凛とした感じを放つ人がいる。
There is someone who gives off the dignified atmosphere.
そのようなしゃきっとした人に会うと私まで気が引き締まる。
When I meet the one who is steady, I get to feel tense.
凛としていると言える人には、
姿勢が正しく、
清らかな気品が漂っている。
Such person we can describe as exalted,
his/her having a correct position and serene dignity.
また、その人は厳かな雰囲気がまとっていて、
つつましい気高さが香水のように香り立つ。
Also, the person’s aura has an awe
and a halo of modest fragrances like perfume.
仕草も毅然としていて、
押しも押されもしないが
堂々とした威力も備え持つ。
With an imposing gesture,
the manner is neither obtrusive
nor obtrusively taken
but possesses bold authority.
行いにはどっしりした重みがありながら、
重すぎず軽すぎずの無重力のような感じがある。
The behavior has a solid significance,
but it is not too heavy or too light
like weightless beyond gravity.
私は長年、どうやって
そのような特性がある人がいて
無い人がいるのかに変わらない関心を寄せている。
For many years, have been interested in
why someone has such specific individuality or others do not.
そのような品性はどうやって養えるだろうか。
How to nurture for such personality?
どのように鍛えられて、どうやって身に着くのだろうか。
How to train it, how to personalize it?
ある人が品位よく、
気高くなりたいと願うならそうなれるだろうか。
If someone wants to be noble or decent,
can one be able to have it?
塾を経営していた時、
小学4年から入塾して中学3年まで通っていた生徒がいた。
When I was a school administrator,
there was a student who entered
at fourth grade of elementary
and stayed through his third grade of junior high school.
彼はサッカーが好きで、活発だったが、
勉強も次第にできるようになった。
He liked soccer and briskly did his club activity;
he came up steadily to get a good score for his study.
誰も認める努力をして偏差値の高い高校に入り、
入りにくい理科系の大学に進んだ。
He made efforts that everybody admitted
and could go to a higher level of high school.
And then he continued to a science university
which was hard to pass the exam.
大学生になって、講師としてまた塾に入った時の彼は
何か重みのような存在感があった。
He became a college student
and he started work at my own after school
as a part-time teacher,
and at that time I found his presence got heavier.
彼がなりたかった薬剤師になった時は
その重みがしっかりしてきたような感じがあった。
When he became a pharmacist as he dreamed,
his presence was afirmed.
友人の一人に上品になることに拘る人がいた。
There was a friend of mine who wanted to refined.
彼女は色白で、身長が高く、
プロポーションもモデル並みであった。
She had pale skin, tall,
and her proportion was like a model.
清潔な感じもあって、またきれいな女性であった。
She presented clean and also pretty.
だが、彼女が放つ言葉は
自分だけが万事の中心になっていて、
他人は彼女の付属物のような言い方で一貫していた。
But the words she spoke were self-focused for all
and treated others like her appendage.
他人を貶し、
他人に無条件的な理解を求め、
他人の時間を無駄に使う傾向があった。
She denigrated others
while seeking unconditional understanding for her
and tended to use other’s time wastefully.
自分に対して自信感に溢れ、
自分がしたことを美化して絶賛していた。
She was overly confidence for herself,
admired what she has done to beautify.
自分に利得になると人と関わるが、
損になりえるような状況になるときっぱり縁を切った。
She kept the connection with people
who are advantageous for her
but cut the relationship without hesitation
when the situation inclined to be a disadvantage.
彼女はことばで人との関係を切り、
他人を悪者に仕立てたが、
彼女の血縁だけは絶対的な結束力があるようだった。
She cut off a relationship with people with words,
tailored others rascal
but seemed to have absolute cohesion
with relatives and her family.
その二人の例から、
外見からは気品を感じさせることは共通してみられた。
From these two examples,
the commonality was an elegance from outsides.
中身が極端的に違っているが、
ぱっと見た時は気品があるように見られた。
Their inner contents were extremely different
but with a brief glance,
they looked to have a dignified atmosphere.
前者は人格が知り亘った時、
より強い信頼感を持てる切っ掛けになるが、
後者は本当の性格が表れた時、
好意を感じていた人が背信感を感じるようになる場合がある。
The former one can be trusted stronger than ever
when one’s personality eventually has been well known,
but the latter one may have a possibility that
others favored feelings turn to betrayed.
私は両者の例について良し悪しを判断したくない。
I do not want to judge good or bad for both examples.
どっちが正しいか誤りかも計りたくない。
I do not want to decide which one is true or false.
人が選ぶ価値観に判決を下したくもない。
I do not want to do a judicial decision making
onto people’s value choice.
ただ、一瞬一瞬の選択が重なって凛とした人にもなり、
偽物にもなるということだけは
確かであると信じている。
But, I certainly believe that
the momentary choices that people make each time,
are a link to dignity or fake pride.
キッチン側にある横庭に出て撮りました。
本当はこれを書く意図は全く無かったのでしたが、
書いてあった下書きが気に入らなくなって
突如変更で、その日に思い浮かんだことを書いてみました。
記事に登場した薬剤師になった子とは
長年知り合って、妹さんも
小学5年から高校受験まで私の塾に通っていましたね。
その兄弟の母親とも長年知り合ってたから
家族くるみで全部関わってました。
この例は実の例ですが、
美人の女性のことは
知り合いの二人の女性を出して割った架空のものです。
でもその二人に共通していることを書いたから
全く架空ではなく、
その二人が多かれ少なかれ持っている素性を
纏めて書いたのです。
なので、どちらかの女性がこの記事を読んでも
自分と似ている他の人、であると思えるように書いたのです。
人を否定的に書きたくなかったので、
そうですねぇ、私は馬鹿正直なので、
上記の例の二人に
私が思ったこととか、感じられたこととかを
失礼にならない程度に言ってました。
結果的に、Aの人はそれで私との縁を切って、
Bの人はそれをきっかけに
進路変更ができたと言われました。
毎日、競争の全くないのんびりした生活を送っていると、
昔、私を自分に都合よく使ってたあの人は
今、何をしているのかなと呆然と思ったりします。
当時は、使われてあげるような気持ちでしたね。
彼女Aは自我が強すぎて
何でそこまで強く自我を満足させたいのかな、と
何故にそこまで自分の欲心を満足させたいのかな、と
結構考えさせられたことがありました。
彼女Aが計算尽くしで
私に要求してくることを
不思議に聞いていましたね。
そんなに計算してもばれないと思っている彼女をみていると、
哀れみもありましたし、
理解もできて、
人間の影の部分を観ているような
そんな気持ちでしたね。
その二人がこのブログを読むことは
完璧にあり得ないですが、
読んだとしても、自分を善人として自覚しているので、気が付かないでしょう。
ましてやキレイだと書いた部分には
自分のことだと推測するでしょうね。
皮肉を書いたことも気が付かないでしょうね。
キレイだと言われることが生き甲斐みたいだから
そこだけ取って、見る目はあるのね!と言われちゃいそうだし、
欲心が強いのも自分の強みの一つとして肯定的に考えているから、
実は手の打ちところのない人達だし、
まあ、私も人の皮肉なことを陰で書いて
うっぷん晴らしをしている暇人にすぎないでしょうね。
凜 → 凛は俗字
さむい、寒さがきびしい がもともとの意味と
右半分の「稟」は身のひしまるさまを表す擬態語とあります
「リン」勇気凜凜 とか最近はあまり使いませんね
「勇気を貰った、元気を貰った」とか
何となく、浅ましい様な使い方が多いと感じています
凜とした人で想い浮かぶのは曾祖母
薙刀、お茶の小堀遠州流「稽古照今」を教えていました
その立ち姿背筋が天上から
糸で引っ張られたようで
また、その足運びで
おぼろ気に覚えていますが遠くからでも
おお祖母ちゃんだと わかりました
見習いたいと思いますが及びません
能の演者、居合いの方には
希に その立ち姿を感じる事があります。
もう 古語になっていくのかも知れませんね
美しい文ですね。
栄久さまは凄く伝統的な家系の育ちですね。
育ちがいい人に共通することは『品位』ですかね。
栄久さまの文にそれが根底に流れています。
栄久さまの曾祖母に関したコメントを読んで
また、書いた記事を読み直したら
そう、曾祖母さまを想い描いた文のように
思えてきました。
曾祖母様のイメージだと
強いて言えば、
『静かな権威』ですかね。
なにかしらの品格とはあくまで人格のレベルとは区別される先天的な一要素だと思います。
一方で上品さを後天的に作り上げることも一応可能だし、それが上手い人もいます。しかし頭のてっぺんから足の先まで完璧にキメている人ほど余裕のない内心の自己評価の低さがひしひしと伝わってくるパターンが多いです。発想を人格の向上に転換することを求められても聞く耳を持たない人が多いと思います。そういう人は結局上品でもないしセンスもよくないですね。
日光東照宮よりも模型の建物が素晴らしいと思っているかのような印象さえ受ける人もいるのです。おそらく極端な表面主義の人の空っぽさとは、本当になにもないということではなく、そこには目を反らしたくなるような現金な発想以外なにもないという意味の空っぽさなのでしょう。
もちろん素晴らしい人格を賞賛する状況にも常にすきま風が吹いているものです。まさに人格は「構築物」なのです。戦争をやってはいけない理由は簡単です。様々に作り上げられてきた「人間性」が決定的に危機に瀕するからです。
とにかく私は女性に上品さも下品さも求めないですね。親しみと常識と安心感ですね。私を裏切らないオシャレ女子って理想的ですね(笑)
蓮さんにコメントを書くのは、初めてです。ゴメンね!自分のブログのコメントに対して、
返事しないよう、前から決めてあるので、理由は: いつでもブログを止めるつもりです。
そして、「Zen禅」Blogの日本語も、英語も私の母語ではないので、(私のBlogを見て
分かるように、日本語は下手で) もし失礼や変に書いたら、いけないと思ってるから。(笑)
時々「Zen禅」を拝見しますが、この“Exalted or not 凛・非凛”の題目に非常に目を引いた。
というのは、自分もそれぐらいなりたかったから、でも、覚悟したのが、「凛とした感じを放つ」事は、
やはり人の中身から自然に表面に表す事とも言えるかな~ 上のコメントの方が文書の中に
言った言葉:(親しみと常識と安心感の女子って理想的です)もいいですね(Nice Saying)。
何時も素敵な言葉で、有難うございます!
基盤は法律によって定まっているから
規格とおりに基礎を作っていないと
ちょっとの地震で崩れますよね。
そういえば、
私は結婚の前にも後にも
男子に品格を求めていなかったです。
経済力は求めましたけど。
塾の時は講師に品格云々で煩く指導してましたね。
品とはなんなのか。
どうやってやしなえるのかなど
男性、女性講師に結構説教してました。
その経験から
親しみやすい人は
裏切りも早かったでしたね。
慣れるとすぐに適当な仕事をして
生徒にも馴れ馴れしくなり
結局は首しないと塾が危なかったです。
親しみやすい人は
なめられやすいかもね。
日本語の文に外人訛り無かったと思いますけどね。
ブログやめないで欲しいですね。
外人だからこそ見える視点が私には新鮮に映りましたから。
通訳を添えるには結構時間がかかりますよね。
分かる人は分かります。
兎に角、コメントありがたく受取りました。
私にとっての親しみやすさとは愛嬌があるということと裏表がないということでしょうね。私が一番好きだった人はあまり愛嬌がなかったですけどね。でも基本的に印象がドラえもんみたいな女性が好きですね(笑)それは極端な言い方ですが、分かりやすい愛嬌があるって感じですね。そう、考えてみれば分かりやすさとかバランスのよさに惹き付けられる!ということですね。
それに私に対してなにも期待しない人がいいですね(笑)私は性格的に石川啄木と中原中也より破滅的でない分マシですと言いたいですね。でもそれだけですね。ストイックな生活をしている棒みたいな人間だけど、客観的に見て本当にただの棒なので期待するより助けてくれって感じです(笑)
一般的な傾向として男性には経済力を一番に求めるということは現実的に仕方のないことなのかなと思いますね。私は女性に対して私を裏切らないことを含めて私が望むもの全てを求めますが(笑)
お金に関しては、「マイペースな創作活動」を一生続けられたら、それが理想と言えば理想なわけで、資産家の女性に惚れられるという状況が全ての問題を解決するのになと(笑)
うーん、品のある人というか、個人的にはこの世界に対するどこかしらの信頼感がかいま見える人に価値を感じるんでしょうね。あなたが普段うなだれて歩く人でもあなたは本当は赤ん坊みたいに素晴らしいと。あなたが存在するだけでこの深夜放送みたいに寂しい世界も明るく素晴らしく見えるってことを教えたいわけですね。私はこれまでずっとそういう世界を書いてきたつもりなんですね。
「エゴイスト」や「俗物」とは結局顔色の悪いニヒリストなんです。ニヒリズムを経由しているんです。それらと赤ん坊のナチュラルな生態は明らかに区別されると思います。
になるためには
①その女性が求める気質があること
②その気質が資産と交換できる価値があること
③交換できた時、その結果がその女性に利得をもたらすこと
④資産家の女性にとって、何らかの投資価値を有すること
⑤その女性を満足させるための技術を有すること
⑥その女性を持て遊べるほどの器量を有すること
大まかに要約してみました。
男子の立場なら女性が何を考えているか、分からないでしょうから。
あくまでも参考までですので、読み流しくださいね。