前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

『 KOYAANISQATSI 』 (コヤニスカッティ)

2012-02-16 00:10:17 | 舞台・映画など
『KOYAANISQATSI』(コヤニスカッティ)というドキュメンタリー映画を初めて観たのは
随分前のことです。

昔、確かフジテレビだったと思いますが、途中CMを挟まず映画をノーカットで
放送する深夜番組がありました。
そこでは今でも印象に残る(後にDVDを購入した)作品が何本かありましたが
その一つが『KOYAANISQATSI』でした。

映像と音楽だけで90分弱、1982年製作の作品です。
最近では、自然ドキュメンタリー系で同様の作品は結構ありますが、
それらの先駆けでもあり、また一線を画するものでもあります。

男声の超低音で「コヤニスカッティ」と歌われる、極めて印象的なオープニング。
高速度または微速度で撮影された、自然、人工物、交通、人々の動き・・・。
それらがミニマルミュージックの創始者の1人、フィリップ・グラスの音楽に乗せて
展開していきます。


「コヤニスカッティ」とは、アメリカ先住民族ホピ族の言葉で次のような意味があります。

 1.常軌を逸した人生
 2.混乱した社会
 3.平衡を失った社会
 4.崩壊する社会
 5.他の生き方を脅かす生き方

本作品を観た方ならお分かりになると思いますが、
これらの意味と合わせて、「21世紀映像黙示録」と呼ばれる本編映像から
「文明社会への警鐘」「環境破壊への批判」といった"メッセージ"を受け取ることは容易です。

でも、優れた"テキスト"は、それが本来意図したこと以上のものを語るといいます。
この作品に台詞もナレーションも付けなかった(必要としなかった)意義は、
そこにこそあるのだと思います。


先住民族の壁画らしきものが現れた後の最初のシーン。
ロケットが発射される様子が映し出されます。

エンジンが火を噴き、機体に付いていた氷が剥がれ落ちる中ストッパーが外され、
重力の呪縛を振り解き、宇宙へ向かって上り始めるロケットは「文明の象徴」でしょうか。


荒涼とした大地、砂漠の風紋、雲海、流れ落ちる瀑布、砂漠に伸びる送電線、
ハイウエイを走る無数の車、ゴーストタウンと化した街、爆破解体されるビル、
夜の闇の中、光の筋となった高速道路網、機械機械機械・・・人人人・・・
それらが独創的な撮影手法で切り取られていきます。


そして最後にもう一度ロケットが現れます。
宇宙を目指して進む中、大爆発を起こしバラバラに砕け散る機体。画面を覆い尽くす爆煙。
カメラは燃えながら落ちていく、エンジンの一部と思しき破片を捉えます。
スローモーションでゆっくりと回転しながら落ちていく「文明の象徴」。
これほどまでに"悲しい"映像は他にあるでしょうか。


かつては自分もこの映像を観て、文明の脅威と脆さ、人類の叡智と驕り、自然破壊、
そんなことを感じたのかもしれません。

しかし、時代も社会も人々の価値観も変わった今、環境破壊への警鐘やエコロジーが叫ばれる今、
胸に去来するものは全く違います。

文明や人類といった大仰なものではなく、もっともっと小さな、個人的なもの。
密かな自信や価値観、希望や夢・・・自分だけの大切なものが無残に破壊されていく。
そんな悲しみを、落ちていくロケットの残骸に重ね合わせます。


公開から30年が経ち、大きく時代が変わった今でも、新たな意味を持って迫り来る。
それこそ『KOYAANISQATSI』が、(少なくとも自分にとって)優れた"テキスト"である証です。


監督:ゴッドフリー・レジオ
製作:フランシス・フォード・コッポラ
音楽:フィリップ・グラス


<追記>
DVD本編中では「KOYAANISQATSI」は「コヤニスカッティ」と訳されていますが、
ジャケットの表記は「コヤニスカッツィ」となっています。
発音表記では「カッツィ」の方が近いと思いますが、ここでは「カッティ」で統一しました。

なお『KOYAANISQATSI』は、その後に公開された『POWAQQATSI(ポワカッティ)』(1988年)、
『NAQOYQATSI(ナコイカッティ)』(2002年)と併せて『カッティ三部作』と呼ばれています。

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