気づいてくれた
天気予報で「お出掛けされるかたは傘を忘れずに」「お出掛けをされる際は傘を持っていったほうがいいようです」というのをよく聞きますが、前回の記事に書いたように、とにかく「お」「ご」さえ付ければいいという「安心してお暮らしできるように」のような言い方があれこれ聞こえてきます。
「暮らす」の可能表現は「暮らせる」で、「暮らせる」の尊敬表現は「お暮らしになれる」ですから、「安心してお暮らしになれるように」が正しい言い方です。それでいくと、「お出掛けをされる際は」にしても本当は「お出掛けになる際は」と言わなければならないのですが、もはや「お出掛けをされる際は」は許容範囲内でしょうか。
リポーターが玄関の扉を開け、「お出迎えしてくれたのは」と言うので画面を見たら、そこにいるのは犬です。「出迎えてくれたのは」が正しい言い方だと思うのですが、いい年して犬に「お出迎えしてくれたのは」って・・・、まぁ、かわいい犬ちゃんだからそう言いたくなる気持ちも分かりますけどね(^^;。「お出迎えしてくれたのは」って、「お出掛けをされる際は」同様、幼稚な感じがします。
「お仕事」も、また新たに炭酸飲料のCMで聞きました。なぜ自分の「仕事」なのに「お仕事」などと言うのか私には理解できません。濃いメイクのきれいなお顔に合っていると言えなくもないですが。職場でも「○○は、今日はお休みを頂いておりまして」というのを聞いたのですが、おかしくないですか? 「休み」でいいと思いますよ。
それから、これは選挙の前ですが、ニュースで「○○代表は国民に深くお詫びした」というナレーションを聞きました。アナウンサーやナレーターはあくまでもニュースを伝える人であり、国民に詫びた○○代表と同じ立場でないことは言うまでもありません。「お詫びした」では○○代表と同じ立場になってしまいますから、ここは「○○代表は国民に深く詫びた」と言うべきです。
今、10代の若者の76%が「日本語を大切にしている」らしいですが、その割に変な日本語をしゃべっているのは、大人が変な日本語をしゃべり、アナウンサーやナレーター、テロップが変な日本語を堂々と広めているからではないでしょうか。
天気予報で「お出掛けされるかたは傘を忘れずに」「お出掛けをされる際は傘を持っていったほうがいいようです」というのをよく聞きますが、前回の記事に書いたように、とにかく「お」「ご」さえ付ければいいという「安心してお暮らしできるように」のような言い方があれこれ聞こえてきます。
「暮らす」の可能表現は「暮らせる」で、「暮らせる」の尊敬表現は「お暮らしになれる」ですから、「安心してお暮らしになれるように」が正しい言い方です。それでいくと、「お出掛けをされる際は」にしても本当は「お出掛けになる際は」と言わなければならないのですが、もはや「お出掛けをされる際は」は許容範囲内でしょうか。
リポーターが玄関の扉を開け、「お出迎えしてくれたのは」と言うので画面を見たら、そこにいるのは犬です。「出迎えてくれたのは」が正しい言い方だと思うのですが、いい年して犬に「お出迎えしてくれたのは」って・・・、まぁ、かわいい犬ちゃんだからそう言いたくなる気持ちも分かりますけどね(^^;。「お出迎えしてくれたのは」って、「お出掛けをされる際は」同様、幼稚な感じがします。
「お仕事」も、また新たに炭酸飲料のCMで聞きました。なぜ自分の「仕事」なのに「お仕事」などと言うのか私には理解できません。濃いメイクのきれいなお顔に合っていると言えなくもないですが。職場でも「○○は、今日はお休みを頂いておりまして」というのを聞いたのですが、おかしくないですか? 「休み」でいいと思いますよ。
それから、これは選挙の前ですが、ニュースで「○○代表は国民に深くお詫びした」というナレーションを聞きました。アナウンサーやナレーターはあくまでもニュースを伝える人であり、国民に詫びた○○代表と同じ立場でないことは言うまでもありません。「お詫びした」では○○代表と同じ立場になってしまいますから、ここは「○○代表は国民に深く詫びた」と言うべきです。
今、10代の若者の76%が「日本語を大切にしている」らしいですが、その割に変な日本語をしゃべっているのは、大人が変な日本語をしゃべり、アナウンサーやナレーター、テロップが変な日本語を堂々と広めているからではないでしょうか。