高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

続 なぜ山に登るのか・・

2022-01-15 10:32:25 | 主義・主張

昨日のFacebookにブログと同じ文章をアップしたところ、色々とコメントを頂き、さらに思い出すことあったので、続けます。

私が山登りを始めたのは、子どもの頃に両親がたまにハイキングに連れ出してくれたことにあります。覚えている最初の思い出は京都の鞍馬山です。大阪に住んでいた頃ですから小学5年生くらいだったかな。 天狗が出てきそうな恐ろしさを感じた深淵な大木の茂る急な登山道で、かなりキツかった。 その後、中学の担任が近所の低山歩きにも連れて行ってくれて、中2で地元千葉に戻ると、高尾山やらひとりででかけるようにもなりました。人がいない場所に地図を頼りに知らない場所に出かけるのが性にあっていたんでしょうな。 そして、高校では山岳部に入りました。高校山岳部というと夏山合宿に北アルプスをめざすというのが定番でしたが、うちの山岳部は大学のワンダーフォーゲル部が行くような関東北部の県境の藪山歩きを伝統的に続けているちょっと他とは毛色の異なる部でした。そこでますます登山にのめり込み、大学では毎週の山登りのためにアルバイトをして山へ行くというような学生でした。 なぜ、山に登るのかなんて、あまり考えなかったなあ・・、が、無心になれることは感じていたと思う。

雪山は雪崩に慄きながら渓谷をゆき、日高の稜線で吹かれ、実際に利尻では雪崩にもあったし、岩壁から滑落して大怪我をしたこともありました。 連れが長男を身ごもっていた年末年始にも冬山芦別岳に山行し、雨に打たれてビショビショになり、その後の寒冷前線通過で猛烈に気温が下がった細い稜線(たしか、本谷の第3稜だったかな・・)で暴風でテントポールが折れた中でビバークして凍傷になったこともあった。 なんであんなことをしていたんだろうと今振り返ると思うなあ・・。 厳しい山登りは、芦別から帰った直後に長男が産まれたことが契機になって、その春山合宿から岩壁登りはやめて、翌冬山も行かなくなりました・・。 あれから・・、もう40数年もたつのだなあ・・と感慨。生きていてよかったなどとの深い感慨ではないけれど、しなくてもいいことをして、切り抜けて来たもんだとは思うな。

で、昨日の続きで・・「悟り」のことなのですが、思えば悟った時が一度だけありました。(以下、ここからも長いです・・)

大学に入り、山スキー部という学生団体に入部したのですが、その五月にオフクロガくも膜下出血で倒れました。今ほど医療も進んでいませんでしたから、一度の開頭手術の後は意識のないまま人工呼吸をつけることになり、看病が必要となり私は休学することになりました。しかし、8ヶ月後には帰らぬ人となりました。 その焦燥感はとても大きくて復学する気持ちも失せてしまいましたが、周りの説得もありなんとか北海道に戻りました。が、部の同期新人連中は1年間、山にもまれてみなたくましく成長しており、ふたたび1年目からやり直す気がおこりませんでした。で、岩登りにも興味があったので、当時社会人山岳会として、名のある札幌山岳会に入会しました。しかし、私の挫折感はなかなか回復できないままでした。 そんな時、ネパールの山のことを知りました。知り合い友人学生がけっこう東南アジア、インド、ネパールに旅をしておりそれに触発されました。 アルバイトに精を出し資金をためて、翌年のポストモンスーン(秋から初冬)に友人とふたりでネパールトレッキングを敢行しました。 これはこれで、いろいろな気づきや今の人生に影響を受けたことが多々あるのですが・・、悟りというのは・・

ともかくも山が想像以上にでかかった。8000m峰ダウラギリの北壁に対峙する小さな峠(5000m台)で、見た壁の大きさ・・「世の中にはこんなにも大きなものがあるのだ!」と驚愕し、カリガンダキ川の川原横断では正面にそびえるニルギル峰の大岸壁を目指して一日歩いても、はるか遠くに大きいままで、その大きさはちっとも変わらなかった!!

目標は、カリガンダキの源流、チベット高原に近いティリッツオ湖という幻の湖だったのですが、そこは予想以上に遠く、重装備をポーターなしで担いで登っていたので、力尽きて結局断念をしたのでしたが・・、 その折も5000mを超えるくらいまで登山をしました。息も絶え絶えになり、1000位登っては降りてキャンプするという高度順化しながら数日を山中で過ごしました。 眼前にはもう平たくなったチベット高原も見渡せました。

風もなく無音の世界、ただただ大きくて広い世界・・。その時に悟ったのです・・・

なんて、俺はちっぽけなことで悩んでいるんだぁ!!

人の生き死にやひとりの人生なんて、この地球にくらべたら、宇宙に比べたら、なんと小さなものなんだ。その小さなものものが幾重にも重なりつながりあって、いのちというものがある。色即是空 空即是色な概念がわかり、オフクロの死をすんなりと受け入れることができたのです。

これは、瞬間的な悟りであったな・・、

今でも私の人生観、生命観は、色即是空 空即是色 であります。

 

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