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間違いに気づけばいい、気づくことから始まるのですが、この「気づくこと」が難しいのです。本当に難しいのです。あ、いっけない、「難しい」と言ったらそこで終わりだと、1月23日の記事に書きましたね。(^^;)
ところで、この世には、とにかくやってみないと分からないということがたくさんあります。でも、ちょっとやったぐらいでは分からない、うんとやっても分からない、何十年もたってみないと分からないということもあります。それこそ、痛い目にあって初めて分かるとか、失ってから分かるとか、死んでから分かるとか。例えば、魂はあるのか、あるとしたらそれはどんな感覚なのか、生きているうちはなかなか分かるものではありませんよね。分かるのにも、それなりの縁が必要なのです。全く縁のないことは、やはり分からないまま死ぬでしょうね。これはもう頑張るとか頑張らないとかの話ではないのです。
そして、「ばかは死ななきゃ治らない」とか何とかいいますが、私に言わせれば、「ばかは死んでも治らない」です。ただし、永遠に治らないというわけではないと思いますから、なにも絶望することはないのですよ。何千年かかるか何万年かかるか知りませんが、いつかは治るでしょう。なにしろ、神様はとてつもなく忍耐強いのですから、決してあきらめません。仏教で考えてみても、五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)をすべて犯した者は地獄行き、8000地獄年の間、責め苦を負うわけですが、1地獄年は32億8500万年ですから、えーっとぉ・・・とにかく8000地獄年後にはそこを出られるのですよ!(^^;)
あはは、すいませ~ん、「何を訳の分からないこと言ってやんでぇ!」と怒られそうですね。いずれにしても、分かることのほうが圧倒的に少ないのですから、せめて、身近な人が言っていることや世間でいろいろいわれていることに対して全く無関心のまま過ごしてしまうことのないようにしたいものです。
ところで、この世には、とにかくやってみないと分からないということがたくさんあります。でも、ちょっとやったぐらいでは分からない、うんとやっても分からない、何十年もたってみないと分からないということもあります。それこそ、痛い目にあって初めて分かるとか、失ってから分かるとか、死んでから分かるとか。例えば、魂はあるのか、あるとしたらそれはどんな感覚なのか、生きているうちはなかなか分かるものではありませんよね。分かるのにも、それなりの縁が必要なのです。全く縁のないことは、やはり分からないまま死ぬでしょうね。これはもう頑張るとか頑張らないとかの話ではないのです。
そして、「ばかは死ななきゃ治らない」とか何とかいいますが、私に言わせれば、「ばかは死んでも治らない」です。ただし、永遠に治らないというわけではないと思いますから、なにも絶望することはないのですよ。何千年かかるか何万年かかるか知りませんが、いつかは治るでしょう。なにしろ、神様はとてつもなく忍耐強いのですから、決してあきらめません。仏教で考えてみても、五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)をすべて犯した者は地獄行き、8000地獄年の間、責め苦を負うわけですが、1地獄年は32億8500万年ですから、えーっとぉ・・・とにかく8000地獄年後にはそこを出られるのですよ!(^^;)
あはは、すいませ~ん、「何を訳の分からないこと言ってやんでぇ!」と怒られそうですね。いずれにしても、分かることのほうが圧倒的に少ないのですから、せめて、身近な人が言っていることや世間でいろいろいわれていることに対して全く無関心のまま過ごしてしまうことのないようにしたいものです。