なんでもアメリカの住宅ローンの焦げ付きに端を発した株安が世界を駆け巡っているらしい。我が家のわずかな株資産も軒並み値下がりしている。
この話、ホントのところどの程度信用できるのか。見方を変えると、この事件は世の人々が心の中に世界経済に対する不安感を投影しているとは言えないだろうか。極論すれば、サブプライムとかいうローンの話の真偽などどうでもよいのである。それっぽく経済の専門家がそうだといえばそれで十分なのである。そお墨付きよって、それは事実となる。
世界の経済が成長を維持できるかどうかは、実は我々の気持ちひとつにかかっているのだ。気持ちと事実というのは、そういう関係にある。そう、ユングが言ったコンプリメンタリーとはこういうことなのだ。
この話、ホントのところどの程度信用できるのか。見方を変えると、この事件は世の人々が心の中に世界経済に対する不安感を投影しているとは言えないだろうか。極論すれば、サブプライムとかいうローンの話の真偽などどうでもよいのである。それっぽく経済の専門家がそうだといえばそれで十分なのである。そお墨付きよって、それは事実となる。
世界の経済が成長を維持できるかどうかは、実は我々の気持ちひとつにかかっているのだ。気持ちと事実というのは、そういう関係にある。そう、ユングが言ったコンプリメンタリーとはこういうことなのだ。
「ユングは対概念を好んで使い、あらゆる心理現象を、一対の対極の間を流れる心的エネルギーの表れとして考えていた。そしてこの両者はお互いに補償にし合う存在だが、彼はそこで、両者が補足し合って完全となるという意味をもつコンプリメンタリーという用語と、両者がシーソーのようにバランスをとって全体の調和をはかるコンペンセイトという用語を使い分けている。
心を一つの総体として考えれば、対局的なものが合体して一者となるわけだが、心が無限の未知の世界ひらかれているものと考えれば、この一者は調和的な存在と考える他はない。」秋山さと子、“ユングの心理学、”p.152
表と裏、前と悪、愛と憎しみ、すべての対立する概念の間を流れるエネルギー、それが心だという。わかりやすく言えば、心とは迷いであり逡巡であるのだ。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、明日どうしていいのかさっぱりわからない中を、不安の中でまた一歩踏み出す。はたしてその選択は正しかったのか、自信もなく後悔する。それが心なのだ。
ユングは、1961年の6月に他界した。実は僕は同じ年の8月に生まれている。自分をユングの生まれ変わりというつもりはないけれど、彼の人生はなんだか自分の人生にも重なって見える気がする。
心を一つの総体として考えれば、対局的なものが合体して一者となるわけだが、心が無限の未知の世界ひらかれているものと考えれば、この一者は調和的な存在と考える他はない。」秋山さと子、“ユングの心理学、”p.152
表と裏、前と悪、愛と憎しみ、すべての対立する概念の間を流れるエネルギー、それが心だという。わかりやすく言えば、心とは迷いであり逡巡であるのだ。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、明日どうしていいのかさっぱりわからない中を、不安の中でまた一歩踏み出す。はたしてその選択は正しかったのか、自信もなく後悔する。それが心なのだ。
ユングは、1961年の6月に他界した。実は僕は同じ年の8月に生まれている。自分をユングの生まれ変わりというつもりはないけれど、彼の人生はなんだか自分の人生にも重なって見える気がする。
昨日まで、アメリカの作家の戦争サスペンスを読んでいたが、読了したのでこんどはユングを読んでいる。精神科医ユングにはずっと興味を持っている。何冊か読んだことがあるが、久しぶりにまた読んでいる。本屋で気になって手に取ったりはしていたのだが、なんか読む気がしなかった。それが突然読みたくなった。どうしたんだろ?
結構ユングというのは霊感とか神秘的な話とかシンクロニシティとか”うさんくさい”話がいっぱい出てくる。でも僕は全然そういううさん臭い話を平気で受け入れられる。全然うそくさいと思わない。
みんな読んだらまた感想を書きたいと思う。
結構ユングというのは霊感とか神秘的な話とかシンクロニシティとか”うさんくさい”話がいっぱい出てくる。でも僕は全然そういううさん臭い話を平気で受け入れられる。全然うそくさいと思わない。
みんな読んだらまた感想を書きたいと思う。
松江から帰ってきて千葉の空を眺めてみた。なんとも貧弱。さすがに木星は明るいが、アンタレスでさえ息も絶え絶えという感じ。
でも、よくさそり座のしっぽを眺めていると、いて座がかろうじて見えている。南から西の空は船橋の方向でさらに空は明るいが、その中でも何とかいて座を確認できた。
ものは考えようかもしれない。見えないと思えば何も見えない。見ようとすればなんでも見える。
物事は万事そんなものかもしれない。
でも、よくさそり座のしっぽを眺めていると、いて座がかろうじて見えている。南から西の空は船橋の方向でさらに空は明るいが、その中でも何とかいて座を確認できた。
ものは考えようかもしれない。見えないと思えば何も見えない。見ようとすればなんでも見える。
物事は万事そんなものかもしれない。
Televue-85 Nagler 5 16mm
わし星雲とよばれているが、肉眼ではただの散開星団にしか見えない。それにしても空が暗いと、手元の紙を見るのも一苦労。赤いランプを持っていかなかったので、懐中電灯をつけるたびにしばらく星が見えなくなる。都会ではなかなかこういうことはないねえ。
わし星雲とよばれているが、肉眼ではただの散開星団にしか見えない。それにしても空が暗いと、手元の紙を見るのも一苦労。赤いランプを持っていかなかったので、懐中電灯をつけるたびにしばらく星が見えなくなる。都会ではなかなかこういうことはないねえ。
Televue-85 Nagler 5 16mm
いて座の上のほうにあるたて座というマイナーな星座になる散開星団。たぶん初めてのスケッチだと思う。空が暗いと双眼鏡でも星団のありかがはっきりわかる。星探しってホントはこんなに楽しいのねって感じだ。
いて座の上のほうにあるたて座というマイナーな星座になる散開星団。たぶん初めてのスケッチだと思う。空が暗いと双眼鏡でも星団のありかがはっきりわかる。星探しってホントはこんなに楽しいのねって感じだ。
Televue-85 Nagler 5 16mm
実家の松江で見たいて座のM17。白鳥星雲とかオメガ星雲と化言われている。確かに白鳥の翅と首の部分は何となくわかる。それにしても松江の空は結構暗くってよく星が見えた。田舎はいいなあ。
実家の松江で見たいて座のM17。白鳥星雲とかオメガ星雲と化言われている。確かに白鳥の翅と首の部分は何となくわかる。それにしても松江の空は結構暗くってよく星が見えた。田舎はいいなあ。
富士のモノクロフィルムの30.5m巻は、確か3月一杯で生産終了になったはずだった。たぶんそうなんだろうけど、いまだに量販店では店頭に並んでいるのを見かける。
でも、もう本当になくなるんだろう。今日ヨドバシ秋葉にいったら2本だけあった。なくなったらコダックのロールにかえるのかそれともプレストのフィルム単品を買うのかはわからないけど、いろいろ様子の分かっているプレストをつかえれば使いたい。ということで、一缶お買い上げ。今使っているやつもそれほど沢山は残っていないので、いいとしましょう。
でも、もう本当になくなるんだろう。今日ヨドバシ秋葉にいったら2本だけあった。なくなったらコダックのロールにかえるのかそれともプレストのフィルム単品を買うのかはわからないけど、いろいろ様子の分かっているプレストをつかえれば使いたい。ということで、一缶お買い上げ。今使っているやつもそれほど沢山は残っていないので、いいとしましょう。
何本かのポジフィルムが現像から上がってきた。あまり歩留まりは良くなかったが、それでも何枚かのいい写真もあった。心配した夜のフラッシュ撮影だが、それなりに写ってくれていた。ただ、暗がりの踊り子さんたちの写真などは赤眼になってしまって、ちょっと不気味。ああいう時はちゃんと赤目防止機能をつかうべきだった。クラッセのレンズはとても派手にくっきりと写っていて、見ていてとても楽しくなる。レンジの良しあしがそんなにわかるわけではないけど、結構いけてると思う。
まだ、プリントしていないのでスキャナに取り込めない。やっぱりネガを読み込みできるスキャナが欲しいなあ。
まだ、プリントしていないのでスキャナに取り込めない。やっぱりネガを読み込みできるスキャナが欲しいなあ。