■次の危機を如何に回避できるか
9.11同時多発テロ、これは幾つかの問題領域を横断して複合的な影響を発生から19年を経た今日にも及ぼしています。
次はこうなる。なにか堺屋太一氏のベストセラーを思い出すような響きですが、テロ対策に任務が偏重するとしても、装備体系まで偏重させてしまったのは失敗であったとしか云いようがありません。そしてテロとの戦いが本格化する頃に広く読まれた文明の衝突、サミュエルハンティントンの名著のような、価値観が単一ではない事が状況を根深くした。
文明の衝突。これはテロとの戦いを予見したというよりは、民主主義と自由主義という概念は幸福追求のための普遍的価値である、と考えた、一種ヨハンガルトゥング的な解釈と重ねた政策を進めたことが、つまり日欧米の価値観は多寡こそあれ普遍的な概念であると考えた事が、世俗主義を第一とする価値観の地域との摩擦と別のものを起こした、とも。
帝国。アントニオネグリの、一時期大流行した世界システム論の考え方と扇状に広がるものの世界は一つに向かう、という概念をグローバリズム論が実証しているというような認識が、こう単一ではなく多極化に向かうという、逆行してハーマンカーンやハンスモーゲンソーの時代へと回帰してゆく、歴史は循環するというような状況が醸成されてゆきます。
同時多発テロはルックイースト、北朝鮮核開発という契機があり一つの不安定地域がありましたが、テロとの戦い、そしてその長期化、特に妥当するべき対象が不明確である非対称の戦いは攻撃到達点も最終確保地域も不明確であるために長期化しやすい、あくまで民主化と民主主義の定着を期したことで自ら泥濘に引水する結果となり、長期化しました。
不安定の弧。ルックミドルイーストとなり、更に北朝鮮への警戒をも継続したために、中東からアジア地域を含めた東半球全域、そして次第にアフリカまでを含めて"不安定の弧"として警戒を強めたことにより、逆に広域化しすぎたことが安定へ注ぐ安全保障上の資材を分散することとなってしまい、いつ終わったのか続いているのか不明瞭な状況が続く。
在来型脅威の回帰。問題は地域安定化の為の人間の安全保障というべき視点、民主主義の政治システムと自由主義の経済システムという概念を普及させることが人間の自己実現を惹起し地域は安定化する、と考えた"所謂先進国"の認識が過度な社会変革を生むとともに、これを警戒する地域大国があった、という新しい摩擦が醸成されているといえるでしょう。
民主主義以外の政治システムと自由主義の経済システム、この両立があり得る事を、中国、そして資源価格高騰によりロシアが実現したことであり、いや地域政治では過去にシンガポールという実例もあるのですが、これらの国々が民主主義の定着を脅威視することで、対立が生まれる。テロの撲滅に人間の安全保障を提示したために悪循環も進みます。
問題領域の複合化。テロとの戦いに着地点があるとするならば人間の安全保障が確立し自己実現が担保されることにより、世俗主義は政治から文化へと収斂し哲学的な昇華に転じる、こう考えられたテロとの戦いその有志連合諸国が共有する価値観が、かえって強権主義の諸国を刺激し、既得権層以外を刺激することで脅威と認識された構図があります。
複合化の要素としては、自由主義の経済システムについては、世界全体で共有化しうる概念であったのですね。もちろん安全保証状の制約を保護主義と採られる例外こそありますが。すると、政治システムのグローバル化はあり得ずとも、経済分野のグローバリズムは進むため、覇権国という概念がここに成り立つ、すると係争が生じ政治化するのですね。
米中対立などはこの典型といえます。そして日本含め中国経済発展の前進に尽力した背景には、経済的成熟が民主主義を生む、と考えたためでしょう。マルクス的といえる。しかし、マルクスの理念を飛び越して共産主義を自称する諸国にはマルクス主義の名を掲げた単なる強権主義の事例がありましたが、今回もその定義に合致したということでしょう。
自己実現が叶う社会ならばテロには走らず民主主義により破綻国家と呼ばれる地域にも安定が訪れる、そのためには経済だ、と。これは民主主義を実現した諸国の世俗主義国家、破綻国家は地域と称するべきかもしれませんが、この認識を広めようとする、しかし強権により安定している強権国家の視点で考えれば、これは一種の示威行為と捉えうるのです。
アラブの春などはこの一例といえるのですが、逆説的にアラブの春の地域内戦化などの極端な事象は、強権国家にとり防波堤を構築させる、いわば非対称の戦いに陥らないよう強権主義を用いる地域大国が戦力投射を行い、対象ある支援先を瓦解させないよう軍事力の投射を行い、これが一種の"鉄のカーテン"を醸成させてしまった構図があるでしょう。
同時多発テロはその分岐点であったのですね。今年で19年、10年ごとに危機が訪れる、という仮定に依拠すれば、20年目の危機はおそらく今回のCOVID-19世界的流行禍となるでしょう、しかしその次の10年では、どうなるのか、日本と世界の次の10年というものを俯瞰し、平和構築と平和維持というものを真剣に考えねば、危機の懸念を忘れては成りません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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9.11同時多発テロ、これは幾つかの問題領域を横断して複合的な影響を発生から19年を経た今日にも及ぼしています。
次はこうなる。なにか堺屋太一氏のベストセラーを思い出すような響きですが、テロ対策に任務が偏重するとしても、装備体系まで偏重させてしまったのは失敗であったとしか云いようがありません。そしてテロとの戦いが本格化する頃に広く読まれた文明の衝突、サミュエルハンティントンの名著のような、価値観が単一ではない事が状況を根深くした。
文明の衝突。これはテロとの戦いを予見したというよりは、民主主義と自由主義という概念は幸福追求のための普遍的価値である、と考えた、一種ヨハンガルトゥング的な解釈と重ねた政策を進めたことが、つまり日欧米の価値観は多寡こそあれ普遍的な概念であると考えた事が、世俗主義を第一とする価値観の地域との摩擦と別のものを起こした、とも。
帝国。アントニオネグリの、一時期大流行した世界システム論の考え方と扇状に広がるものの世界は一つに向かう、という概念をグローバリズム論が実証しているというような認識が、こう単一ではなく多極化に向かうという、逆行してハーマンカーンやハンスモーゲンソーの時代へと回帰してゆく、歴史は循環するというような状況が醸成されてゆきます。
同時多発テロはルックイースト、北朝鮮核開発という契機があり一つの不安定地域がありましたが、テロとの戦い、そしてその長期化、特に妥当するべき対象が不明確である非対称の戦いは攻撃到達点も最終確保地域も不明確であるために長期化しやすい、あくまで民主化と民主主義の定着を期したことで自ら泥濘に引水する結果となり、長期化しました。
不安定の弧。ルックミドルイーストとなり、更に北朝鮮への警戒をも継続したために、中東からアジア地域を含めた東半球全域、そして次第にアフリカまでを含めて"不安定の弧"として警戒を強めたことにより、逆に広域化しすぎたことが安定へ注ぐ安全保障上の資材を分散することとなってしまい、いつ終わったのか続いているのか不明瞭な状況が続く。
在来型脅威の回帰。問題は地域安定化の為の人間の安全保障というべき視点、民主主義の政治システムと自由主義の経済システムという概念を普及させることが人間の自己実現を惹起し地域は安定化する、と考えた"所謂先進国"の認識が過度な社会変革を生むとともに、これを警戒する地域大国があった、という新しい摩擦が醸成されているといえるでしょう。
民主主義以外の政治システムと自由主義の経済システム、この両立があり得る事を、中国、そして資源価格高騰によりロシアが実現したことであり、いや地域政治では過去にシンガポールという実例もあるのですが、これらの国々が民主主義の定着を脅威視することで、対立が生まれる。テロの撲滅に人間の安全保障を提示したために悪循環も進みます。
問題領域の複合化。テロとの戦いに着地点があるとするならば人間の安全保障が確立し自己実現が担保されることにより、世俗主義は政治から文化へと収斂し哲学的な昇華に転じる、こう考えられたテロとの戦いその有志連合諸国が共有する価値観が、かえって強権主義の諸国を刺激し、既得権層以外を刺激することで脅威と認識された構図があります。
複合化の要素としては、自由主義の経済システムについては、世界全体で共有化しうる概念であったのですね。もちろん安全保証状の制約を保護主義と採られる例外こそありますが。すると、政治システムのグローバル化はあり得ずとも、経済分野のグローバリズムは進むため、覇権国という概念がここに成り立つ、すると係争が生じ政治化するのですね。
米中対立などはこの典型といえます。そして日本含め中国経済発展の前進に尽力した背景には、経済的成熟が民主主義を生む、と考えたためでしょう。マルクス的といえる。しかし、マルクスの理念を飛び越して共産主義を自称する諸国にはマルクス主義の名を掲げた単なる強権主義の事例がありましたが、今回もその定義に合致したということでしょう。
自己実現が叶う社会ならばテロには走らず民主主義により破綻国家と呼ばれる地域にも安定が訪れる、そのためには経済だ、と。これは民主主義を実現した諸国の世俗主義国家、破綻国家は地域と称するべきかもしれませんが、この認識を広めようとする、しかし強権により安定している強権国家の視点で考えれば、これは一種の示威行為と捉えうるのです。
アラブの春などはこの一例といえるのですが、逆説的にアラブの春の地域内戦化などの極端な事象は、強権国家にとり防波堤を構築させる、いわば非対称の戦いに陥らないよう強権主義を用いる地域大国が戦力投射を行い、対象ある支援先を瓦解させないよう軍事力の投射を行い、これが一種の"鉄のカーテン"を醸成させてしまった構図があるでしょう。
同時多発テロはその分岐点であったのですね。今年で19年、10年ごとに危機が訪れる、という仮定に依拠すれば、20年目の危機はおそらく今回のCOVID-19世界的流行禍となるでしょう、しかしその次の10年では、どうなるのか、日本と世界の次の10年というものを俯瞰し、平和構築と平和維持というものを真剣に考えねば、危機の懸念を忘れては成りません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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