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【京都幕間旅情】寂光院,平家物語-最近ではアニメーションが有名に,少女びわと建礼門院徳子

2024-10-23 20:24:01 | 写真
■建礼門院徳子
 声明の里といわれた大原は今もう一つの視点で。

 平家物語、最近ではアニメーションが有名に、と紹介したいところなのですが、あのアニメーションは2022年という、考えれば時間が経つのが早くなったように思えるのは歳を取ってしまったからなのでしょうか、この寂光院、作中の末尾に描かれています。

 寂光院でも庵主さん、ではなく寺務員の方、ちょうどこの寂光院の本堂を開設する際にアニメーション作品の方に触れられていまして、そうですよね寂光院といいますと最近ここ寂光院がわだいになったのはあの作品、と勝手に納得してしまったのですけれど。

 寺務員さんの方は学生時代に漫研だったというお話を、堂宇とお山の解説全般が終わりました後で雑談しました際に、平家物語のわだいにあわせまして交歓しましたもので、実際、淡々とではあるが感情移入できる視座をもとの平家物語の大筋に沿って。

 けいおん!の山田尚子監督作品、けいおん!の監督、というだけで色彩豊かな世界観を共有できるのかな、と思うところです。監督は京都アニメーションに入社ののちにさまざまな作品に参加し、また監督として全体の制作を統括しています、どれも完成度が高い。

 中二病でも恋がしたい!、境界の彼方、氷菓、と監督が絵コンテで参加されました作品なんかはDVDかBDを揃えていますし、けいおん!についても。あとヴァイオレットエヴァーガーデン、一部BDをかったものの店頭品薄、というよりBDを扱う店が減った。

 古川日出男の新訳、平家物語を原作とした作品は琵琶法師の少女びわを主人公に、実父を平家の武士に殺害され抗議に向かった先で平重盛に拾われるところで、重盛の子、平維盛と平資盛と平清経とともに生活し、平家の興亡を目の当たりにするという展開だ。

 徳子、平徳子とびわの出会い、そして高倉天皇への入内、後白河法皇と平氏の確執の高まりとともに鹿ケ谷の陰謀を発端として高まる全面対立、歴史にある通りの混とんと動乱の機運が戦禍へとつながる様相が、治承三年の政変により一気に沸点に達します。

 びわ、平徳子、実質この二人を中心に物事は、大河ドラマという通り一人の力では抗う事は出来ず見るほかない大河のような流れに翻弄されているのですが、入内した平徳子は高倉天皇の皇子、のちの安徳天皇を身ごもるところで降りれぬ歴史舞台へ立つ。

 福原遷都を強行した後に、後白河法皇の平家追討院宣の発布、源頼朝の挙兵と富士川の戦い、南都焼き討ち、次第に形成は不利の様相を呈するとともにつかの間の勝利が戦術的勝利の代償に戦略的敗北を被る悪循環となり、一ノ谷など決定的敗北を重ね。

 壇ノ浦の戦いはその最終話に描かれていまして、歴史上には実在していない少女びわの視点を通し、一つの歴史が終わり一つの歴史の転換点、というものをかなりわかりやすく描いています。それはその時代を生きる人々の感情を今風に解釈したうえででも。

 安徳天皇は、壇之浦において平家と運命を共にしました、それは敗北を重ねた平家が最後に源氏への決戦を試みた壇之浦の戦いにおいて皇太后徳子とともに入水するのですが、徳子だけは引き上げられ、罪を問われることなくしかし出家、寂光院へ入る。

 三種の神器さえ帰って来るならば、別に平家を撃ち滅ぼそうとまでは思っていなかった。後白河法皇は劇中の末尾に、建礼門院徳子をここ寂光院に訪ねるとともに雲の狭間から射した陽の光が堂宇をふっと照らし、本尊を照らす様子を悲しく見上げて物語は終わる。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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