ただの碁好きな麺や親父の雑記

麺や食堂爺のひねもすのたりのたりかな

稲刈り間近

2018-08-15 12:54:53 | 日記
これが5月の下旬に植えられた苗これが5月28日の写真です。
だいぶ大きくなしましたね、
これが7月の写真すっかり大きくなった。

これが今日の、写真
もう稲穂がしっかりできていました。
後は、雑草を刈ったり水をやったり?
早ければ後1ヶ月ちょっとで穫り入れができるのかな、
楽しみだねー
人の畑ですが、田植えをしている所から、見ているから、
何と無く楽しみです。
去年は、刈り取りしているところを見たんです。
偶然ですが
すごいですよ!^_^ 機械化がね。
今は 刈り取ってそのまま、お米が出て来るのね。
勿論精米する前の状態ですが、そのまま袋に入れてましたね。
今は干さないのかな?
ウチらが小さい頃は刈り取ってそのまま田圃に干してました。
を覚えていますが。
違うのですかね?
その干してある稲にイナゴがいて、
学校が終わると、手拭いで作った袋の入り口に竹を20センチぐらいに切ったのを差して、
そこから、とったイナゴを竹の入り口から、袋に入れて、いっぱいになると、家に帰ってきました。
捕まえて佃煮にして食卓に出たのですが
今はとっても食べれませんが、気持ち悪くてね。
当時は脚だか、手だかわかりませんが、カリカリして、美味しかった記憶があります。

お寺さん

2018-08-13 23:44:35 | 日記
今日は8月13日月曜日
厚木地方はお盆です。
迎え火を焚いて、先祖の供養をする大切な日です。
朝から家の仏壇を綺麗にしてあげて、お墓まいりの花💐🌸🌼などを用意して、
お寺に行って花をいっぱい飾ってあげ、日頃のご無沙汰を詫びながら墓石の掃除をしてあげ、迎え火を早めにしてあげました。
これは毎年やる行事で、本家としての責任ですね。
3日間がとても忙しなくなります。
今の時代このような行事をつつがなくやる事自体が、大変になりつつあります。
家族、兄弟段々薄くなって来るのは仕方ない。
人間の営みが途切れることが多くなりつつあるようなかんじですね。
結婚しない人、子供がいない夫婦、
なんだか考えると心配になりますね。
昼の時点で35度ありました。
お寺に行くことも大変です🏃‍♂️
今日の暑さがなんと辛かったこと。
まさに酷暑、残酷物語でした。

家康の凄さ

2018-08-09 23:10:47 | 歴史
今日は9日の木曜日です。
台風13号の通り過ぎたというのに、晴れてない。
曇り空で電車も空いています。
ロマンスカーが運行停止で、急行て新宿まで行きました。
流石に新宿まで来ると、人、人です。
高田馬場まで来るともっと、凄いです。
夏休みなのになんで学生が多いのかな?
出来が悪くて、補習でも受けてるのかな。
冗談
蒸し暑くなり、なんだか梅雨どきみたいです。
ぶら歩きは大変ですから、足はバスです。
都バスの中は冷房がよく効いて、快適です。
今日の勉強は、
家康の徳川幕府が長い間政権を維持できたのか?
室町幕府では、将軍がいて、その他に、将軍に匹敵する大名がいた。
細川、畠山などの管領「副将軍みたいな存在」が存在して、バランスが崩れるとすぐ争いになる。
将軍の求心力が低下すると、小競り合いが始まり、
最後は応仁の乱があり、
そのまま戦国時代へと突入
家康は政権を取るまでに、信長、秀吉のやり方を目の当たりで勉強出来た事も良かったし
三代家光の時代までの徳川幕府がしっかりとした、
組織を作り上げた事が挙げられる。
外様大名は、石高は有りますが、政治に口出しはできない。
譜代大名は、主に10万石以下にとどめ、老中、若年寄のような政治を行う要職につけた。
徳川幕府に権力が集中するシステムにした。
然も外様大名は参勤交代で、莫大なお金を使わせた。
まだまだほかにいろいろ有りますが.
外様大名の財力を削ぐ事が、謀叛を起こさせにくい状態を作っていった。



秀吉の親類大名

2018-08-07 11:10:00 | 歴史
今日は、台風が来る前の静けさですかね
曇っていますが雨は降ってません。
気温も22度です。
寒くはないけど、今までの猛暑は何処に行ったのみたいな感じで。凌ぎやすくていいですね。
ただ雨予報が怖いね。
今駅でロマンスカーを待っています。
今日は家康の江戸城の天下普請について学びます。
家康の成し遂げた天下は、信長や秀吉とは違う盤石なものでした。
家康が今川の人質生活が長かった為、
耐える事を学んだのもいい事だったのでしょうか?
取り敢えず強い大名に臣従して生き延びようとする、知恵でしょうか。
家来達も家康が戻ってくるまで、頑張ろうと一致団結して、まとまっていたのも良かったし、
又家来達も優秀な武将が多かった事も、家康に幸いした。謀叛をして家康の元を離れた部下もいたが、
大半は家康を盛り立てて、徳川の基礎を築いた。
早くに秀忠を2代将軍を決めて、世襲の形を決めたのもいいですね。
秀吉の北条攻めの後、関東に移封されたのも、家康にとっては、大変良かったのだと思います。
一時期240万石を領有する大大名だった北条の後任せられた。
しかも北条勢は根こそぎ滅亡。
そっくり空いた領地を家康の重臣を配置、
これは秀吉の意向が入った配置で、未だ動きがわからない東北地方の抑えの為、本多忠勝、大久保忠世、井伊直政、榊原康政 、鳥居元忠、らを、秀吉は自分の意向に沿わせた。
秀吉の力を誇示したみたいです。

家康は豊臣秀吉の親類大名としての立場で動いていくことになる。