私たちは「目で物を見て」「鼻でにおいをかぎ」「耳で音を聞き」、「触ってものの感触を得て」いる。当たり前すぎて、だからどうしたと言われそうな話だ。時々テレビなどで目の錯覚に関する番組を見たりすることはあるかもしれない。実際には同じ長さの線が、両端についた矢じりのような形によって長く見えたり短く見えたりするという例は、よく知られた目の錯覚だが、それはまあ普通の話ではない。
話は変わるが、プロ野球の選手の中でも一流中の一流と言えば王選手だが、彼が現役時代、ホームランを量産しているときには、
「ボールが止まって縫い目まで見える。」
と、スイングの瞬間の集中力を述べていたことがあったように記憶している。でも果たして時速140km/s以上の剛速球がホームベースを通過するときに、回転するボールの表面にある縫い目が人間の目で本当に見えるのだろうか。もちろん普通の人には見えなくても、超一流の王選手には超人的な技術が備わっていたに違いないから、そんなことだって易々とできたのかもしれない。
ところが最近読んだ本 にとても面白い数字がでていた。プロの投手の手からボールが離れてからホームベースを通過するまでに約0.4秒ほどかかるのだという。一方、投手の手から離れた瞬間の映像が網膜に映ってからスイングを開始するまでの最短時間が0.2秒であり、実際にスイングをする時間がさらに約0.2秒かかるのだという。要するに脳は受けた信号を処理するのに結構な時間を必要とするのだ。このことは、つまり、投手からボールが投げ出された瞬間にバットを制御してスイングを始めない限り、ホームベースの上を通過するボールにミートすることはできないことを意味する。王選手が縫い目が見えたと言っていても、それは物理的に不可能な話なのである。ホームベース上のボールの縫い目が見えて、それを脳が認識したときには、ボールは大分前にミットの中に納まっているのである。バッティングにおける脳の処理スピードは絶望的に遅いのだ。
とすると、王選手はうそをついていたのだろうか?いや、そんなことがあるはずが無い。第一彼は800本以上のホームランを実際に量産しているのだ。では、この矛盾はどうやったら解決されるのだろうか。どうも人間の脳というのは、ボールの速さを考えに入れてボールの位置の変化を推定して「この辺に見えるかなあ」というイメージをあたかも今見えているかのように頭の中に映し出しているということらしいのだ。我々が感じている「今」と言うのは、実は意識の下にある複雑なメカニズムの複雑な計算の結果によってつくり出されたバーチャルリアリティなのだというのである。数字から見るとそういうことにしないとつじつまが合わないのだ。そうだとすれば、ボールの縫い目が見えようが、ボールがとまって見えようが、何でもありになる。だって、バーチャルリアリティなんだからソフトを変えればどうにでもできる。
以上の議論によれば、実は我々は世界の実像なんか見えていないのだということが明らかになった。でも科学者であるためには自然の在り様に目を凝らし、耳を澄ましてみることが大事だと教わった。ビジネスマンは市場の言葉に耳を傾けて、それを具現化することが大切だとも教わった。でも、実は我々は目の前にある事柄を何にも見てはいないのだ。なんともおかしなことになってきた。
でも、自分のことはわからなくても他人の行動を見ていると、時々そうかも知れないと思うこともある。人は、物を見るとき自分が見たいところしか見ないではないかと。相手が嫌なやつだと思ったら、いくらその人が良いことをしても、それをストレートに受け取ることはまず無い。頭の中であらかじめ作られたシナリオに沿った形でしか認識されない。それって確かにバーチャルリアリティといってもいいかもしれない。自分ではわからないから、そんなことわかってもしょうがないと思うかもしれない。でも、自分が見えているリアリティがそれほど「リアル」ではないということを知ることは、あながち無駄な情報ではないような気がする。
ロバート・A・バートン (著), 岩坂 彰 (翻訳) 「確信する脳---「知っている」とはどういうことか」
話は変わるが、プロ野球の選手の中でも一流中の一流と言えば王選手だが、彼が現役時代、ホームランを量産しているときには、
「ボールが止まって縫い目まで見える。」
と、スイングの瞬間の集中力を述べていたことがあったように記憶している。でも果たして時速140km/s以上の剛速球がホームベースを通過するときに、回転するボールの表面にある縫い目が人間の目で本当に見えるのだろうか。もちろん普通の人には見えなくても、超一流の王選手には超人的な技術が備わっていたに違いないから、そんなことだって易々とできたのかもしれない。
ところが最近読んだ本 にとても面白い数字がでていた。プロの投手の手からボールが離れてからホームベースを通過するまでに約0.4秒ほどかかるのだという。一方、投手の手から離れた瞬間の映像が網膜に映ってからスイングを開始するまでの最短時間が0.2秒であり、実際にスイングをする時間がさらに約0.2秒かかるのだという。要するに脳は受けた信号を処理するのに結構な時間を必要とするのだ。このことは、つまり、投手からボールが投げ出された瞬間にバットを制御してスイングを始めない限り、ホームベースの上を通過するボールにミートすることはできないことを意味する。王選手が縫い目が見えたと言っていても、それは物理的に不可能な話なのである。ホームベース上のボールの縫い目が見えて、それを脳が認識したときには、ボールは大分前にミットの中に納まっているのである。バッティングにおける脳の処理スピードは絶望的に遅いのだ。
とすると、王選手はうそをついていたのだろうか?いや、そんなことがあるはずが無い。第一彼は800本以上のホームランを実際に量産しているのだ。では、この矛盾はどうやったら解決されるのだろうか。どうも人間の脳というのは、ボールの速さを考えに入れてボールの位置の変化を推定して「この辺に見えるかなあ」というイメージをあたかも今見えているかのように頭の中に映し出しているということらしいのだ。我々が感じている「今」と言うのは、実は意識の下にある複雑なメカニズムの複雑な計算の結果によってつくり出されたバーチャルリアリティなのだというのである。数字から見るとそういうことにしないとつじつまが合わないのだ。そうだとすれば、ボールの縫い目が見えようが、ボールがとまって見えようが、何でもありになる。だって、バーチャルリアリティなんだからソフトを変えればどうにでもできる。
以上の議論によれば、実は我々は世界の実像なんか見えていないのだということが明らかになった。でも科学者であるためには自然の在り様に目を凝らし、耳を澄ましてみることが大事だと教わった。ビジネスマンは市場の言葉に耳を傾けて、それを具現化することが大切だとも教わった。でも、実は我々は目の前にある事柄を何にも見てはいないのだ。なんともおかしなことになってきた。
でも、自分のことはわからなくても他人の行動を見ていると、時々そうかも知れないと思うこともある。人は、物を見るとき自分が見たいところしか見ないではないかと。相手が嫌なやつだと思ったら、いくらその人が良いことをしても、それをストレートに受け取ることはまず無い。頭の中であらかじめ作られたシナリオに沿った形でしか認識されない。それって確かにバーチャルリアリティといってもいいかもしれない。自分ではわからないから、そんなことわかってもしょうがないと思うかもしれない。でも、自分が見えているリアリティがそれほど「リアル」ではないということを知ることは、あながち無駄な情報ではないような気がする。
ロバート・A・バートン (著), 岩坂 彰 (翻訳) 「確信する脳---「知っている」とはどういうことか」