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幸せになるのは結果である
Being happy is a result
幸せを目的にすると
If aiming to be happy
幸せの状態が状況によって変わるため
Because of a happy state changes by its situations
辿り着いたとしても
Even though has reached to it
過去に描いた幸せとは違っている感じを受けるだろう
It will make feeling that the happiness drew
-at the past became different
幸せの形が状況によって変わり
The form of happiness changes by situations
不幸せの形も状況によって変わる
The form of unhappiness also changes by situations
状況によって変わる幸せを追い求めることは
Pursuing happiness which changes according situation is
川の流れを坂の上に定めるような
It is likely setting a river flow on the top of slope
摂理に逆らう願望かもしれない
Maybe it is a resisting desire against providence
逆説なことにも
Paradoxically
私は幸せになることを願えなかった
I could not have wanted to be happy
だが、毎秒幸せになっていると実感している
But I feel in real being happy every second
長年、不幸を乗り越えることを仕事にしていたら
For many years, I worked to overcome unhappiness
いつの間にか
Imperceptibly
その不幸がこの幸せを作った基盤になっていると分かってきた
I found that the fundamental of this happiness
-came from the unhappiness
実際、不幸だったと認識できたのも
In fact, could have recognized that I was unhappy
困難を克服してから気づけたので
-the realizing came when after overcame difficulties
後になって見えてくるようなものである
-so that it is kind of can be seen later
今になって不幸だと認識していた過去を辿ると
At now, I looked back my past
-when I recognized as being unhappy
その時は心に余裕があって
At that time, I had a margin in my mind
不幸や幸せを計算する暇があったような気がする
I feel like I had enough time to calculate
-how I was happy or unhappy
仕事に没頭し、やるべき今日の責務に追われていた時は
When I devoted in work that I was chased
-by tasks must be done
ストレスも生き甲斐のように認識していた
I was aware that stress as my living avail
不幸せは瞬間瞬間姿を変え現れ
Unhappiness appears changing its form
-at a moment and moment
四季の変化のように体で感じる温度差を生じる
As seasons changes in four
-it creates temperature difference on body
幸せになることを強く願うことは
Desire strongly to be happy is
春だけを頑なに願うようなことかもしれない
It might be like wishing stubbornly only to be Spring
この幸せや不幸せの移り変わりに気づけたのも
The reason how I could realize
-these transitions of happy and unhappy
新しい住まいのグランビ―での春を迎え
It because I have incoming Spring
-at my new residence in Granby
生まれて初めて春そのものを見て感じたからである
-see Spring and feeling Spring
-for the first time in my entire life
以前は春でも心に抱えた問題が投影されて
In past even Spring came
-my mind always was reflected by issues
やるべきことが目の前にあって
There were always works to be done in my front
春を見て感じることはできなかった
I could not see and feel Spring
春になったと分かってはいたのだが…
Even though I knew I was in Spring season
やっと今、心に春を受け入れるようになり
At last, now I can welcome Spring to my mind
自然の変化そのものを素直に感じている
I obediently feeling seasoning change as it does
坐禅の求める解脱の境地も
The eminence of deliverance which is a path in zazen
ひょっとしたら
Possibly it is
心が修行によって春になり
Mind became Spring by trainings
心に春を迎えることかも知れない
It might be welcomed Spring to mind
心が冬の寒さに堪えているのに
While mind endures coldness in Winter
心を花咲く春にさせることはできない
It is impossible to have Spring to make a floral mind
坐禅は心の季節変化を
Zazen makes mind for the seasonal changes
自然の季節変化の摂理に合わせてくれる
-and it also makes to be adopted for providence season change
坐禅は幸せと不幸せに偏る走りを止めて
Zazen stops running mind that biased happy and unhappy
または幸せにも不幸せにも偏らない
Or not to be tilt, neither be happy nor be unhappy
その境界点かもしれない…
Zazen maybe the mete-point…
私はいろいろなポケットを待ちながら生きてきたつもりでしたが、そのポケットはやはり仕事に役立たせる意味が大きかったと感じています
定年後やっと趣味としてのポケットに気が付いたように感じます。
仕事も絵も釣りもスポーツも競うから・・・楽しみに変化してきたように感じています
日本の新緑・・・今、最高ですよ
が、まず前回のジーじカーかの宿題を片付けてから、と言う事で・・・
(注;ジーじ=「じいちゃん」のZ、 カーか=「かあちゃん」のK)。
さて御立合い!!、フーテンの寅こと、此れなるTさん申しまするに・・・
テレパシー(が有るとすると、それ)は脳波の空中伝播機能と推測されるべし(注;隔離距離テレパシーとする)。
左様なテレパシーが成り立つ為には、信号を伝播する【波】の指向性が重要でごじゃる(例、レーザー光線)。
(で、真面目に論じて・・・・、)
強力な指向性が無いと、【波】はあたり全体にばらばらに分散して、距離の二乗に反比例して強度が強烈即効に減少するから【波】(=シグナル)は遠距離を伝わる事が全く出来ない。(例、電灯の明かり)。
(注;メガホンを使って声を出すといくらかは指向性が出る、懐中電気フラッシュライトも同じ理屈)。
処で【波】は周波数(Hz,ヘルツ)が高い程、指向性(=直進性)が出る(=遠くまで届くという意味)。
周波数が低いという事は波長が長いと言う事だ。
(注;周波数と波長は反比例する)、
波長が長い(=周波数が低い)と遮蔽物の後ろに波が簡単に回り込んでしまい、有意味な焦点が合成されないので、
画像の構成が出来ない、ピンボケ現象、ノイズ現象が起きるという事で、それ故に低周波数の波には指向性が無いという意味となる。
とすれば保有エネルギー量が微量であるテレパシー通信が可能な為には脳波は『高い周波数』を持って(=高い指向性を持って)、時空をまたいで相手側(=対象物)に到達出来なければならない訳だ(テレパシー=脳波による無線通信)。
(注;高い周波数=高いヘルツ、Hz)
では現実はど~~~かなァ、レンちゃん。。。
じゃじゃ~~ん!!
大気振動1Hz以下(例、山鳴り、海鳴り、風鳴り・・・)
海の波動5~20Hz
脳波0.5~30Hz
音波200~8000Hz
電波10000~10000000Hz(=10K~10MHz)
レントゲン3x(10の16乗)Hz
・・・であるのであるから、
脳波は大気鳴りの周波数や海の波動の周波数に等しくて、
そんな大気や海の波如きの現象に匹敵する脳波を利用して、意味ある信号(=シグナル)を空中伝播させて交信を図る、遠距離恋愛的テレパシーを発揮する、透視術でレンさんのバッグの中のクレジットカードを背後から盗み読みする如きの天才ブリを発揮させる事が出来ようか???
(=もし出来るのなら、この際、海の波を使ってアメリカと日本の間で海の波経由脳波的会話術を発明したろか!!とか・・・)
で、モテキ的ジーじ新解釈としては、「気のエネルギー」とかいうやつで、過ってジーじの背後1.23メートルにいた刺客人Mが、
恋敵の若きジーじをジッと睨みつけて襲うチャンスを虎視眈々と狙って居た際、鼻血噴き出させて強烈強度の1Hzの脳波を発散させたものだから、それが大気の1Hzと共振して、ジーじ脳の1Hzに伝わった??何て言う楽しいSFストーリーが成立するのかも、フウ~~ん、不運なジージ???
(注;此れは【気のエネルギー科学】の分野で、くだんのテレパシー談義とはちょっと違う匂いがするが・・・・)
光の周波数は、
(400~700)x(10の15乗)Hz見当だから、極めて強い指向性がある。
5キロメートル離れた家から深夜、光点滅装置を利用してのモールス信号を送れば、なんとか会話成立で、遠距離恋愛もその距離程度ならば可能であろう。
でも5kmじゃあねェ~。明日朝じかに会った方がよくね~か!!
・・・は兎も角として、
0.5~30Hzの脳波じゃあ、脳波交信で恋を語り合うなんてハイカラな事は全く・絶対・根源的に不可能じゃね!!
では更なる問いかけ:「眼を見あって恋を語るの化学方程式は如何なる物か??」
脳波と同じ20Hzだったなんて言うSFを考えると、
人間の脳には知覚され無い訳だよね。
全く何の為の電灯か、バカタレ!!と言うおしかりを受けるよね。
See~~,真っ暗闇の場所で脳波交信テレパシーだなんてね~よ!!ってね。。。。
赤外線の場合は3x(10の12乗)Hzの周波数をもって居て、
やはり波の指向性が高いから、認識識別作用が有ると言う意味で在る訳だ。
もし20Hzの脳波が空間に存在していたとして、その貧弱な指向性の波でも認知識別できるような機械が発明されたら、その機械はテープレコーダーの様に意味の解読が出来るのだろし読脳器みたいな機械が発明されるよね、きっと!!。
しかし人間の肉体では無理だよね。
なぜならもし人間の肉体がそういう機能を備えているとしたら、自分の肉体を取り巻いをいる周囲から四六時中その周波数の声を聞いていなければいけない筈だと思うよね。
でも人の聞ける波(=音波)の周波数は幸いなことに200~8000Hzだから、脳波狂症に陥らなくて済むよね。よかったよかった!!
人は耳を通して聞く。禅者がいう「耳を通して見る」とは詭弁だ。何故なら人の耳は音波(200~8000Hz)を識別出来る様な構造になってるが、耳で光【=(400~700)x(10の15乗)Hz】を見れるような構造は無いからだ。
同様に禅者がいう「眼を通して聞く」も有り得ない。そんな生体組織にはなっていないからだ。
では電波で流れて来る信号(例、ラジオやテレビ)を人はどの様にして認識できるか、
と言えば、受信機という機械で、送られて来た電波信号周波数を、音声周波数と映像周波数に変換しているからだ。
そんなわけだから、人Aと人Bの間で脳波が交信出来るとすると、脳の中に脳波変換器という機械があって、
脳波を音声周波数と映像周波数に解析する仕組みが脳の中に備わっていなければいけない。
人間の解剖学的&生理学的な仕組みを考えると人Aの脳波と人Bの脳波が直接交信できるなどある筈が無い。
丁度NHK放送局と朝日テレビの電波が空中で交信出来るなんて事が無いように・・・・
注;もし脳がNHKと朝日テレビの電波を直接電波のままで認識出来るとすると、脳は電波干渉をおこして気違いになるだろう。それでももし出来たとするなら、耳も要らず目も要らない筈だしね。そしたらレンさんの顔は鼻と口(飲み食いする為だけの口)だけの「のっぺらぼ~のちんちくりん!!」となるね、きっと・・・お~怖!!
どう考えても目から目波という波動(周波数)が出ているとは考えられない。解剖学的に無理だ。
人Aは人Bの目の動き(眼球の動き、マバタキとかのマブタの動き)の中に特別の意味を読み取るに過ぎないのだろう。
では目から脳波・電波・目波とうの波動が出るのではない事はどの様に証明されるのだろうか??
考えられる一方法は、
例えば人Aと人B間で目を見つめ合っての言葉なしの意思疎通をさせて、
その両者の目をビデオ映像に残しておいて、
その映像を第三者多数にみさせて、第三者に解読させる実験を行った場合、
ビデオを見て解読できた第三者が多ければ、
それは目の動き(マバタキとか眼球のやマブタの動き)から人の心を読み取っていると言う事になると考えられる。なぜならビデオに映っている目から目波なる波動が放出される事はないのだから・・・・(多分??)
「気のエネルギー」とは宇宙のエネルギー、言い換えれば実体的な生命エネルギーだと定義するようだ。
(注:気功も同類かな??)。
人の身体に6~8個程度のチャクラというツボがあって、そこからそのエネルギーが湧き出ているとかなんとか・・・。
多分恐山禅師は遣ってないだろうと思う・・・なぜならなんか仏教思想と合わなそうな感じだし。。。
でももしレンさんが信じて居たら、レンさんの恐山訪問時は・・・うう~~ん、やっぱり鎧兜に身を固めて更に大砲(おおずつ)の鉄の玉三個を抱えておったらいいよね。
さもなくば恐山禅師にぶっ飛ばされた挙句、宙を舞って恐山前の池(湖?)まで投げ入れられるかも知れないからね・・・くわばらくわばら!!
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ところで身近な気のエネルギー事情では、
アメリカ東部で合気道道場を開いていた日本人の何とか氏(かりにA氏とする)、がその念力的な能力にめざめ、種々の病気を治したそうだ。
A氏はアメリカ国内で1000人の弟子を養成したいとかで、Tのよく知っている旅行社オーナー女性が講習を何回か受け免許皆伝の近くまで行ったと言っていた。
彼女曰く、去る日系女医がおおいに共鳴を感じ、科学的論理付けのため大分以前に研究所を立ち上げ、どこだかの大学医学部で研鑽・研究を重ねていると言っていた。研究論文がじきに出て来る筈だ・・・・、と。
でTがその女医の名前をネット検索してみると、医者資格をはく奪されてしまっていた後だった。
罪状はSupervised Neglect(監督義務の怠り)であったらしい。なぜなら彼女は通常の治療をせずに気のエネルギーで治療を試みたが失敗し何人かの患者さん達から訴えられたという事で在った。
Tはその後のA氏の活動は知らない。
We are up EARLY!!!!!