自分で現像をやりはじめてから気がついたことがある。
それは、写真には裏側があるということだ。うーん、あたりまえのことだけどね。
デジタルカメラのイメージをプリンタで出すとき、その映像は紙の表面のほんの表面にしか存在しない。勿論、アナログカメラで撮った写真だって色素は表面の近いところにしか存在していない。物理的には、少なくとも。
でも、モノクロ写真を自分で現像すると、イヤでも印画紙の裏側を見ることになる。印画紙にもいろいろと種類があることも分かってきた。RCペーパーだと、それほどでもないが、バライタ紙のときは印画紙の全てに薬液がしみこんでいることを実感する。目には見えなくても映像は紙の裏にも存在するのだ。薬液につっこんんでふにゃふにゃになったバライタ印画紙は一杯に薬を吸い込んでパンパンになっている。
最近バライタ紙に焼いた写真を頂いたのだけれど、その深い味わいに感動した。
すばらしい写真を撮るためには、実はカメラや写真の撮影テクニックそのものは重要ではないのかもしれない。写真をとろうとしたときの思いや印画紙、そうした目には見えないディテールの積み重ねが、写真をただの記録メディアから芸術に昇華させるのだと思う。
それは、写真には裏側があるということだ。うーん、あたりまえのことだけどね。
デジタルカメラのイメージをプリンタで出すとき、その映像は紙の表面のほんの表面にしか存在しない。勿論、アナログカメラで撮った写真だって色素は表面の近いところにしか存在していない。物理的には、少なくとも。
でも、モノクロ写真を自分で現像すると、イヤでも印画紙の裏側を見ることになる。印画紙にもいろいろと種類があることも分かってきた。RCペーパーだと、それほどでもないが、バライタ紙のときは印画紙の全てに薬液がしみこんでいることを実感する。目には見えなくても映像は紙の裏にも存在するのだ。薬液につっこんんでふにゃふにゃになったバライタ印画紙は一杯に薬を吸い込んでパンパンになっている。
最近バライタ紙に焼いた写真を頂いたのだけれど、その深い味わいに感動した。
すばらしい写真を撮るためには、実はカメラや写真の撮影テクニックそのものは重要ではないのかもしれない。写真をとろうとしたときの思いや印画紙、そうした目には見えないディテールの積み重ねが、写真をただの記録メディアから芸術に昇華させるのだと思う。