屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

巽櫓から明石大橋を眺める

2006年10月24日 | 日常
手稲山の頂きにうっすらと雪が降ったようだ。
イタヤカエデやナナカマドの葉が色づいていて、
江南神社の境内もすっかり秋が深い。
きょう三菱ラリーに参加することにした。
まだ夏タイヤなのでちょっと心配だが、140キロの晩秋の道をゆっくりと走ってこようと思う。



10月16日
姫路から神戸にもどる車窓から夕陽を撮る。
もうすぐ明石だ。

「あっ、あれが明石城だね」
「どうする」
「よし、降りよう」



日暮れてまわりは薄暗いが、明石城は駅から徒歩5分・・
この城には天守がなく、四つの櫓で成り立っているらしい。
巽櫓(↓は坤櫓)から明石海峡大橋を眺める。
三脚がないので、ちょっと手ぶれをおこしているが、
兵ものが夢のあと、そんな雰囲気を感じるお城であった。

明石のまちをぶらぶらして、名物の明石焼をと思ったが、
三宮に戻ってから天丼を食べることにした。(笑)



和泉式部 教養を突き破る情熱

2006年10月24日 | 日常
 世の常のことともさらに思ほえずはじめて物を思う朝は

10月16日
和泉式部にとって敦道親王は幼い日から夢見てきた理想の男性である。
初めての添い寝の翌朝、心身の深い満足を歌に詠む。
敦道親王との恋の顛末を記した物語風の日記『和泉式部日記』・・
自分の感動を素直に歌い上げる大胆さに驚くばかりである。

山道沿いの和泉式部を描いた絵物語を感心しながら眺めると・・
情熱的な女性といえば与謝野晶子や松井須磨子を彷彿させるが、
和泉式部はもっと奔放で魔性の女であったと想像してしまう。



書写山・円教寺へ向かう。
円教寺は西の比叡山と称された天台宗三大道場の一つである。





ここは大講堂、食堂、常行堂の三つの建物があって、
左甚五郎の彫刻や和泉式部歌塚がみられる。



もし時間があれば、書写山をぐるっとまわりたかった。
桜の時季か紅葉の時季か・・
もういちどこの山にこなければならない。