■師走まで数日というのに
寒くはなったのだけれども季節の移ろいは。
師走まで数日というのに、東福寺の紅葉はこんな感じです。Dynabookで変換しようとすると東福寺の効用、と最初に出てくるほどに、最近のPCは言葉を知らないなあ、と思うとともに、紅葉という季節の風物詩が手元のPCからも遠ざかっているようで。
臨済宗東福寺派の大本山、ここは通天橋を包む紅葉が京都を代表する風景の一つとなっているのですが、椛そのものが、一応暑さ寒さには強い植物なのですが、暑さではなく熱さというこの数年間の気象、気候変動という言葉を実感する最中では厳しいのか。
東山区本町十五丁目に所在します東福寺は、その名の通りのJR奈良線東福寺駅から、寺域までは三分、通天橋などがみえる東福寺らしい風景までは徒歩十五分、といったところでしょうか、この広さが歴史をなにより語るとともに、紅葉の名所となっていて。
東山区といいますと清水寺も有名ではあるのですが、京都は東海道新幹線と東海道線の長い鉄道高架橋により、なにかその南北で違う様相を感じてしまいまして、それは東山は標高が高いものの、鴨川に沿って永らく低地は水害に悩まされていた歴史がある。
東寺が望見できるところからふと思い出すのは西寺、平安遷都とともに造営された官寺、東寺と西寺の二つの内、いま西寺が現存しないのはやはり、桂川の治水とも関係していまして、水害により荒廃したという。先の都は長岡京も浸水が遷都の理由だったが。
水害、というものは気候変動と関係あるもので、過去にも火山活動や太陽黒点を契機とする気候変動は確かにあった、しかし京都の水害は築堤、もっとも有名なのはやはり豊臣秀吉の京都大改造だろうなあ、これにより、土木工事が平安京に安寧を齎した訳で。
東海道本線東海道新幹線の南側には、山手を除いて急に寺社仏閣で古刹の風情を感じることができなくなるのは、こうした治水というものの安土桃山時代までの遅れというものと無関係ではないもので。しかし近年、気候変動が問題になる中で少々憂う事は。
治水と気候変動の連環性というものをもう少し考えなければならないのではないか、紅葉の遅れ、と甘く書いた背景には単純に夏の長さと異常な高温が背景にあり、そう、春は三月四月五月、夏は六月七月八月、秋は元々九月十月十一月だった訳でして。
師走が近くなるまで紅葉の気配がない、そもそも九月十月は秋の涼しさを感じることができたのは屋内の冷房の目の前くらいでは無かったか、と。これは同時に、紅葉の遅れに顕著化するのですが、見返してみると北大路機関創設当時は紅葉は十月に始まる。
きせつの風物詩が寂しいね、というものだけではなく、椛は今後暑さが激しくなれば木々の生命力を維持できるのか、いや、既に庭園を彩る苔がもう緑を保てず枯死する状況が始まっていて、すると木々が枯死してしまうような未来もそう遠くないのでは、と。
桜並木と梅花に始まる春は、もう四月に入る段階で桜花は早くも新緑に移り変わり、最早梅花は二月で終わりかねないものに、新年度に花見を楽しむことはもはやできない状況ですが、同時に気候変動は桜に有害な害虫を北上させ、国土は風景さえ変えつつ。
治水、気候変動は降雨量の増大や台風の激甚化にも直結する事から、築堤や防風林の強化とともに、現在建築基準法は耐震基準に偏重していますが、耐風基準というものを相応に考え、風速60m/sや70m/sに備えなければならなくなるのか、と思うのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
寒くはなったのだけれども季節の移ろいは。
師走まで数日というのに、東福寺の紅葉はこんな感じです。Dynabookで変換しようとすると東福寺の効用、と最初に出てくるほどに、最近のPCは言葉を知らないなあ、と思うとともに、紅葉という季節の風物詩が手元のPCからも遠ざかっているようで。
臨済宗東福寺派の大本山、ここは通天橋を包む紅葉が京都を代表する風景の一つとなっているのですが、椛そのものが、一応暑さ寒さには強い植物なのですが、暑さではなく熱さというこの数年間の気象、気候変動という言葉を実感する最中では厳しいのか。
東山区本町十五丁目に所在します東福寺は、その名の通りのJR奈良線東福寺駅から、寺域までは三分、通天橋などがみえる東福寺らしい風景までは徒歩十五分、といったところでしょうか、この広さが歴史をなにより語るとともに、紅葉の名所となっていて。
東山区といいますと清水寺も有名ではあるのですが、京都は東海道新幹線と東海道線の長い鉄道高架橋により、なにかその南北で違う様相を感じてしまいまして、それは東山は標高が高いものの、鴨川に沿って永らく低地は水害に悩まされていた歴史がある。
東寺が望見できるところからふと思い出すのは西寺、平安遷都とともに造営された官寺、東寺と西寺の二つの内、いま西寺が現存しないのはやはり、桂川の治水とも関係していまして、水害により荒廃したという。先の都は長岡京も浸水が遷都の理由だったが。
水害、というものは気候変動と関係あるもので、過去にも火山活動や太陽黒点を契機とする気候変動は確かにあった、しかし京都の水害は築堤、もっとも有名なのはやはり豊臣秀吉の京都大改造だろうなあ、これにより、土木工事が平安京に安寧を齎した訳で。
東海道本線東海道新幹線の南側には、山手を除いて急に寺社仏閣で古刹の風情を感じることができなくなるのは、こうした治水というものの安土桃山時代までの遅れというものと無関係ではないもので。しかし近年、気候変動が問題になる中で少々憂う事は。
治水と気候変動の連環性というものをもう少し考えなければならないのではないか、紅葉の遅れ、と甘く書いた背景には単純に夏の長さと異常な高温が背景にあり、そう、春は三月四月五月、夏は六月七月八月、秋は元々九月十月十一月だった訳でして。
師走が近くなるまで紅葉の気配がない、そもそも九月十月は秋の涼しさを感じることができたのは屋内の冷房の目の前くらいでは無かったか、と。これは同時に、紅葉の遅れに顕著化するのですが、見返してみると北大路機関創設当時は紅葉は十月に始まる。
きせつの風物詩が寂しいね、というものだけではなく、椛は今後暑さが激しくなれば木々の生命力を維持できるのか、いや、既に庭園を彩る苔がもう緑を保てず枯死する状況が始まっていて、すると木々が枯死してしまうような未来もそう遠くないのでは、と。
桜並木と梅花に始まる春は、もう四月に入る段階で桜花は早くも新緑に移り変わり、最早梅花は二月で終わりかねないものに、新年度に花見を楽しむことはもはやできない状況ですが、同時に気候変動は桜に有害な害虫を北上させ、国土は風景さえ変えつつ。
治水、気候変動は降雨量の増大や台風の激甚化にも直結する事から、築堤や防風林の強化とともに、現在建築基準法は耐震基準に偏重していますが、耐風基準というものを相応に考え、風速60m/sや70m/sに備えなければならなくなるのか、と思うのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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