滋賀県木之本の帰りに、大垣駅で途中下車。
駅から10分歩いて大垣城を見に行きました。
大垣城というと、”関ヶ原の戦い・西軍の城”
…のイメージがあります。関ヶ原の戦いの時、
西軍、石田三成の本拠地となっていました。
さて、またここで…。私の推し武将の話です。
93歳という高齢で関ヶ原の戦いに参戦した
伝説の武将、大嶋雲八の話をしますね。
近衛龍春さんが書いた歴史小説、”93歳の
関ヶ原”で、関ヶ原の戦いの時、雲八さんは
大垣城攻めに加わったと、書かれています。
それは真実なのか、フィクションなのか…?
私のもとに資料がないので不明です。
ともかく、小説に書かれた風景を見たい…!
…と、思った時に大垣城に行っています。
大垣駅を降りると、観光案内所があります。
そこに”戦国武将ロッカー”が登場しました。
”徳川家康””石田三成”他、大垣ゆかりの
戦国武将の名前の書かれたロッカーが…!
ロッカーは8個、家紋が描かれていました。
ここを通る時には、どの武将のロッカーが
よ~く使われているか、観察しています。
”豊臣秀吉””石田三成”は、空いています。
”徳川家康””明智光秀”は、使用中ですね。
武将の人気度(?)が反映されているかも…。
大河ドラマの影響は大きいみたいです。
さて、木之本でお土産を買い過ぎたので、
武将ロッカーに荷物を入れたいのですが、
雲八さんの敵、西軍の武将ロッカーには、
ちょっと荷物、入れたくない気分だなぁ~。
雲八さんのロッカーがあるといいのに…。
雲八さんのロッカーに荷物を入れると、
”生涯現役、健康長寿”のご利益(?)が…!
それを言うなら、徳川家康のロッカーなら
有能なご家来衆(部下)に恵まれ、その活躍で
”最終的に勝利者”になれるかも…。
そしてかよわい白兎タイプの人も、進化(?)
して、立派なタヌキ親父に成長するかも…?
そう考えるなら、島津義弘のロッカーに荷物を
入れると、トラブルがあっても敵中を正面突破、
無事にクリアすることができるかも…。
では駅から大垣城まで歩きましょう。
どこにでもあるような駅前の商店街です。
少し歩いて、”史跡大垣城址”の表示を見たら
ストップしましょう。ここでぱっと右を向くと…!
商店街のアーケードの切れ目から、石垣に
囲まれた大垣城が美しく姿をあらわします。
大垣城は昭和20年に空襲で焼失し、
戦後に再建されたお城ではありますが、
どことなく戦国の面影が感じられる城です。
いわゆる”雰囲気のあるお城”なのかも…。
では大垣城の中にはいってみましょう。
再建されたコンクリート造りのお城の多くは、
中が歴史資料館になっています。
この大垣城もそうでした。大垣城ゆかりの
甲冑や武具などが展示され、ジオラマや
映像、パネル展示などがありました。
関ヶ原の戦いの時、西軍の主力が関ヶ原に
移動した後、大垣城でも戦いがありました。
東軍の水野勝成らが三の丸に攻め入ります。
西軍が防戦しましたが、”関ヶ原での戦い”が
一日で終わったため、降伏、開城しました。
歴史小説”93歳の関ヶ原”では、雲八さんは
水野勝成に従って、大垣城で戦ったとか…。
それを裏付ける資料が展示されていないか、
よ~く見てみましたが、発見できなかった。
では天守の最上階に上がって、大垣の街を
眺めてみます。ただし、関ヶ原の戦いの時、
この景色を眺めのたは西軍の武将だけです。
雲八さんが大垣城で戦ったのが真実なら、
雲八さんは東軍の武将達と、この天守を
攻め落とそう…!と、見上げたのでしょう。
最近注目されているのが、観光”たらい舟”。
これは”おあむ物語”という、大垣城の戦いの
回想録に登場するものです。物語の著者の
”おあむ”は、石田三成の家臣の娘でした。
”おあむ”は、”おあん”と発音するらしい…。
彼女は関ヶ原の戦いの時、大垣城にいた。
大垣城での戦いの様子を描いています。
大垣城の戦いの時、城にいた女性たちは
何をしていたか…? 鉄砲玉を作ったり、
味方が討ち取った武者の首に、お歯黒を
施したり…。女性も戦いに関わっていました。
そして最後に、”たらい舟”に乗って城から
脱出したそうです。戦国の世の生々し~い
体験が描かれ、ちょっと衝撃的を受けました。
よ~く考えてみたら、観光”たらい舟”って、
”落城体験”をもとに、考えられたもの…?
この”たらい舟体験”は、春の観光シーズンに
登場し、人気を集めているそうです。
大垣城に行ったついでによく立ち寄るのが
”masucafe”です。これに関しては、いっぱい
書きたいので、次のブログ記事で…!