当ブログへお越しの皆様へ
大変申し訳ございませんが、
健康上の問題で新記事アップができずにいます。
回復次第、精進してまいりますので、
どうにか見捨てないでくださいね。
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あんなに重く、沈んでいた時間が
まるで嘘のように消えたようだった。
冬の間中、深く下ろしていた窓のブラインドを
全部あげた。
小雨かあ~
半書きの記事がありすぎて
かび臭くなっていたので、
全部放棄した。
そうだ、絵の話にしようと決めた。
それから絵を携帯で撮って
書き始めた。
書きながら、
コメントをしてくれた人達を思い浮かべた。
彼らの視線があったたかく感じてきた。
そうか、私を見捨てない人も結構いたのかと思った。
恐らく、私は上記の愛情溢れるコメントに対して
はい読みました的な返事は
永遠にでーきーなーい。
どん底な気分でいた私を
優しく救い上げたコメンテイター方々の配慮に
ただありがとうございました的な
ペコペコ返事も
絶対にでーきーなーい。
ただ、毎日読んで
生きる栄養にしていきたい。
私という仏教徒の至上テーマは、無常の受け入れと通常の人間性の尊重にどう折り合いを付けるべきか、だと言ってもいいでしょう。
答えそのものはもう出ています。死にそうな時、立てない時は、動かず期待せず静かにしているということです。期待すると苦しみが回転するのです。ですから「なにも考えない」態度こそが死後生に向けた最良の準備態勢でもあり(無常の尊重)、生存への良循環的近道でもある(人間性の尊重)、という両者の兼ね合いを実現できる一番の態度なのです。それをどこまで洗練させられるかです。
具合の悪い時はなにも考えずにクラシック音楽などを聴くといいでしょう。そういった「栄養」は大事です。なにも考えないことと心を墓場にすることは違うのです。私は具合の悪い時は主に日本の音楽を聴きます。騒がしい曲でも苦しみを誘発しないのです。日本人ゆえの感覚なのでしょうか?普段は日本のポピュラー音楽はダサいと思ってしまいますが、体にダメージがある時はその価値に気付くことができます。
私も将来的に書けなくなるかもしれないし、仏像制作に近いノリでやるのかもしれません。まあ今でもかなりそれに近い状態なのかもしれませんが。職人的というかプロデューサー的というか。水晶占いっぽいインスピレーションに依存していることは事実ですが、それは案外社会性とか普遍的なものから出てきているのではないかと。
そもそも批評眼がなければまともなものが書けないのだし、批評を活かせば世のため人のためになるものは書けるんじゃないかと思っています。まあ絵や音楽の人はきついかもしれませんが。でもまともな仏教徒なら他人や子供の中の人間性を感じる目が曇っているとは考えづらいので、ただの仙人ではいられないと思うのですが。
人間のやることで副作用のないものなんてないんですから。武道やスポーツが体にいいなんて思うのは大間違いですよ。人間は馬鹿であることから逃げられません。だって宇宙が馬鹿だからです。人間は馬鹿であることをエネルギーにして生きるのです。その割に死に直面すると混乱するのです。あまりにも自らが「小宇宙」であることに無批判だった結果であり、「美化」があくまで汚れの一種であることを理解しなかったゆえに、思わぬ「足場の崩壊」に遭って混乱するのです。
死後にも自分がいるかどうか、それは事実としてどうなのかよりも、意識がまた復活するつもりでいる自分の本心を認めればいいのではないでしょうか。その本心をどうこうすることはできないのです。仏教では心でさえ「自分」ではありませんから。体の死に伴って私達の自我があっさり消滅することはとても分かりやすく想定できることです。しかし消滅の後に想定されているのはどうせ復活なんでしょう?不安神経症の人でもそのことを否定できないはずです。「際限のない不安」は存在できないんです。幸せになるのも不安になるのも宇宙が存在するのも「今だけ」です。永遠はないんです。そう思うことは自分が自分の心や宇宙の慈悲深い親になるということです。じゃあ心とは別のその自分とはなにか?それは理性とも言えるかもしれないけど、なんだっていいのではないでしょうか。ブッダは絶望が来たら希望も来ることを教えたのです。死後の生まれも希望もいらなくなった時に本当の安心が来ることも教えたのです。
しんどいですが
ゆっくり日にち薬で治すしかないです
去年のから今年の春先までの自分も
そうでした
思いがけない病に
落ち込みましたが
自分を信じて。。のドクターの言葉に救われました
お大事にして下さいね
自分を褒めてあげて下さいネ。
本当に自分の何もかもを褒めてあげてください。
心からそう思います。
E=mc2
すてきなタイトルを考えられた何もかもが、それだけで美しいと私には見えます。
のんびり、ゆっくりしてください^ネ^
お大事にして下さい。。。
かなり頭にも身体にもそうとうパワーのかかる記事書かれていたのもとっても分かってますよ。なのでその分おやすみは当然だと思います。ちなみに私のレベルではない高度のやりとりを拝見していました。
で、今なんか火の事件も日本でも個人的にまじあったまにきていたんですけど外国でも凄い事朝起きてびっくりした次第。
火除けと災難除けの時期なので火に油注がないようにするのはみんな同じだと思いますよ。
で物を生み出す人は、一人になる時間が確実に必要であり周りに敏感な人は相当邪魔される事もあります。
そう思うと、何かを生み出す物がある人はしがらみやお付き合い的な物を一旦リセットして本当にお互い求め合っている者同士が再度結びつくためのいい期間として前向きにしましょうよ。縁切りと縁結びは同じタイミングです、人間出来るキャパは決まってますので。
それをオーバーワークすると身体が悲鳴あげます。悲鳴を聞いたら癒せるのは自分だけ。それをこうして出来た蓮の花さんは立派です。父の件でもそれが出来たらとの後悔からもあるにで助言させて頂きました。
まあこの助言もしたいと思わないとしないのでコメント入れているという事で人間の形が私が無くなっても見守っていますよ、ストーカーっぽいようですけどそうでもなくて縁があればまた出会えるので執着しなくても大丈夫だとも思ってます。
同じ縁を切ってもまた同じ縁に結びつきのもいいですよね、一回祓うってことで再生していたらいつでも赤ちゃんのような目で過ごせますので。
少なくても一人ではなくみんな同じ時期のように思いますので、まずは近くの愛情溢れ方々に頼りながらその先復活を必ずお返しする為との動機もくっ付けると心にもいいですね、神とか仏とか見えない者からも好かれるはずです。
何事も原因があり結果があります。自分では分からない原因もありますが、自分に関わる出来事で統計をとって入れば共通項は出てくるので原因をある程度推測出来るはずです。
因果応報ならば、因果をきちんと正せばいいだけ。
人の言う事よりも自分で感じての方が一般的にも妥当ですし蓮の花さんはセンサーは敏感で間違う事もないでしょう。
なので安心して待っております。
ストレスがある時の製作が進む作品と、ストレスがない時に政策が進む作品とは違う物が出来ると思います。
そう思うといい時期になるとも思います。
言葉にもパワーがあります、少なくても今の私はそう思ってますのでゆっくりゆっくりゆっくり待ってますよ。
一つのしがらみを祓いをしたらその分内なる自分から何かを生み出せる容量が自然に増えていると思います。
その作品が今後生まれる可能性感じてます。
その為にもまずは身体を回復してください、人間一番大事なのはそこです。そこを見えないようにしているのはお邪魔として捉えていいと思いますよ。
疲れた時は休養が一番、私もそう思います。万能薬です。
”どうにか見捨てないでくださいね。”
↑大丈夫だと想います。ストレートに言うなら
「桂蓮さんの記事は興味深い(Interesting)」
見たい人は見に来る、と。
改めて、よき休養になりますように…!
お大事になさって下さい。
いつまでも。
← 景気( ケーキ )付けてね ♪
どうぞご自愛を。
心も身体も、お休みは必要だと思います。
見捨てないですよぅ~(^_-)
待ってますよ^-^