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中野重治の神がかり その2

2021年04月17日 | 評論

中野重治の神がかり その2

 

 「転向しようか。しよう‥‥?」という考えは常にあったはずだ。打ち消しても打ち消しても生じてきた。その迷いが突然消えた。消えたということは心が決まったということで、「ひょいと」思ったのは転向への決心だった。それで口が乾あがり、食欲がなくなった。

 自分の弱さに(身体や精神の弱さだけではなく、党の弱さにも)嘆いていると、どこからともなく声が聞こえてきた。中野は「両頬が冷たくなって床の上に起き上がり、きょろきょろ見まわした。それはまるで能舞台に亡霊が現われたかのようだ。その亡霊が中野に何かを告げ、そして「それが消えた」。すると、食欲が戻り、泣きながら、食う。つまり、この文章のはじめに戻る。納得が行くまで何度でも繰り返せるようになっている。

 

 このように中野は、論理的な時間とは異なる心理的な時間の流れを描こうとして、このような不思議な文章を書いたのだ。

 時間の混乱は論理の混乱であり、思考の混乱とみなされる。それは文章として間違いであるか、それとも神話であるかだ。中野は近代小説の、それも転向心理を描写する核心のところを、神話として書いたのだ。

 事実、中野は神話を引用している。

 「命のまたけむ人はたたみこも平群の山の熊かしが葉をうずにさせその子」

 この歌は、白猪によって傷付けられた倭建命が能煩野に至って故郷を偲んで歌ったものだ。國思ひ歌と呼ばれている。命を大切にしたい者は、故郷の樫の葉を髪に挿すまじないをせよ、との意味だ。

 れいき(霊気)を感じて「床の上に起き上がり、きょろきょろ見まわした」のは、この歌が聞こえたからだ。中野の心の耳には、それが祖父の声で聞こえたのだろう。力強い、崇高な、美しい声だ。楽天的でもある。豪傑の声だ。

 死んではならぬ、恥をさらしてでも生きよ、お前にはお前自身の理想があるではないか、転向してでも生きるのだ、転向はたしかに党を裏切る、だが現実の党はお前を裏切っているではないか、お前は理想を、文学を裏切ってはならない。

 先祖が中野に告げた。美しい天啓の描写だ。

 中野は越前一向一揆が戦われた地域で生まれ育った。土地の記憶は代々受け継がれ、それぞれの人間形成に取り入れられる。

 中野の祖父は大地主と戦って獄に入れられたことがある(明治六年越前護法大一揆)。農民の先頭に立って武家と裁判で永く争いもした。その祖父に中野は育てられた。父は父で、資本主義に巻き込まれて疲弊する村と家を救うためには二人の息子を最高学府へ進ませるしかないと、家を離れて転々とする下級役人の生活を闘った祖母や母も「百姓女」としての生活を闘ってきた。

 共産党の短い未熟な闘いよりも、はるかに重い戦いの実践の伝統が、故郷に、先祖からのものとして中野にはあったのだ。

 続いて中野はギリシャ神話へつないでいる。

 古代ギリシャ(ヘラス)の人々は鶯を愛した。

 二人の姉妹があり、姉がある王に嫁いで子をもうけた。ところが王は妹を犯し、舌を切る。妹は織物を織って姉に王の非道を知らせ、姉妹は王への復讐のために、姉と王との子を殺して王に食べさせる。それを知った王が斧を手に姉妹を追いかけ、ゼウスがその三人を鳥に変えた。姉は鶯になり、愛しい子の名を鳴いた。

 大義(文学)のために、子(現実の歪んだ党)を殺して鶯にされてもよい、「鶯として死ねる」と、中野はうれし泪を流すのだ。

 ここが中野の転向の場面なのだ。

 転向を論理的な目で見ようとする者には、中野の転向は見えない。

 人が鳥になる話を中野は書いている。

 「あれは人間がとりのなったのだ。鳥に化けたのではない。化けたのとはちがう。(中略)/おっかさんは悲しくなり、弱りはてて鳥になってしまった。」(『梨の花』)

 化けるのは呪術的だが、鳥に成ってしまうのは神話的だ。倭建命は白鳥と化す。中野は『古事記』以前の神話を見ている。

 転向の心理場面を非論理的に神話として中野が描いたのは、中野にとっての転向が、鳥に化けるのではなく、鳥に成ってしまうことだからだ。

 



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