自然学校発 黒松内だより

北の里浜プロジェクトin釜石~ハマボウフウ帰郷_行ってきた組

ひとつ前の記事で「いってきます」の記事でしたが、今回は「行ってきました」の記事になります。
5日間の活動でしたので、ある程度簡単に。

参加者:高木、巽、リーハン、けいた、もんじぃ、エゾロックなど学生3名、計8名。


12/4 黒松内、小樽、札幌に散っていた参加者をぶな森のキャビンでピックアップ。
苫小牧の港に向かいます。西港と東港を間違えるも、時間に余裕があったため大丈夫でした。

21時にフェリーが出ました。
船の中で一泊するのは、ちょっとワクワクしますね。
海はそこそこ荒れていたのですが、大きな船だったので、あまり酔うことはありませんでした。
でも、船内のお風呂は波打っていましたね‥


12/5
4:45、八戸の港に到着。普段起きない時間かつ、なんだかんだ揺れで何度も目が冷めてしまったので、なかなか眠い。
朝一で朝市に向かい、ご飯を食べました。
ご飯とお汁と、それぞれ好きなおかずを買います。焼き魚、刺し身、塩辛、何でもありです。5時半の朝食でしたが、いつも以上に食べてしまいました。

その後、ひたすら南へ。
途中、もんじぃらから、当時の被災状況を教えていただきます。
ジョイの家跡地や、

当時復興支援で共に活動した幸和自動車工業の方を訪れました。
たくましく働かれている姿に、我々の方が元気を貰います。



そして、お昼に宝来館に到着。
今回のハマボウフウプロジェクトの方々と合流です。全部で20名ほどでしょうか。


挨拶の後、釜石の被災の状況を視察し、三陸ひとつなぎ自然学校の伊藤さんからお話を伺います。
今回初めて被災地を訪問した人もおられ、ショックを隠しきれていませんでした。



ガレキこそ無いものの、沿岸部にはほとんど何もありません。

工事が至る所で続けれられています。
海には10mを超えるスーパー堤防が建てられ、居住区域には土が盛られています。

ひっきりなしにダンプが走っているので、車の窓もあっという間にホコリだらけ。
これでも土日なので少ないほうだとのことでした。

大槌町の役場


高所の津波到達地点


いたるところどころか、見るものすべてに津波の爪痕が残されています。
普段のニュースでは、もう東日本大震災のことを聞きません。しかし、今なおこの事実である、という事は知らずにいるべきではないと感じました。

その後は、今回の目的であるハマボウフウの移植、
のための、海浜植物の現状などの座学。

を受けた後、宝来館にて夕食、交流会と続きました。




12/6
本日が、ハマボウフウ移植の本番。
海浜の変化と状況について、ハマボウフウ研究会の漁師の方からお話を受け。


実際に、宝来館の近くの砂地に移植しました。

記者の人も幾人か来られていましたね。

その後、峠のカレー屋で昼食と振り返り。
文字通り山のようなカレーや、地域の食材であるチョロギ、薪ストーブで調理したおでんなどお腹いっぱい食べました。


このお昼で、ハマボウフウ移植の活動は終了。
皆さんはそれぞれの地域(東京、仙台、北海道、などなど)に戻られました。

北海道ねおす組8名はもう少し、お世話になった方などの挨拶が続きます。
世界遺産となった橋野の鉄鉱山をちょっぴりガイドしてもらい、その後に古民家改装しておられるお家を見学などなど。


そして夜は「よいどれ」改め「たそがれ」にて夕食・交流会。こちらにも復興支援の頃一緒に活動なさっていた方が訪れました。


最後にさんつなにて就寝です。
今も、仮設住宅の方はこれと同じ家で寝ておられるのですね。



12/7
もんじぃの作った朝食を食べまして、柏崎りゅうのすけさんのお家訪問ですが、仮設住宅にて狭いので、半分にわかれました。
残りの組は、さんつなで放課後活動をしているクリリンパークの見学を行いました。
手づくりの遊具が、むしろふつうのものより楽しい!

そして釜石を発つ最後に、佐々木さんやまさこさんらとお会いしました。
佐々木さんにはソバを打ってもらい、まさこさんには にや工房のオードブルを作っていただきました。
もうなんか食べてばっかりですね!



あとはもう帰るのみ。
釜石からひたすら陸路で八戸へ向かい、再びフェリーに乗りました。
12/8朝苫小牧着、札幌、黒松内でそれぞれ解散の形となりました。
以上、往復の2日間を入れて5日間の旅でした。


ハマボウフウの移植に関してです。
ぶな森では夏の長期キャンプ3週間目の最初に、チャレンジキャンプの参加者らと苗づくりをしました。
これは2週間目の途中に高木(ディレクター)から、たつみ(夏チーフ)に「やるぞ!」と急に伝えられました。
3ヶ月以上前からキャンプを計画していたのに、またそんな急な話を、しかも岩手の種を北海道で育て、またそれを岩手に返すのであればここで預かる意味は何なんだ?
と内心不満をたれていました。

しかし実際に、ハマボウフウプロジェクトの概要を神妙な顔つきで聞く子どもの姿、また被災地へのメッセージを書く姿を見て、やっと、「あぁこれはやる意味があったな」とわかりました。
実際、北海道にも東北や関東の子どもの参加者がおり、それぞれの胸にまた新しい「復興」の芽が宿ったのではないかと思います。

さんつなでは、復興を「地域の誇りを取り戻すこと」としています。
ガレキが無くなったこと、新しく家が建ったこと、それ自体が復興では無いという事です。
「釜石おいでよ いいところ」と市民が感じるように、言えるように。
もう芽は出ています。


釜石駅


三陸ひとつなぎ自然学校リンク
http://santsuna.com/

(たつみ)
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