八障連通信339号をアップします。
通信339号【PDF版】はこちらから
通信音声版です。
【事務局通信Vol.52】(音声版はこちらから)
【編集部より】(音声版はこちらから)
【お知らせ掲示板】(音声版はこちらから)
【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 24】(音声版はこちらから)
【連載コラム 『日々のなかから、』 <もしも障害がなかったら...> Vol.43 八障連代表 杉浦 貢】(音声版はこちらから)
事務局通信Vol.51】
今年の夏は梅雨明けが早かったことや、通常の夏では考えられない気温の高さが続き、さらに長く続く雨や台風の影響、北海道では地震の災害...。被災地の方々におかれましては、より早く通常の生活に戻れるようお祈りいたします。
さて、私たちの福祉の環境も今年度から単価変更や、新サービス(定着支援)など変更により、混乱をもたらしていることが多々あります。直近ですと障害者雇用の問題です。現段階で 3,000 人後半の雇用の水増しと言われていましたが 4,000 人を超える水増しのとのこと。障害者の雇用数水増しについて各障害者団体から声明や抗議文などが出されています。本来、制度を理解し率先して、一般企業の見本となるように雇用促進をしていくべき機関が、今回のような不祥事を起こしてしまえば、行政への信頼の失墜は免れないことは確実。また、障害者雇用にて社会参加を目指していた方々に対し、人権侵害をしたことになるのではと思われます。現在一般の企業に出されている雇用率について、決して低くない数字であり、その設定について真摯(しんし)に取り組んでいるのです。そのことを行政も襟(えり)を正し、今後達成されていない雇用をどのように取り組んでいくのか、また、なぜそのような事態に陥(おちい)ったのかなど原因の解明が必要不可欠であると思われます。今後の動きについても気を付けてみていきたいと思います。
◆老人福祉関連の情報交換会に参加しました◆
八障連として、7 月から老人福祉の関係で開催されているカフェ形式での情報交換会に参加させていただいております。その中でやはり障害の分野も担(にな)っていきたいと挑戦をされている事業所さんもいて、取り組みや考えについてお話を聞けることがあります。また、我々障害福祉にかかわっている事業所や職員が参考にしていければと思ったのですが、老人福祉の関係者の方々は意見交換、情報交換会を介護カフェとか○○カフェという感じで、現場職員や地域住民の方々との交流や、勉強会を自主的に市内の各圏域やエリアごとに実施しています。 障害福祉関係は?と、周りを見渡すと、制度の変更などに翻弄され、各事業形態の連絡会などはできてきていますが、現場の職員レベルでの意見交換・連携まで、できない状況になっていると思います。老人福祉の事業を勧めているのではないのですが、現在係わっている利用者の方々に不利な状況にならないように、老人福祉においての制度や実際のサービスの状況を知っていくのは必要ではないかと思っております。
◆市との懇談会は 11 月に開催予定です◆
市の福祉課との懇談会を 11 月頃に開催予定で検討しております。ぜひ皆さんからのご意見等お寄せいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。(文責/事務局立川)
【編集部より】
★通信 339 号(9 月発行号)をお届けします。今号は特集記事として、昨年に続き緊急入院されたがその都度不死鳥のごとく回復されている小濱さんの「闘病記 その 24」を特集記事として掲載しました。ご一読ください。(M)/
★さる 9 月 4 日、セカンドハーベストジャパンの事務所(浅草橋)にお邪魔した。「ほっとスペース八王子」では、会員向けに毎日、安価で「昼食」を提供している。その食材の提供元としてセカンドハーベストジャパン(以下 SHJ と表記)と連絡を取っていたが、やっと「お話をききたい」との返事をいただいたからだ。SHJ は、食材を無料で提供しているいわゆる「フードバンク」で、浅草橋に本部がある。その活動の中心は福祉団体や路上生活者の救援活動など無料で「食事」などを提供している団体に、食材を「無料」で提供すること。SHJ が食材・食料を提供する先は原則「無料」で食料を提供している団体に限られるので、「ほっとスペース」のように有料での提供は基本的には「適用外」なのだが、障がい者福祉団体でもあるので具体的に話を聞いて判断したいとのことであった。こちらの活動状況を聞いていただき、希望通り食材提供先として契約をいただくことができた。SHJ では、大手食品企業から寄付活動で「食材」を提供してもらい、その「食材」を無料で、契約した団体に提供するが、取引の条件は事務所のある浅草橋まで取りにくること。食材は保存がきく米、調味料、ドリンクなどが中心であるが、野菜やフルーツなどもあり、事務所に来てみてあれば引き取り可能であるとのことだった。運搬用に大型の冷蔵冷凍車を 1 台所有、埼玉県に倉庫もあり NPO 法人格を取得して手広く活動されている。興味のある方は、こちらを参照ください。(Y)→http://2hj.org/about
【お知らせ掲示板】
八障連運営委員会 10 月 15 日(月)18:30~21:00 クリエイトホール
【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 24】
回からの続きとして、インターフェロン療法(INF療法)の事を書こうと準備していたが、8 月 1日の受診で血液検査の結果、貧血状態が酷(ひど)くなっていることが分かった。5 月の受診時も少し貧血傾向を示してはいた。「5 月のデータは許容範囲だが、今日のデータはまずいね。便が黒くなったりしていない?」と食道静脈瘤(しょくどうじょうみゃくりゅう)からの出血を危惧(きぐ)しているようだった。この 1 ヶ月ばかり胃の調子が悪く、毎日胃薬を飲んでいる事、何か変だなと感じている事を伝えた。去年の事(食道静脈瘤破裂)があるので、便はいつも観察しているつもりだったが、黒い便は一度も認めていなかった。ただ、そう言えばうんこ色の便は暫(しばら)く見ていない事、こげ茶のような便が多いかなと告げると、朝食を食べていないことを確認するや直ぐ内視鏡検査室に電話し、検査の手配をして下さった。タイミングよく、去年も面倒を見て下さった鈴木 Dr が検査室にいる事も分かった。
内視鏡検査の結果を見せてくれながら、2 ヵ所の微小な傷口があり、恐らくここから出血しているだろうと指摘され、2 日に緊急入院と相成ったのである。検査所見にも EVL が必要と書かれていた。直ぐにパオに電話を入れ、10 日ばかりのお休みを伝えた。しかし、気掛かりな事がひとつあった。八障連通信の原稿である。締め切りが迫っていたが、まだ完成には程遠かった。というのも、前回に書いたが過去 30 数年分の検査データをエクセルに入力していたのだが、丁度 INF 療法を受けていた 3 年 9 ヶ月の間の 2 年間近くのデータが届いていなかった。問い合わせた処、その期間はカルテが B5 版から A4 版へ変更になった頃で、カルテの一部が何処かへ紛れているのだろうとの事。薄暗い、埃(ほこり)だらけの倉庫を探さなくてはいけないとの事でとても間に合いそうもなかった。そんな顛末(てんまつ)を深夜の 2 時近くまでパソコンに向かって書こうとしたのだが、気持ちが乗らず、ギブアップしてしまった。
8 月 2 日に入院して、その日の内にレントゲン、心電図、エコー、MRI など全ての検査を終え、3 日には内視鏡結紮(けっさつ)術(EVL)を行った。もう 4 回目の手術なので、慣れたものだ。癌の手術のような大掛かりなものではないので、精神的に気楽でもある。今回はとても嬉(うれ)しいこともあった。手術前の検査用内視鏡、手術時に使用する太い治療用内視鏡のどちらを挿入する時も殆(ほとん)ど抵抗なく呑(の)み込めた。スムーズな展開に我ながら感動し。何故なら、いつも嘔吐(おうと)反射が起こってしまい、力を抜いてとスタッフからいつも声を掛けて貰って何とか挿入できる状態だったからである。いつだったかは、嘔吐反射が強く、女性の検査技師さんが肩に手を置き、強張った身体の緊張をほぐしてくれた時もあった。嘔吐反射が全く起こらなかったのは初めてであり、いつもはいつの間にか流れ出て来る涙に恥ずかしさも感じていたが、今回は全く涙を見ることはなかった。
出血している処は 2 ヵ所あるが、微妙に近くて両方を止めることはできず、大きい方だけを結紮したに留まった。わずか 10 数分とあっけないプチ手術である。去年と同じ若手のナイスガイの緒方 Dr の手際良さでもある。その日は横たわったまま、IC レコーダーに録音してある幾曲ものクラシックを聴き大人しく過ごした。ベッドの上で尿瓶におしっこをするのはいつも精神的にとてもくたびれるので、今回は尿道管を挿入して貰った。
4 日には病棟内歩行の許可が出て、昼食からゼリー食が出た。ゼリーはあっけなく終わり、後を引く感じで、寧ろ絶食の方が精神的には楽かもと思わせる。
麩の卵とじゼリー、里芋煮ころがしゼリー、はんぺん煮付ゼリーなど奇妙な味わいでもある。5 日から 5 分粥(かゆ)、6 日からは全粥、7 日になってやっ
と肝臓食(並)。米飯の美味しさは矢張り格別だ。でも、お粥の間は 10 時と 15 時にアップルゼリーやクリームワッフルなどのおやつが出たのには感激した。
7 日の夜に、血液検査の結果が良好だったとの事で退院許可が出た。入院以来鈴木 Dr の顔を見ていなかったが、出張や講演が重なり病院に居なかったと言いながら 7 日の夜ベッドサイドに来て下さった。1 ヵ所の傷口はふさげなかったが、小さいものだから大丈夫だと思うよとのこと。渡りに舟と私の方も夏の旅行計画の相談を持ち掛けた。2 回目の北海道ツーリングははなから諦めていたが、沖縄でのヨットセーリングの誘いも受けていたし、これまで一度も足を踏み入れたことのない山陰地方ツーリングなど楽しみにしていることが一杯あった。小さいとは言え開いた傷口があるので、3 か月間の飛行機搭乗禁止、バイクは乗っても良いが、関東圏を出るツーリングの禁止、遠くまでの旅行も避けるようにと制限された。なるべくおとなしくしていてよだって。テニスま
で禁止されては敵(かな)わないので、触れずにおいた。
台風が関東付近を伺って北上中らしい。らしいというのは、今回の入院で初めてテレビなし新聞なしという生活を試みたので状況が手に取るようには分からないのである。わずかラジオのニュースだけが世間との接点となっているが、それもあまり聞かないようにしてみた。ラジオは主に NHF-FM から流れるクラシック番組に耳を傾けていた。台風が過ぎ去るまで待つと 10 日位になるかもしれず、来襲前に帰宅しようと 8 日の朝食後早々と病室におさらばをした。外に出ると既に風雨が強く、帰り道の車には時に叩きつけるような強い雨が降きつけ、吹き飛ばされそうなくらいの揺れを感じる強い風を受けることもあ
った。パオには 13 日から出勤し始めたが、月・水・木だけでその他の日は家でゴロゴロしながら大人しくしていた。しかし、どうも調子が良くない。鬱(うつ)っぽくなり、身体もだるく感じられ、何もする気が起きなくなった。ゴロゴロしているとドンドン下降して行く感触に襲われた。3回目の癌(がん)の治療であるラジオ波凝固法の治療の前後でも同じような事があり、高尾山トレッキングを始めてから少しずつ活力が戻って行った。ゴロゴロしていちゃダメになるなと感じ、20 日に久し振りにコートに行ってみることにした。皆さん驚きの表情を隠さず、無理しちゃだめだよと有り難く声を掛けて下さる。ゴロにゃ~ぁ。体調と相談しながら、週に 2~3 日、2~3 時間のプレーに抑さえて今日に至っているが、発展途上の身の上には 20 日のブランクは大きく、我ながら随分うまくなったなと感じていたプレーは夢で見た幻のようで、すっかり初心者のような拙(つたな)い動きに舞い戻っている。そうなると当然楽しくは感じられず、周りにも迷惑を掛ける。ひとりで山に登るのとは訳が違う。楽しければ自然にプレー時間も長くなるが、楽しくなく、気兼ねもするようになると早く切り上げることになる。今の身体の状態からするとその方が良いのかもしれず、焦りは禁物と自分に言い聞かせながらの毎日である。
初心者に戻ったスイングやサーブでも楽しくプレーできる組み合わせがあり、その人達と組めた時には存分に楽しい時間を過ごすことができる。そういう時はダブルフォールト(サーブの失敗)を連発することもなく、スムーズにプレーが進行する。テニスという競技はメンタルなスポーツだとつくづく感じている今日この頃である。この数日は雨でコートの使用ができない日々が続いている。これも天の恵みと考えている。ゆっくりと休めるからだ。明日(9月 5 日)は退院後初めての外来である。血液検査の結果が楽しみだ。(続く)
【連載コラム 『日々のなかから、』 <もしも障害がなかったら...> Vol.43 八障連代表 杉浦 貢】
はや単純に『お暑うございます』などという言葉が生温く感じるほどの殺人的な...文字そのままに殺人的な前代未聞の酷暑が続いた夏でした。みなさま、ご無事にお過ごしでしょうか。
9 月に入り、急に秋らしくなった今日この頃ですが、体調の維持、管理が難しい障害当事者の方々はもちろんのこと、障害のある人に寄り添う支援者の方々も、くれぐれもご自愛くださいませ。当事者と支援者、双方が無事息災でなければ、本当の意味でより良い介護・介助とはなりませんから。また 6 月 28 日から 7 月 8 日頃にかけて、全国的に広い範囲で記録された集中豪雨の被害やつい最近北海道南部を襲った地震の被害も深刻のようです。もちろん被災された全てのみなさんが一日も早く平和な日々を取り戻されますようにと願うところですが...どうしても気にかかってしまうのは...、『取り分けて、障害の重い人たちはどうしているのだろうか』・『被災した人たちのうち何割が障害者で、そのうち何人が無事に避難できただろうか』ということ...。そして被災した障害者たちはどの程度、適切な支援が受けられているのだろうか』という事でしょうか。
連日、被害の大きさ、自然の猛威の凄(すさ)まじさはニュース等で伝わってくるものの...被災地における障害者の様子というのは、いかにインターネットを駆使してもなかなか伝わってきません。いずれ充分な情報が集まりましたら改めてこのコラムで語らせていただくとして、ひとまず今回は別の話題を。
学校訪問で子どもさんと話すときによく出る質問に『もし歩けていたら(障害が無かったら)何がしたいですか?』というのがあります。正直な本音として、産まれつきの脳性麻痺(まひ)で、出産時にはもう、普通の赤ん坊とは、いろいろと違っていたようですし...物心ついたときにはもう、障害者としての自覚というか...『自分は、他の人と同じ生活はできないだろうな』という意識がなんとなく芽生えていたので、ずっと『障害の無い人生』というものを考えるとがあまりありませんでした。
過去にはぼんやりと『動物の学者になりたい』という夢は持っていましたけれど、あまり具体的な将来像とは言いがたいものだったと思います。 実際に、明日の朝に目が覚めて、いきなり健常者になっていたりしたら大変でしょう。働き口も一から探さなければなりませんし...生まれてきてからずっと、それまでの生活で常識だったものが全て覆(くつがえ)るわけですからね。二十歳くらいの頃なら生活の切り替えもできるでしょうが、四十を超えた今となって、健常者生活は厳しいかもしれませんね。どうにか健常者の生活に馴染むのに、最低で二十年くらいかかるとして...今の私から数えて六十四歳です。
あっという間に高齢者の仲間入りです。老いること、障害のあることが不幸であるとは思いませんが、どういう道を歩むにしても、人生の後半戦に何らかの形で、生活の不便さ、不自由さと向き合うことは避けられないでしょうね。
ともあれ...学校の授業の場で...ただ乾いた砂を噛(か)み締めるようなロマンのない話をして仕様がないので、子どもさんの前では...一人の大人として、『私はいつも大勢の人たちに支えられ、助けられて生活をしています。だからもし、自分に障害が無かったら...誰かを助けたり、誰かを支えたりできるような仕事をしてみたいですね』と答えています。普段の私を知っている人には少々胡散臭(うさんくさ)くも感じるでしょうが、この答えも間違いなく、私の心の中にあるものです。まあ...子どもさんの反応は、その子、その子によってまちまちですが...先生たちは毎回必ず感動してくださいます。自分でも『いつの間にこんな答えを考えたっけ』とびっくりしているんですけどね。
通信本文はここまで。
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今年の夏は梅雨明けが早かったことや、通常の夏では考えられない気温の高さが続き、さらに長く続く雨や台風の影響、北海道では地震の災害...。被災地の方々におかれましては、より早く通常の生活に戻れるようお祈りいたします。
さて、私たちの福祉の環境も今年度から単価変更や、新サービス(定着支援)など変更により、混乱をもたらしていることが多々あります。直近ですと障害者雇用の問題です。現段階で 3,000 人後半の雇用の水増しと言われていましたが 4,000 人を超える水増しのとのこと。障害者の雇用数水増しについて各障害者団体から声明や抗議文などが出されています。本来、制度を理解し率先して、一般企業の見本となるように雇用促進をしていくべき機関が、今回のような不祥事を起こしてしまえば、行政への信頼の失墜は免れないことは確実。また、障害者雇用にて社会参加を目指していた方々に対し、人権侵害をしたことになるのではと思われます。現在一般の企業に出されている雇用率について、決して低くない数字であり、その設定について真摯(しんし)に取り組んでいるのです。そのことを行政も襟(えり)を正し、今後達成されていない雇用をどのように取り組んでいくのか、また、なぜそのような事態に陥(おちい)ったのかなど原因の解明が必要不可欠であると思われます。今後の動きについても気を付けてみていきたいと思います。
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八障連として、7 月から老人福祉の関係で開催されているカフェ形式での情報交換会に参加させていただいております。その中でやはり障害の分野も担(にな)っていきたいと挑戦をされている事業所さんもいて、取り組みや考えについてお話を聞けることがあります。また、我々障害福祉にかかわっている事業所や職員が参考にしていければと思ったのですが、老人福祉の関係者の方々は意見交換、情報交換会を介護カフェとか○○カフェという感じで、現場職員や地域住民の方々との交流や、勉強会を自主的に市内の各圏域やエリアごとに実施しています。 障害福祉関係は?と、周りを見渡すと、制度の変更などに翻弄され、各事業形態の連絡会などはできてきていますが、現場の職員レベルでの意見交換・連携まで、できない状況になっていると思います。老人福祉の事業を勧めているのではないのですが、現在係わっている利用者の方々に不利な状況にならないように、老人福祉においての制度や実際のサービスの状況を知っていくのは必要ではないかと思っております。
◆市との懇談会は 11 月に開催予定です◆
市の福祉課との懇談会を 11 月頃に開催予定で検討しております。ぜひ皆さんからのご意見等お寄せいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。(文責/事務局立川)
【編集部より】
★通信 339 号(9 月発行号)をお届けします。今号は特集記事として、昨年に続き緊急入院されたがその都度不死鳥のごとく回復されている小濱さんの「闘病記 その 24」を特集記事として掲載しました。ご一読ください。(M)/
★さる 9 月 4 日、セカンドハーベストジャパンの事務所(浅草橋)にお邪魔した。「ほっとスペース八王子」では、会員向けに毎日、安価で「昼食」を提供している。その食材の提供元としてセカンドハーベストジャパン(以下 SHJ と表記)と連絡を取っていたが、やっと「お話をききたい」との返事をいただいたからだ。SHJ は、食材を無料で提供しているいわゆる「フードバンク」で、浅草橋に本部がある。その活動の中心は福祉団体や路上生活者の救援活動など無料で「食事」などを提供している団体に、食材を「無料」で提供すること。SHJ が食材・食料を提供する先は原則「無料」で食料を提供している団体に限られるので、「ほっとスペース」のように有料での提供は基本的には「適用外」なのだが、障がい者福祉団体でもあるので具体的に話を聞いて判断したいとのことであった。こちらの活動状況を聞いていただき、希望通り食材提供先として契約をいただくことができた。SHJ では、大手食品企業から寄付活動で「食材」を提供してもらい、その「食材」を無料で、契約した団体に提供するが、取引の条件は事務所のある浅草橋まで取りにくること。食材は保存がきく米、調味料、ドリンクなどが中心であるが、野菜やフルーツなどもあり、事務所に来てみてあれば引き取り可能であるとのことだった。運搬用に大型の冷蔵冷凍車を 1 台所有、埼玉県に倉庫もあり NPO 法人格を取得して手広く活動されている。興味のある方は、こちらを参照ください。(Y)→http://2hj.org/about
【お知らせ掲示板】
八障連運営委員会 10 月 15 日(月)18:30~21:00 クリエイトホール
【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 24】
回からの続きとして、インターフェロン療法(INF療法)の事を書こうと準備していたが、8 月 1日の受診で血液検査の結果、貧血状態が酷(ひど)くなっていることが分かった。5 月の受診時も少し貧血傾向を示してはいた。「5 月のデータは許容範囲だが、今日のデータはまずいね。便が黒くなったりしていない?」と食道静脈瘤(しょくどうじょうみゃくりゅう)からの出血を危惧(きぐ)しているようだった。この 1 ヶ月ばかり胃の調子が悪く、毎日胃薬を飲んでいる事、何か変だなと感じている事を伝えた。去年の事(食道静脈瘤破裂)があるので、便はいつも観察しているつもりだったが、黒い便は一度も認めていなかった。ただ、そう言えばうんこ色の便は暫(しばら)く見ていない事、こげ茶のような便が多いかなと告げると、朝食を食べていないことを確認するや直ぐ内視鏡検査室に電話し、検査の手配をして下さった。タイミングよく、去年も面倒を見て下さった鈴木 Dr が検査室にいる事も分かった。
内視鏡検査の結果を見せてくれながら、2 ヵ所の微小な傷口があり、恐らくここから出血しているだろうと指摘され、2 日に緊急入院と相成ったのである。検査所見にも EVL が必要と書かれていた。直ぐにパオに電話を入れ、10 日ばかりのお休みを伝えた。しかし、気掛かりな事がひとつあった。八障連通信の原稿である。締め切りが迫っていたが、まだ完成には程遠かった。というのも、前回に書いたが過去 30 数年分の検査データをエクセルに入力していたのだが、丁度 INF 療法を受けていた 3 年 9 ヶ月の間の 2 年間近くのデータが届いていなかった。問い合わせた処、その期間はカルテが B5 版から A4 版へ変更になった頃で、カルテの一部が何処かへ紛れているのだろうとの事。薄暗い、埃(ほこり)だらけの倉庫を探さなくてはいけないとの事でとても間に合いそうもなかった。そんな顛末(てんまつ)を深夜の 2 時近くまでパソコンに向かって書こうとしたのだが、気持ちが乗らず、ギブアップしてしまった。
8 月 2 日に入院して、その日の内にレントゲン、心電図、エコー、MRI など全ての検査を終え、3 日には内視鏡結紮(けっさつ)術(EVL)を行った。もう 4 回目の手術なので、慣れたものだ。癌の手術のような大掛かりなものではないので、精神的に気楽でもある。今回はとても嬉(うれ)しいこともあった。手術前の検査用内視鏡、手術時に使用する太い治療用内視鏡のどちらを挿入する時も殆(ほとん)ど抵抗なく呑(の)み込めた。スムーズな展開に我ながら感動し。何故なら、いつも嘔吐(おうと)反射が起こってしまい、力を抜いてとスタッフからいつも声を掛けて貰って何とか挿入できる状態だったからである。いつだったかは、嘔吐反射が強く、女性の検査技師さんが肩に手を置き、強張った身体の緊張をほぐしてくれた時もあった。嘔吐反射が全く起こらなかったのは初めてであり、いつもはいつの間にか流れ出て来る涙に恥ずかしさも感じていたが、今回は全く涙を見ることはなかった。
出血している処は 2 ヵ所あるが、微妙に近くて両方を止めることはできず、大きい方だけを結紮したに留まった。わずか 10 数分とあっけないプチ手術である。去年と同じ若手のナイスガイの緒方 Dr の手際良さでもある。その日は横たわったまま、IC レコーダーに録音してある幾曲ものクラシックを聴き大人しく過ごした。ベッドの上で尿瓶におしっこをするのはいつも精神的にとてもくたびれるので、今回は尿道管を挿入して貰った。
4 日には病棟内歩行の許可が出て、昼食からゼリー食が出た。ゼリーはあっけなく終わり、後を引く感じで、寧ろ絶食の方が精神的には楽かもと思わせる。
麩の卵とじゼリー、里芋煮ころがしゼリー、はんぺん煮付ゼリーなど奇妙な味わいでもある。5 日から 5 分粥(かゆ)、6 日からは全粥、7 日になってやっ
と肝臓食(並)。米飯の美味しさは矢張り格別だ。でも、お粥の間は 10 時と 15 時にアップルゼリーやクリームワッフルなどのおやつが出たのには感激した。
7 日の夜に、血液検査の結果が良好だったとの事で退院許可が出た。入院以来鈴木 Dr の顔を見ていなかったが、出張や講演が重なり病院に居なかったと言いながら 7 日の夜ベッドサイドに来て下さった。1 ヵ所の傷口はふさげなかったが、小さいものだから大丈夫だと思うよとのこと。渡りに舟と私の方も夏の旅行計画の相談を持ち掛けた。2 回目の北海道ツーリングははなから諦めていたが、沖縄でのヨットセーリングの誘いも受けていたし、これまで一度も足を踏み入れたことのない山陰地方ツーリングなど楽しみにしていることが一杯あった。小さいとは言え開いた傷口があるので、3 か月間の飛行機搭乗禁止、バイクは乗っても良いが、関東圏を出るツーリングの禁止、遠くまでの旅行も避けるようにと制限された。なるべくおとなしくしていてよだって。テニスま
で禁止されては敵(かな)わないので、触れずにおいた。
台風が関東付近を伺って北上中らしい。らしいというのは、今回の入院で初めてテレビなし新聞なしという生活を試みたので状況が手に取るようには分からないのである。わずかラジオのニュースだけが世間との接点となっているが、それもあまり聞かないようにしてみた。ラジオは主に NHF-FM から流れるクラシック番組に耳を傾けていた。台風が過ぎ去るまで待つと 10 日位になるかもしれず、来襲前に帰宅しようと 8 日の朝食後早々と病室におさらばをした。外に出ると既に風雨が強く、帰り道の車には時に叩きつけるような強い雨が降きつけ、吹き飛ばされそうなくらいの揺れを感じる強い風を受けることもあ
った。パオには 13 日から出勤し始めたが、月・水・木だけでその他の日は家でゴロゴロしながら大人しくしていた。しかし、どうも調子が良くない。鬱(うつ)っぽくなり、身体もだるく感じられ、何もする気が起きなくなった。ゴロゴロしているとドンドン下降して行く感触に襲われた。3回目の癌(がん)の治療であるラジオ波凝固法の治療の前後でも同じような事があり、高尾山トレッキングを始めてから少しずつ活力が戻って行った。ゴロゴロしていちゃダメになるなと感じ、20 日に久し振りにコートに行ってみることにした。皆さん驚きの表情を隠さず、無理しちゃだめだよと有り難く声を掛けて下さる。ゴロにゃ~ぁ。体調と相談しながら、週に 2~3 日、2~3 時間のプレーに抑さえて今日に至っているが、発展途上の身の上には 20 日のブランクは大きく、我ながら随分うまくなったなと感じていたプレーは夢で見た幻のようで、すっかり初心者のような拙(つたな)い動きに舞い戻っている。そうなると当然楽しくは感じられず、周りにも迷惑を掛ける。ひとりで山に登るのとは訳が違う。楽しければ自然にプレー時間も長くなるが、楽しくなく、気兼ねもするようになると早く切り上げることになる。今の身体の状態からするとその方が良いのかもしれず、焦りは禁物と自分に言い聞かせながらの毎日である。
初心者に戻ったスイングやサーブでも楽しくプレーできる組み合わせがあり、その人達と組めた時には存分に楽しい時間を過ごすことができる。そういう時はダブルフォールト(サーブの失敗)を連発することもなく、スムーズにプレーが進行する。テニスという競技はメンタルなスポーツだとつくづく感じている今日この頃である。この数日は雨でコートの使用ができない日々が続いている。これも天の恵みと考えている。ゆっくりと休めるからだ。明日(9月 5 日)は退院後初めての外来である。血液検査の結果が楽しみだ。(続く)
【連載コラム 『日々のなかから、』 <もしも障害がなかったら...> Vol.43 八障連代表 杉浦 貢】
はや単純に『お暑うございます』などという言葉が生温く感じるほどの殺人的な...文字そのままに殺人的な前代未聞の酷暑が続いた夏でした。みなさま、ご無事にお過ごしでしょうか。
9 月に入り、急に秋らしくなった今日この頃ですが、体調の維持、管理が難しい障害当事者の方々はもちろんのこと、障害のある人に寄り添う支援者の方々も、くれぐれもご自愛くださいませ。当事者と支援者、双方が無事息災でなければ、本当の意味でより良い介護・介助とはなりませんから。また 6 月 28 日から 7 月 8 日頃にかけて、全国的に広い範囲で記録された集中豪雨の被害やつい最近北海道南部を襲った地震の被害も深刻のようです。もちろん被災された全てのみなさんが一日も早く平和な日々を取り戻されますようにと願うところですが...どうしても気にかかってしまうのは...、『取り分けて、障害の重い人たちはどうしているのだろうか』・『被災した人たちのうち何割が障害者で、そのうち何人が無事に避難できただろうか』ということ...。そして被災した障害者たちはどの程度、適切な支援が受けられているのだろうか』という事でしょうか。
連日、被害の大きさ、自然の猛威の凄(すさ)まじさはニュース等で伝わってくるものの...被災地における障害者の様子というのは、いかにインターネットを駆使してもなかなか伝わってきません。いずれ充分な情報が集まりましたら改めてこのコラムで語らせていただくとして、ひとまず今回は別の話題を。
学校訪問で子どもさんと話すときによく出る質問に『もし歩けていたら(障害が無かったら)何がしたいですか?』というのがあります。正直な本音として、産まれつきの脳性麻痺(まひ)で、出産時にはもう、普通の赤ん坊とは、いろいろと違っていたようですし...物心ついたときにはもう、障害者としての自覚というか...『自分は、他の人と同じ生活はできないだろうな』という意識がなんとなく芽生えていたので、ずっと『障害の無い人生』というものを考えるとがあまりありませんでした。
過去にはぼんやりと『動物の学者になりたい』という夢は持っていましたけれど、あまり具体的な将来像とは言いがたいものだったと思います。 実際に、明日の朝に目が覚めて、いきなり健常者になっていたりしたら大変でしょう。働き口も一から探さなければなりませんし...生まれてきてからずっと、それまでの生活で常識だったものが全て覆(くつがえ)るわけですからね。二十歳くらいの頃なら生活の切り替えもできるでしょうが、四十を超えた今となって、健常者生活は厳しいかもしれませんね。どうにか健常者の生活に馴染むのに、最低で二十年くらいかかるとして...今の私から数えて六十四歳です。
あっという間に高齢者の仲間入りです。老いること、障害のあることが不幸であるとは思いませんが、どういう道を歩むにしても、人生の後半戦に何らかの形で、生活の不便さ、不自由さと向き合うことは避けられないでしょうね。
ともあれ...学校の授業の場で...ただ乾いた砂を噛(か)み締めるようなロマンのない話をして仕様がないので、子どもさんの前では...一人の大人として、『私はいつも大勢の人たちに支えられ、助けられて生活をしています。だからもし、自分に障害が無かったら...誰かを助けたり、誰かを支えたりできるような仕事をしてみたいですね』と答えています。普段の私を知っている人には少々胡散臭(うさんくさ)くも感じるでしょうが、この答えも間違いなく、私の心の中にあるものです。まあ...子どもさんの反応は、その子、その子によってまちまちですが...先生たちは毎回必ず感動してくださいます。自分でも『いつの間にこんな答えを考えたっけ』とびっくりしているんですけどね。
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