(原文)
素問に怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結るといへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調るにあり。調ふるは気を和らぎ、平にする也。凡そ気を養ふの道は、気をへらさると、ふさがらざるにあり。気を和らげ、平にすれば、此二のうれひなし。
臍下三寸を丹田と云。腎間の動気こゝにあり。難経に、腎間の動気は人の生命也。十二経の根本也といへり。是人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみいそがはしき時も、この如くすべし。もしやむ事を得ずして、人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。或は芸術をつとめ、武人の槍太刀をつかひ、敵と戦ふにも、皆此法を主とすべし。是事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。凡技術を行なふ者、殊に武人は此法をしらずんばあるべからず。又道士の気を養ひ、比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。是主静の工夫、術者の秘訣なり。
(解説)
この解説では何度も引用しましたが、『養生訓』では、ここで『素問』という書名が初めて出てきました。今回の出典はその中の挙痛論からです。「貝原益軒の養生訓―総論下―解説 039」でも出てきましたね。「百病は気より生ずる・・・」というのは黄帝の言葉でした。
またここでもう一つ、『難経』(別名『八十一難』)というもう一つの医学書の登場です。これは経絡や脈診法、鍼治療などに関する古典医学書です。その名前のわりに文量も少なく読み易いことから現代でも鍼灸師を中心に読まれています。以前は薬物治療と鍼灸治療は車の両輪のごときものであり、『難経』は勉強する医師に読まれていました。この本はいつ誰が著したかはっきりしません。著者にはいろいろ説があり、一つは黄帝(『太平御覧』中の『帝王世紀』)、一つは秦越人扁鵲(『難経』の序文)、もう一つはそのどちらでもない人であるというものです。著された時代は、その内容が陰陽五行論を中心に組み立てられているため、鄒衍の時代よりも後世であり、『傷寒論』の序文に『八十一難』の名があることから、張仲景の時代より前であると考えられています。
その『難経』八難にこうあります。
寸口の脉の平にして死すは、何の謂ぞや。 然り。諸の十二の経脈は皆生気の原に係る。いはゆる生気の原は、十二経の根本を謂うなり。腎間の動気を謂うなり。此れ五蔵六府の本、十二経脈の根、呼吸の門、三焦の原、一名は守邪の神なり。故に気は人の根本なり。根が絶ゆれば則ち莖葉は枯る。寸口の脉の平にして死すは、生気が独り内に於いて絶ゆるなり。
この「腎間の動気」がある場所が「臍下三寸」にあると言っていますが、ここは伝統医学の中では一般的に関元(CV4)と呼ばれる場所です。関元を丹田と呼ぶものは『扁鵲神應鍼灸玉龍経』や『鍼灸資生経』など宋から元代の医学書があり、もっと時代をさかのぼる晋代の『鍼灸甲乙経』では臍下二寸の石門(CV5)を別名丹田と言っています。また臍下一寸半の気海(CV6)を丹田と呼ぶ医学書も『脈経』や『千金方』など多くあります。
と言うわけで臍の下には三つの丹田があるのですが、ここではその中でも「臍下三寸」にある丹田を取り上げています。この辺りは医学や儒学の分野と言うより神仙術、道教の分野と言って良いかもしれません。武夷山人(白玉蟾、宋代の道士)はこう言いました。
生を養ふの要、先づ形を練るに如かず。
神を凝れば則ち気聚まる。気聚まれば則ち丹成る。
形を練るの妙、心を凝らすに在り。
丹成れば則ち形固し。形固ければ則ち神全し。
「丹」とは不老長寿の素(モト)のようなものであり、それを体内で育てる場所を「丹田」と呼ぶのです。神仙術は仏教、とくに禅宗と相性が良く、禅宗は常に死と隣り合わせであった武士と相性が良かったのです。名のある戦国武将もそうであったように、宮本武蔵(吉川英治の小説の中ですけど)であれ柳生宗矩であれ沢庵禅師に多大な影響を受けました。臨済宗の中興の祖と言われた白隠禅師は『遠羅天釜』でこう言っています。
丹田なる者の一身三処、吾が謂ゆる丹田は、下丹田なる者なり。気海丹田各々臍下に居す。一実にして二名在るが如し。丹田は臍下三寸、気海は寸半、真気常に者裏に充実して、身心常に平坦なる時は、世寿百歳を閲すと云へども、鬢髮枯れず、歯牙動かず、眼力転た鮮明にして、皮膚次第に光沢あり。是れ則ち元気を養ひ得て神丹成就したる効験なり。寿算限りあるべからず。但し修養の功の精麁如何にも有るらくのみ。古の神医は未だ病ざる先を治す。能く人をして心を治めて気を養はしむ。庸医は是に反す。已に病むの後を見て鍼灸薬の三つを以て是を治せんとす。救はざる者多し。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
素問に怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結るといへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調るにあり。調ふるは気を和らぎ、平にする也。凡そ気を養ふの道は、気をへらさると、ふさがらざるにあり。気を和らげ、平にすれば、此二のうれひなし。
臍下三寸を丹田と云。腎間の動気こゝにあり。難経に、腎間の動気は人の生命也。十二経の根本也といへり。是人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみいそがはしき時も、この如くすべし。もしやむ事を得ずして、人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。或は芸術をつとめ、武人の槍太刀をつかひ、敵と戦ふにも、皆此法を主とすべし。是事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。凡技術を行なふ者、殊に武人は此法をしらずんばあるべからず。又道士の気を養ひ、比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。是主静の工夫、術者の秘訣なり。
(解説)
この解説では何度も引用しましたが、『養生訓』では、ここで『素問』という書名が初めて出てきました。今回の出典はその中の挙痛論からです。「貝原益軒の養生訓―総論下―解説 039」でも出てきましたね。「百病は気より生ずる・・・」というのは黄帝の言葉でした。
またここでもう一つ、『難経』(別名『八十一難』)というもう一つの医学書の登場です。これは経絡や脈診法、鍼治療などに関する古典医学書です。その名前のわりに文量も少なく読み易いことから現代でも鍼灸師を中心に読まれています。以前は薬物治療と鍼灸治療は車の両輪のごときものであり、『難経』は勉強する医師に読まれていました。この本はいつ誰が著したかはっきりしません。著者にはいろいろ説があり、一つは黄帝(『太平御覧』中の『帝王世紀』)、一つは秦越人扁鵲(『難経』の序文)、もう一つはそのどちらでもない人であるというものです。著された時代は、その内容が陰陽五行論を中心に組み立てられているため、鄒衍の時代よりも後世であり、『傷寒論』の序文に『八十一難』の名があることから、張仲景の時代より前であると考えられています。
その『難経』八難にこうあります。
寸口の脉の平にして死すは、何の謂ぞや。 然り。諸の十二の経脈は皆生気の原に係る。いはゆる生気の原は、十二経の根本を謂うなり。腎間の動気を謂うなり。此れ五蔵六府の本、十二経脈の根、呼吸の門、三焦の原、一名は守邪の神なり。故に気は人の根本なり。根が絶ゆれば則ち莖葉は枯る。寸口の脉の平にして死すは、生気が独り内に於いて絶ゆるなり。
この「腎間の動気」がある場所が「臍下三寸」にあると言っていますが、ここは伝統医学の中では一般的に関元(CV4)と呼ばれる場所です。関元を丹田と呼ぶものは『扁鵲神應鍼灸玉龍経』や『鍼灸資生経』など宋から元代の医学書があり、もっと時代をさかのぼる晋代の『鍼灸甲乙経』では臍下二寸の石門(CV5)を別名丹田と言っています。また臍下一寸半の気海(CV6)を丹田と呼ぶ医学書も『脈経』や『千金方』など多くあります。
と言うわけで臍の下には三つの丹田があるのですが、ここではその中でも「臍下三寸」にある丹田を取り上げています。この辺りは医学や儒学の分野と言うより神仙術、道教の分野と言って良いかもしれません。武夷山人(白玉蟾、宋代の道士)はこう言いました。
生を養ふの要、先づ形を練るに如かず。
神を凝れば則ち気聚まる。気聚まれば則ち丹成る。
形を練るの妙、心を凝らすに在り。
丹成れば則ち形固し。形固ければ則ち神全し。
「丹」とは不老長寿の素(モト)のようなものであり、それを体内で育てる場所を「丹田」と呼ぶのです。神仙術は仏教、とくに禅宗と相性が良く、禅宗は常に死と隣り合わせであった武士と相性が良かったのです。名のある戦国武将もそうであったように、宮本武蔵(吉川英治の小説の中ですけど)であれ柳生宗矩であれ沢庵禅師に多大な影響を受けました。臨済宗の中興の祖と言われた白隠禅師は『遠羅天釜』でこう言っています。
丹田なる者の一身三処、吾が謂ゆる丹田は、下丹田なる者なり。気海丹田各々臍下に居す。一実にして二名在るが如し。丹田は臍下三寸、気海は寸半、真気常に者裏に充実して、身心常に平坦なる時は、世寿百歳を閲すと云へども、鬢髮枯れず、歯牙動かず、眼力転た鮮明にして、皮膚次第に光沢あり。是れ則ち元気を養ひ得て神丹成就したる効験なり。寿算限りあるべからず。但し修養の功の精麁如何にも有るらくのみ。古の神医は未だ病ざる先を治す。能く人をして心を治めて気を養はしむ。庸医は是に反す。已に病むの後を見て鍼灸薬の三つを以て是を治せんとす。救はざる者多し。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます