■WAPC:装輪装甲車
自衛隊は一時期まで装機式装甲車を重視し、その後は装輪装甲車に特化した装備調達を進めていますが一種極端すぎました。
装備実験隊の新型装甲車両、その装甲輸送車型、73式装甲車の後継として開発が進められているもので、特に機甲師団である第7師団では96式装輪装甲車の不整地のおける90式戦車との協同能力に疑問符がつけられ、全国の戦車部隊本部車両などからまだ用途廃止前の73式装甲車をかき集めている状況です。ここに漸く後継車両が開発された構図です。
73式装甲車ですが、北海道の運用を見渡した場合、鬼士別や上富良野の演習場では装輪式の96式装輪装甲車が鋭い火山地形の地形に車輪損傷が看過できない水準に在り、日米合同演習における派米訓練の結果、アメリカのストライカー装輪装甲車も同様の車輪損傷に曝されている事を自衛隊は訓練を通じて痛感する事となります。日米だけではありません。
ボクサー重装輪装甲車等はアフガニスタンにおける運用を想定し、車輪部分の不整地対応等が、この結果に重量が増大する事となり開発費も高騰したのですが、配慮されています。ただ、ドイツ軍はアフガニスタンに派遣したムンゴ空挺装甲車やフクス装輪装甲輸送車等はかなり不具合が出たようで、岩場の多い地形での装輪装甲車が活動できない地形は多い。
装輪装甲車の重要性は日本の場合、欧州のように高速道路網が普及しており、戦略展開に理想的だ、として1990年代までの装軌式重視の姿勢から急転換しました。この時期には装輪装甲車は概して装軌式装甲車の三分の一程度、という取得費用の安さ等も利点とされていたのですが、日本の地形に対応する装輪装甲車、安価で動かしやすいものではなかった。
73式装甲車の老朽化とともに、しかし、自衛隊に在って唯一の機甲師団編成を採っている第7師団には73式装甲車の後継車両が必要となります。もちろん普通科連隊の89式装甲戦闘車も定数割れに近い状態のまま73式装甲車と混成運用されている状態でもあり、装備実験隊の新型装甲車両、その装甲輸送車型には相応の必要性が在った、といえるでしょう。
アルマジロ装甲車に似ている、装甲輸送型の新車両写真をみました際に率直に感じました。アルマジロ装甲車はスウェーデン製CV-90装甲戦闘車の40mm機関砲塔を取り外したもので、汎用装甲車としての用途が見込まれ輸出用に提示されているものです。現在の装甲戦闘車両は特に40mm機関砲の搭載など、主力戦車に伍して交戦距離が延伸している現状が。
CV-90、もちろんドイツのプーマ重装甲戦闘車やスペインオーストリア共同開発のASCOD等他の装甲戦闘車について、火器管制装置は主力戦車と同水準のものが搭載される傾向があります。40mmCTA機関砲などは技術の進展と共にAP弾の貫徹力は第二次大戦中の76mm戦車砲に匹敵する水準であり、第二世代戦車は正面装甲を貫徹できるほどに強力だ。
40mm機関砲のAP弾は、第三世代戦車について正面装甲こそ貫徹は出来ませんが、側面部分では確実な防護が確証出来ず、後方は高い確率で貫徹されます。射程も3000m規模となりました。火器管制装置は装備費用の三割前後を占め、価格高騰を招いている。73式装甲車後継車の共通車体ですが、概して不整地突破能力は極めて高いものとなるでしょう。
ただ、過去には戦車に随伴できない装甲車という問題がありました。90式戦車と60式装甲車、例えば第71戦車連隊が1992年より90式戦車の配備を開始した当時、連隊本部管理中隊はまだ60式装甲車を運用していたのです。老朽化が進んでいた60式装甲車は不整地では20km/h程しか発揮できず、70km/hで機動力を発揮する90式戦車とは協同できません。
60式装甲車は2000年代まで戦車大隊本部などで活用されていましたが、15km/h程度しか速力を発揮できず、旧式化が進んだとはいえ50km/hで不整地を突破する74式戦車との協同は、本部と第一線中隊を切り離す、かなり苦肉の策が用いられています。共通車両により、少なくとも戦車から置き去りとされる状況からは、かなり改善することでしょう。
73式装甲車ですが、第7師団へ集中運用されているこの装備、実はかなり広範に用いられています。第7通信大隊などは通信中継車に用いており、第7施設大隊にも配備、また後方支援連隊にも多数配備され、99式自走榴弾砲を運用する第7特科連隊、87式自走高射機関砲を運用する第7高射特科連隊にも本部車両として配備、配備範囲は意外と広いのです。
第2戦車連隊や99式自走榴弾砲を運用する北部方面隊の特科部隊、場合によっては現在本部車両に96式装輪装甲車を運用していますが、新車両はこうした部隊へも配備される可能性があります。何故ならば全国で新編が続く即応機動連隊所要に今度は96式装輪装甲車を集中する必要がある為で、73式装甲車集約と真逆の構図が、現在構成されているのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
自衛隊は一時期まで装機式装甲車を重視し、その後は装輪装甲車に特化した装備調達を進めていますが一種極端すぎました。
装備実験隊の新型装甲車両、その装甲輸送車型、73式装甲車の後継として開発が進められているもので、特に機甲師団である第7師団では96式装輪装甲車の不整地のおける90式戦車との協同能力に疑問符がつけられ、全国の戦車部隊本部車両などからまだ用途廃止前の73式装甲車をかき集めている状況です。ここに漸く後継車両が開発された構図です。
73式装甲車ですが、北海道の運用を見渡した場合、鬼士別や上富良野の演習場では装輪式の96式装輪装甲車が鋭い火山地形の地形に車輪損傷が看過できない水準に在り、日米合同演習における派米訓練の結果、アメリカのストライカー装輪装甲車も同様の車輪損傷に曝されている事を自衛隊は訓練を通じて痛感する事となります。日米だけではありません。
ボクサー重装輪装甲車等はアフガニスタンにおける運用を想定し、車輪部分の不整地対応等が、この結果に重量が増大する事となり開発費も高騰したのですが、配慮されています。ただ、ドイツ軍はアフガニスタンに派遣したムンゴ空挺装甲車やフクス装輪装甲輸送車等はかなり不具合が出たようで、岩場の多い地形での装輪装甲車が活動できない地形は多い。
装輪装甲車の重要性は日本の場合、欧州のように高速道路網が普及しており、戦略展開に理想的だ、として1990年代までの装軌式重視の姿勢から急転換しました。この時期には装輪装甲車は概して装軌式装甲車の三分の一程度、という取得費用の安さ等も利点とされていたのですが、日本の地形に対応する装輪装甲車、安価で動かしやすいものではなかった。
73式装甲車の老朽化とともに、しかし、自衛隊に在って唯一の機甲師団編成を採っている第7師団には73式装甲車の後継車両が必要となります。もちろん普通科連隊の89式装甲戦闘車も定数割れに近い状態のまま73式装甲車と混成運用されている状態でもあり、装備実験隊の新型装甲車両、その装甲輸送車型には相応の必要性が在った、といえるでしょう。
アルマジロ装甲車に似ている、装甲輸送型の新車両写真をみました際に率直に感じました。アルマジロ装甲車はスウェーデン製CV-90装甲戦闘車の40mm機関砲塔を取り外したもので、汎用装甲車としての用途が見込まれ輸出用に提示されているものです。現在の装甲戦闘車両は特に40mm機関砲の搭載など、主力戦車に伍して交戦距離が延伸している現状が。
CV-90、もちろんドイツのプーマ重装甲戦闘車やスペインオーストリア共同開発のASCOD等他の装甲戦闘車について、火器管制装置は主力戦車と同水準のものが搭載される傾向があります。40mmCTA機関砲などは技術の進展と共にAP弾の貫徹力は第二次大戦中の76mm戦車砲に匹敵する水準であり、第二世代戦車は正面装甲を貫徹できるほどに強力だ。
40mm機関砲のAP弾は、第三世代戦車について正面装甲こそ貫徹は出来ませんが、側面部分では確実な防護が確証出来ず、後方は高い確率で貫徹されます。射程も3000m規模となりました。火器管制装置は装備費用の三割前後を占め、価格高騰を招いている。73式装甲車後継車の共通車体ですが、概して不整地突破能力は極めて高いものとなるでしょう。
ただ、過去には戦車に随伴できない装甲車という問題がありました。90式戦車と60式装甲車、例えば第71戦車連隊が1992年より90式戦車の配備を開始した当時、連隊本部管理中隊はまだ60式装甲車を運用していたのです。老朽化が進んでいた60式装甲車は不整地では20km/h程しか発揮できず、70km/hで機動力を発揮する90式戦車とは協同できません。
60式装甲車は2000年代まで戦車大隊本部などで活用されていましたが、15km/h程度しか速力を発揮できず、旧式化が進んだとはいえ50km/hで不整地を突破する74式戦車との協同は、本部と第一線中隊を切り離す、かなり苦肉の策が用いられています。共通車両により、少なくとも戦車から置き去りとされる状況からは、かなり改善することでしょう。
73式装甲車ですが、第7師団へ集中運用されているこの装備、実はかなり広範に用いられています。第7通信大隊などは通信中継車に用いており、第7施設大隊にも配備、また後方支援連隊にも多数配備され、99式自走榴弾砲を運用する第7特科連隊、87式自走高射機関砲を運用する第7高射特科連隊にも本部車両として配備、配備範囲は意外と広いのです。
第2戦車連隊や99式自走榴弾砲を運用する北部方面隊の特科部隊、場合によっては現在本部車両に96式装輪装甲車を運用していますが、新車両はこうした部隊へも配備される可能性があります。何故ならば全国で新編が続く即応機動連隊所要に今度は96式装輪装甲車を集中する必要がある為で、73式装甲車集約と真逆の構図が、現在構成されているのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
陸自の装輪装甲車の右往左往は、当初から全くポリシーを持たなかったことが原因です。まずAPCを作り、そこから指揮車、救急車、工兵車、迫撃砲車を作る。これが世界標準であり、技術的に合理的です。
なのに、突然NBC車。そう最適化されたこの車体には、APC型にする発展性すらなかった。この時点で、本末転倒であり、失敗は確定したわけです。
今も、新世代の8輪装甲車がおかしな話になっています。APC型ではなく、16式「戦闘車」として始めたのもおかしいのですが、MHIなりに、MAVを自己資金で開発しきちんとAPC型も構想しました。床下装甲も強化しており、技術力が世界標準に達しているかはともあれ、ポリシーに基づいて設計したわけです。これを防衛省は完全に無視しました。
今も8輪装甲車を2種類検討しています。兵站無視の全く非合理なやり方で、その発想は完全にお花畑。本気で国を守る気が「ない」ことがひしひしと伝わってくる税金の無駄遣いですから、やめて浮いたお金で国債を返済する方がよほど国家に貢献します。
やるなら16式とせめて駆動系を共通にした「8輪装甲車シリーズ」で直掩APCを編成し、残る大半の装甲車両は、軽装甲機動車の後継としての4輪装甲車シリーズで対応すべきでしょう。
装軌式の装甲車は89式IFV、99式SPの技術を応用しているようなので、まだマシと思います。砲塔の再利用は意味がわかりませんが(普通は砲塔を入れ替えるものです)、車体は世界でも1980年ごろの設計を近代化し再製造レベルまでオーバーホールして使い続けていますから、まだしも合理的でしょう。
少しでも戦力向上につながる合理的かつ実質的な方向になるよう、厳しく批評することで、良い方向へ進んで欲しいものです。
ひどいので演習場では特に評判が悪いのでしょうかね。
7師団に限らず第2師団等必要な装軌道式装甲車多数配備を希望します。