「なぜ、山に登るのか」という質問に、高名な登山家マロリーは、「そこに山があるから」と答えたというのは有名な話しです。 大学を卒業して最初の就職先でも休暇に山登りにでかける新人社員に社長が、ワタシに同じことを聞きました。そして、そんなもの止めちまえというような説教が続きました・・。 今は、吹雪の雪稜や岩壁クライムをすることはなくなり、長い距離を歩くこともなくなりましたが、今でも山岳小説やノンフィクション物語を読んだりはしています。 今振り返ると、どうして、あんな危険な登山をしていたんだろうと思うこともあります。
とある山岳小説というか、山岳信仰を題材とした小説を読んでいて、この問いの応えとして、ちょっとしっくりとした文章をみつけたので、写し書きしTおこうと、深夜二時過ぎなので起きてきて、キーボードを打っています。
そのくだりは・・こうです。
「山に登ることは瞑想に(精神統一に)近づくことができる、もっとも容易な道のように思われました。山の頂に向かって汗を流しながら一歩一歩を踏みしめていくときには、ただ山へ登ること以外は考えなくなります。心が澄み切って参ります。登山と禅定とは同じようなものです。それは高い山に登ってみれば自然と分かってくることです。なにかしら、自分というものが山の気に解け込んでいって、自分が何であるか、人間がなんであるか、なぜ人間は死なねばならないのか、そういう難しい問題さえ自然と山の気が教えてくれるようにさえ思えて来るのです。そのような境地は登山によって身を苦しめられて得られるのではありません、登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だと思います。」
なんも悟ってはいないけどさ・・・。
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