手に入る
昨日、自動詞と他動詞の定義を紹介しましたが、それを踏まえて次の例文について考えてみてください。「さあ、始まろうか、というときに」「歌詞から思い浮かぶことができますよ」「到底手に入ることができない」、おかしいですか、おかしくないですか。
始まる、浮かぶ、入る、これらは自動詞ですね。「始まろうか」って、聞いたことありますか。これは「始めようか」ではないですか。「思い浮かぶことができます」っておかしくないですか。これは「思い浮かべることができます」ですよね。同様に、「手に入ることができない」も、「手に入れることができない」ですね。そんなの当たり前じゃないの、とお思いになったかたは大丈夫、だけど、うーん、分からない、というかたは・・・危ないですよぉ。
あくまでも自動詞の形で言うなら、つまり、積極的な意味を持たせないで言いたいということでしたら、「さあ、始まるぞ、というときに」「歌詞から浮かんできますよ」「到底手に入らない」となります。ちなみに、「思う」は他動詞であり、これに自動詞である「浮かぶ」をくっつけて「思い浮かぶ」というのはちょっと無理がありますね。それで、「歌詞から浮かんできますよ」です。え、何が浮かんでくるのかって? 懐かしい風景とか、ほのぼのした光景とか、ね。
昨日、自動詞と他動詞の定義を紹介しましたが、それを踏まえて次の例文について考えてみてください。「さあ、始まろうか、というときに」「歌詞から思い浮かぶことができますよ」「到底手に入ることができない」、おかしいですか、おかしくないですか。
始まる、浮かぶ、入る、これらは自動詞ですね。「始まろうか」って、聞いたことありますか。これは「始めようか」ではないですか。「思い浮かぶことができます」っておかしくないですか。これは「思い浮かべることができます」ですよね。同様に、「手に入ることができない」も、「手に入れることができない」ですね。そんなの当たり前じゃないの、とお思いになったかたは大丈夫、だけど、うーん、分からない、というかたは・・・危ないですよぉ。
あくまでも自動詞の形で言うなら、つまり、積極的な意味を持たせないで言いたいということでしたら、「さあ、始まるぞ、というときに」「歌詞から浮かんできますよ」「到底手に入らない」となります。ちなみに、「思う」は他動詞であり、これに自動詞である「浮かぶ」をくっつけて「思い浮かぶ」というのはちょっと無理がありますね。それで、「歌詞から浮かんできますよ」です。え、何が浮かんでくるのかって? 懐かしい風景とか、ほのぼのした光景とか、ね。