く春を迎へて輝く眸に
それはなんといふ痛ましい風景であらう。
梅、松、黐木もちのき等ひし折れた枝をぶら下げ
納屋の軒は半ば傾き、雨樋は弓のやうに折れ曲り
落ちた屋根、石、枝、藁屑、菜つ葉、人参の切株、鰯の頭、カレンダー 
おまへの惨虐の切片
おまへと戦つた生き物の籠城生活の切片が
いりみだれ 雑然として
大地はいま 醜い負傷者達で一ぱいだ。

やがて 北国の春は
綺麗に掃き清められた庭で
晴れやかに迎へられるであらう。
だが雪よ 俺はいま
悄然としておまへの偉力をかんがへる。 

太陽を呑むもの

2020年03月01日 | 春を呼ぶ朝


大村正次著「春を呼ぶ朝」―奔流―

 太陽を呑むもの

大空の瑠璃の階段きざはし
辷りおり 真紅にふと
波上によろめいたお天道様。
あゝそれを呑まうと
さかさまに魚族うををどり、
潮の香よ 夕風よ。
光おがめば
赤子萬匹 岸へ寄る

稱名瀧

2020年02月29日 | 春を呼ぶ朝


夕張の近く、滝の上公園(2007年9月29日撮影)
夕張川の浸食で出来た渓谷と滝と、秋には紅葉がきれいなところである。
「稱名瀧」の詩の一節
「瀧近く 打ち搖ぐ岩上に 小柄の楓一株 紅く映えて・・」からこの写真を選んだ。

「春を呼ぶ朝」の詩の紹介はあと五篇となった。
「稱名瀧」は旧字体の難読漢字ばかりだが、IMEパッドの利用でなんとか入力できた。
漢詩に造詣が深い大村正次圧巻の詩である。

大村正次著「春を呼ぶ朝」―稱名瀧―

 稱名瀧

斷崖きりぎしの濡れ岩を攀ぢ 岩を攀づる
稱名の峡奥 行手の巨岩いわいただき
一團の若者の眸に
神のごと 眞白き姿を現しし瀧。

鬼も棲まう對岸 「悪城の絶壁かべ」と
空を摩す此岸 「法螺の介」と
一天に連るU字形大岩壁に
神のごと 眞白く懸かる千古の姿。

見透せば絶巓ぜつてんのかの岩盤を
一抉りV字を刻み ほとばしる白
三段に搖れ撓み 勢を湛え
あと一息になだれ落つる一千三百尺の
百雷を籠めて打下す怒。
底知れぬ下身を巨岩いわに秘し
凄惨のうちに胎む崇嚴の気魄。

あ、飛沫しぶきは白雲とかけ
近づくものゝ頬をうち
がつがつ 歯牙をうちふるはする,
鋭き氷點の意志!
恐ろしき力の爆裂!

人間ひとはいま
吹き寄せられし落葉のごとく
よろよろとうしろの友をふりかへり
濡れ濡れし脊中の茣蓙を掻き合わす。
お、その時
瀧近く 打ち搖ぐ岩上に
小柄の楓一株 紅く映えて
この凄絶に ひとり
勇士の如く生え抜くを見つ。

夕 焼

2020年02月28日 | 春を呼ぶ朝


昨日、ベランダから撮ったパノラマ写真である。
正面の藻岩山~手稲山~ベランダ?まで、およそ90度にわたる風景を一枚にまとめたので手前の市営アパートが歪曲してしまった。

コロナウイルスが世界に蔓延中で、もはや東京オリンピックどころではない。
感染しても若い人はほとんど重症化しないそうで、せめてもの救いではある。
高齢者(わたしを含めて)は不急不要な外出を控えて、手洗い嗽をまめにして、たまに近場の公園を散歩して、この危険な時期を無事に過ごしていこうではないか。

大村正次著「春を呼ぶ朝」―奔流―

 夕 焼

血を流し
血を流し
紅くなる夕焼
山の鳥をのこし
こぬれをのこし
紅くなる夕焼。
かなしみのきわまるかぎり
紅くなる夕焼。

2020年02月27日 | 春を呼ぶ朝


正面の山は手稲山。ベランダに出てみるともう三月の日差しを感じる。
昨年に比べ雪が少なくて、マンションの除雪車出動回数は大巾に減った。
車を移動しなくていいからありがたいことが、水不足とかなにか将来に悪影響が出てきそうだと思うのである。

大村正次著「春を呼ぶ朝」―稱名瀧―

  犬

わん わん わん
一匹が吠える。
わん わん わん わん
どいつも吠える。
しやくだな。

一匹が駆け出すと
ひかれるやうについていく
犬 犬 犬 犬 犬――
俺は
一挺のピストルがほしくなった。


恐怖をささやくもの

2020年02月24日 | 春を呼ぶ朝


旭川市立北都中学校の昭和32年の卒業アルバムから「購買部のみなさん」
堀先生がお若いですね。

大村正次著「春を呼ぶ朝」― ―

 恐怖をささやくもの

日が暮れたので
御用にゆくのが恐ろしい
暗闇には天狗がゐる
むじながゐる
猫の目が光つてゐる。

そんなものはゐない
そんなものは恐ろしくない
その方がほんとうだ
けれどもやつぱり恐ろしい
そつとのぞくと
あの隅に何かゐるやうな
おゝぞつとする。

人間ひとびとの心のなかに いつか巣喰うた夜の恐怖。
誰もとることの出来ぬ夜の恐怖。
それはいつどこからきた――
あの
猫の毛を引毟つて喜んでゐる稚子おさなご
恐怖おそれを微塵も知らぬ稚子に
暗闇の恐怖を 囁いていくものは誰だ。


2020年02月23日 | 春を呼ぶ朝


旭川市立北都中学校の昭和32年の卒業アルバムから「図書部のみなさん」

大村正次著「春を呼ぶ朝」―故郷の電車―

 夜

夜空
森閑として
虫の心を狙ひ寄る。

生物はさつととび抜け
湿つぽい泥のやうな
暗闇の寂しさをつかんだ。

薬を植えるひと

2020年02月22日 | 春を呼ぶ朝

「創立100年史記念号」の昭和26年ページに逍遥歌制定のことが記されていました。
旭川東高生逍遥歌は作詞:大村正次(生徒会指導主任) 作曲:後藤功(三年生・初代応援団長)であったことはすでに公知だったようです。
ただし、みなさんに周知されなかったのは残念ですね。

 画像及び文は東京在住の同期・菊地勝昭君から頂きました。

「氷を砕く人」「御手」「検温器の憂鬱」「起きあがる」「薬を植えるひと」の「御手」篇におさめられた五篇の詩は重篤な病いに臥した正次を懸命に看病する母への感謝と敬愛の表れでありました。
「御手」とは”母の手”なのです。
それ故、逍遥歌五番の歌詞に大村先生の心情を感じてくるのです。

  大村正次著「春を呼ぶ朝」―御手―

 薬を植えるひと

かなしき母
いまは死身になり
ひそかに魚塩を断ち
観世音くわんのん祈願ちか
観世音くわんのんの御利薬を給ふゆゑ
吾も信じて呑むなり。

ある日
裏庭に土を掘り
醫師くすしの薬を植うる
母のうしろ姿
ねながらにおがみたる。

女の子

2020年02月21日 | 春を呼ぶ朝


旭川市立北都中学校(昭和31年頃の校舎)


植松校長 
******という酷いあだ名が付いていたけど、実際は温厚な教育者であった。

大村正次著「春を呼ぶ朝」―春を呼ぶ朝―

 女の子

女は
あかんぼのときから聲がちがふ
實にやさしいしな、、をする。
神は
女を最初はじめから愛せられた。