■銀色のC-1FTB
銀色のC-1FTBを撮影した話題を。
C-1FTB,もう目の前に降りてきました、銀色の、いや原色の、C-1輸送機がおりてきた。この構図を撮影できるというのが岐阜基地の強みと思う。いや、まあ、小牧基地でも歩道橋の上で撮影していますとこういう構図になってくれるのですけれどもね。
C-1輸送機は、沖縄返還前の設計と要求仕様であるために航続距離が異常に短く、その分を速度と機動性とSTOL性能に全ふりした、日本らしい輸送機です。もっとも、製造数が大幅削減されて31機にとどまった、というのもC-2輸送機と重なるのだが。
F-15戦闘機が旋回して着陸へ向かう。岐阜基地は戦闘機も配備されている基地ですので、輸送機が轟音とともに頭上を通過したその直後にもう一度いきなり戦闘機がかんだかい金属音を響かせて高速で着陸してゆく、というのも日常風景だったりするのです。
夏空と夏雲がもくもくと聳える残暑というには厳しい風景の岐阜基地、その先の風景へF-15の機影が溶け込んでゆく。岐阜基地は旋回する先に岐阜市の市街地がひろがり、周りには各務原市も犬山市もならんでいるのですが、その上を轟音をひびかせつつ。
F-2戦闘機の着陸だ。え、F-15どうなったの、と思われるでしょうが試験飛行でF-15とF-2が連続して離陸していたのですね。戦闘機の数だけでみれば、小松基地、北陸の基地の方が多く飛行する回数も多い、が、機種は多いし、まわりで食事できるところも。
飛行開発実験団のF-2戦闘機、この着陸の構図も凄く好いのですが、例えば三井山という基地の西側に聳える小山の山頂に陣取りますと、離陸の際に目の前を上昇し、タッチアンドゴーの際には目の前で旋回して迫力ある構図を撮影できたりして、たのしい。
三菱重工のF-2,制空戦闘が第一の航空自衛隊では異端児のような扱いという戦闘機なのですが、石破防衛庁長官時代に生産中断が発表され、繋ぎのライセンス生産なども行われなかったので、そこで日本の戦闘機製造が中断してしまったのは残念のひとこと。
ラファール戦闘機、フランスなどはラファールF2、ラファールF3、ラファールF3.1、ラファールF4と改良を、とにかく戦闘機を生産し続けている。偵察機とか電子戦機とか飛行隊定数を増強するとか、F-2後継機が具体化するまで生産を継続すべきであったなあ。
夏雲と夏空とF-2戦闘機、ちょっと逆光気味で雲の迫力とかもちょっとなあとおもいつつ、できれば積乱雲とかといっしょに構図を決めたかったけれども、積乱雲が迫ってくる状況となると、落雷とかで怖いことになりますので贅沢を言ってはいけない。
有事の際の予備というものを考えると、定数ギリギリで稼働率次第という日本の防衛力整備は、ほんとうに戦争を考えているのか、そもそも政治は、自衛隊では無く政治は、与党も野党も、どういった戦争を、軍事戦略でアジアを生き延びるつもりなのか、とね。
稼働率という面から戦闘機を見ますと、小野寺防衛大臣時代に共食い整備など、冷戦時代には稼働率95%とまで言われた航空自衛隊の即応体制がいまもう見る影も無い、という状況であったため、補正予算で動かせるよう予備部品の予算が組まれた事を思い出す。
ヒコーキカッケー、というような単純に被写体として防衛装備品を見るのでは無く、これをどのように運用して必要な任務を果たすのか、という視点まで踏み込んでいますと、大丈夫なのかなあ、という素朴な懸念がふっと浮かぶのですが、ね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
銀色のC-1FTBを撮影した話題を。
C-1FTB,もう目の前に降りてきました、銀色の、いや原色の、C-1輸送機がおりてきた。この構図を撮影できるというのが岐阜基地の強みと思う。いや、まあ、小牧基地でも歩道橋の上で撮影していますとこういう構図になってくれるのですけれどもね。
C-1輸送機は、沖縄返還前の設計と要求仕様であるために航続距離が異常に短く、その分を速度と機動性とSTOL性能に全ふりした、日本らしい輸送機です。もっとも、製造数が大幅削減されて31機にとどまった、というのもC-2輸送機と重なるのだが。
F-15戦闘機が旋回して着陸へ向かう。岐阜基地は戦闘機も配備されている基地ですので、輸送機が轟音とともに頭上を通過したその直後にもう一度いきなり戦闘機がかんだかい金属音を響かせて高速で着陸してゆく、というのも日常風景だったりするのです。
夏空と夏雲がもくもくと聳える残暑というには厳しい風景の岐阜基地、その先の風景へF-15の機影が溶け込んでゆく。岐阜基地は旋回する先に岐阜市の市街地がひろがり、周りには各務原市も犬山市もならんでいるのですが、その上を轟音をひびかせつつ。
F-2戦闘機の着陸だ。え、F-15どうなったの、と思われるでしょうが試験飛行でF-15とF-2が連続して離陸していたのですね。戦闘機の数だけでみれば、小松基地、北陸の基地の方が多く飛行する回数も多い、が、機種は多いし、まわりで食事できるところも。
飛行開発実験団のF-2戦闘機、この着陸の構図も凄く好いのですが、例えば三井山という基地の西側に聳える小山の山頂に陣取りますと、離陸の際に目の前を上昇し、タッチアンドゴーの際には目の前で旋回して迫力ある構図を撮影できたりして、たのしい。
三菱重工のF-2,制空戦闘が第一の航空自衛隊では異端児のような扱いという戦闘機なのですが、石破防衛庁長官時代に生産中断が発表され、繋ぎのライセンス生産なども行われなかったので、そこで日本の戦闘機製造が中断してしまったのは残念のひとこと。
ラファール戦闘機、フランスなどはラファールF2、ラファールF3、ラファールF3.1、ラファールF4と改良を、とにかく戦闘機を生産し続けている。偵察機とか電子戦機とか飛行隊定数を増強するとか、F-2後継機が具体化するまで生産を継続すべきであったなあ。
夏雲と夏空とF-2戦闘機、ちょっと逆光気味で雲の迫力とかもちょっとなあとおもいつつ、できれば積乱雲とかといっしょに構図を決めたかったけれども、積乱雲が迫ってくる状況となると、落雷とかで怖いことになりますので贅沢を言ってはいけない。
有事の際の予備というものを考えると、定数ギリギリで稼働率次第という日本の防衛力整備は、ほんとうに戦争を考えているのか、そもそも政治は、自衛隊では無く政治は、与党も野党も、どういった戦争を、軍事戦略でアジアを生き延びるつもりなのか、とね。
稼働率という面から戦闘機を見ますと、小野寺防衛大臣時代に共食い整備など、冷戦時代には稼働率95%とまで言われた航空自衛隊の即応体制がいまもう見る影も無い、という状況であったため、補正予算で動かせるよう予備部品の予算が組まれた事を思い出す。
ヒコーキカッケー、というような単純に被写体として防衛装備品を見るのでは無く、これをどのように運用して必要な任務を果たすのか、という視点まで踏み込んでいますと、大丈夫なのかなあ、という素朴な懸念がふっと浮かぶのですが、ね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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