耀かしき アルテミス 神殿 を 焼けば 後世に 名を 残せる として、 放火
灰燼に 帰せしめた 無明の 羊飼い (ヘロストラトス) は 死刑と なり、 さらに
後代に 残さぬ よう その 名を 語る ことも 記す ことも 禁ずる 刑を 言い渡された
が、 その記録に 歴代の 史家が 著作で 言及した ため、 望みは 叶えられる ことと なった
百科事典の 片隅に、 昏 (くら) い 小さな 孔 (あな) を 穿 (うが) ち、 その底で その名は
今も 光輝を 求め、 焦げ臭い 黒っぽい 欠片 (かけら) と なって、 泥のような
眠りの 涯 (はて) から 幽 (かす) かに 無明を 滲 (し) み 出し 続ける
海月 (くらげ) の 影の ように 揺蕩 (たゆた) い 居残っている
名もなき 羊飼いが 無明の 裡なる 自らの 存在を 永久 (とわ) に 照らし 輝かせん と
火を 放ち、 アルテミス 神殿が 全焼 した 日 は、 紀元前 356 年 7 月 20 日 ~ 21 日 と
され、 プルタルコス に よれば、 それは、 後の 大王 たる アレクサンドロス の 誕生日 だった
耀き亘る 出現を 見守っていた アルテミス 女神は、 燃え盛る 自らの 神殿を 顧みなかった のか
すべての 削ぎ落とされた 乳房が、 彼女に 託される ことを
すべての 生まれなかった 赤子が、 彼女の 腕に 抱かれて 眠る ことを
すべての 耀く 神殿が、 水面や 鏡の 底に 結ばれ 宿る 自らの 姿を 取り巻いて
立ち昇り、 彼女の もとへ 還ってくる ことを、 彼女は 知っている
ひときわ 耀く 皇子を いつ その胸へ 抱き寄せる べきか、 彼女は ただ 注意深く 見守っていた
イッソス の 戦い
B.C. 150 年 頃 ポンペイ 出土 モザイク 壁画 217 × 512 cm ナポリ 国立考古博物館
マケドニア の アレクサンドロス が 長じて アナトリア の カリア に 入った時
太守たる べき アダ は アルテミシア の 妹で、 兄 マウソロス に 嫁いだ 姉と 同じく
マウソロス の 弟と 結婚し、 兄と 姉 夫婦 さらには 夫 亡き後、 同地を 治めていたが
末の弟に 追放され、 カリア 太守は 末の弟の 世継ぎが 務めていた
アダ は ハリカルナッソス に 程近い 要衝 アリンダ の 島を 持っていた
戦う ことなく アリンダ を アレクサンドロス の 下に 明け渡した アダ に
ハリカルナッソス を 陥落すると アレクサンドロス は カリア の 地を 託し
アダ は 返礼に アレクサンドロス を 正式に 息子とし、 紀元前 326 年に 彼女が 亡くなると
カリア の 地は 無条件で 平和裡に アレクサンドロス に 継承されたのだった
アレクサンドロス 大王は アリストテレス に 学び、 歴戦の 合間に 珍しい 動植物を
手紙と 共に 師に 送り、 また ガラスの 樽に 入って 海中を 観察、 師の 返信を 待ち侘びた
ペルシャ 王 ダレイオス の 母、 妻、 娘 を 捕虜と した 時には 礼を 尽くし
その 知らせに、 敗走していた ダレイオス は、 自らが 王国を 失う ときは
アレクサンドロス が 王と なるよう 祈った という
アルブレヒト・アルトドルファー 「 アレクサンドロス 大王 の 戦い 」
1529 年 油彩・板 158.4 × 120.3 cm ミュンヘン アルテ・ピナコテーク
地中海に 開いた ナイルの 畔りに アレクサンドリア は 築かれ、 そこには やがて
かの大灯台の ほか、 エフェソス に あった のと 同じ 位か 凌駕する 程の 大図書館 が
開設された が、 それも また 灰燼に 帰してゆく 程なくして 学問の都 となった この地 で
優れた 数学者 にして 天文学者 また 哲学者 の ヒュパティア は 無明の 徒に
異教徒として 全身を 抉 (えぐ) られ 惨殺されたが、 女神に 託された 彼女の 栄光は
いつまでも 月光の 裡に 澄み亘り、 ナイルを 暫 (しば) し 溢 (あふ) れさせる
2001 年 夏に 再建 成った 新図書館 は、 地中に 半ば 埋もれた 円柱の 意匠
併設された 青々とした 大プールには 夕べ、 人の 達した 今も 変わらぬ
月影が、 思索する ヒュパティア の 面差しを 静かに 揺らめかす
マウロソロス の墓は 1970 年代に 発見されたが、 太守 夫妻は 火葬に 附され
遺灰の 納められた 壺も 副葬品も ことごとく 暴かれ 盗まれた 後だった という
が、 アダ の 墓は 1989 年に 発見され、 遺骨と 装身具の 幾つかが 発掘され、 今は
故郷の 博物館に 眠る 頭蓋骨から 英国 マンチェスター 大学の 研究室に より
相貌が 復元され、 生涯 鼻炎に 悩まされていた ことも 解明された という
耀く 面輪の 裡に 人知れぬ 涙は 絶える ことなく 流されていた のかも しれない
アダ の 誇る 義理の 息子 大王 アレクサンドロス の 左右の 眸 (ひとみ) の 色が
昼の 空の 青 と 夜の 闇の 黒 (暗褐色) だった ことも 知られている
乳母の 弟で 年嵩 (としかさ) の 歯に 衣を 着せぬ 武将 浅黒き 肌の クレイトス
の バクトリア 総督 就任の 祝いの 席で 口論と なり、 激昂し 槍で 突き 殺してしまった
後、 三日 三晩 部屋に 閉じ籠り 慟哭した という 激情の 若き 獅子心は 今も
虹色に 明滅する 砂嵐 となって 昼 と 夜の 境を 渦巻き
荒れ狂い、 出口 と 友を 求め 光 と 闇の 閾域を 彷徨 (さまよ) う かつて
もう これ以上 進めない と する 部下を 曳き連れ、 インド から 戻る 途中、 砂漠で
王の ために と 届けられた 一口の 水を 分かち合えぬ 量 と 見るや 捨てた
アダ の 死から 3 年の 後、 ある 宴で 蜂に 刺され 発作を 起こし、 十日間 高熱に うなされ
最も 強いものが 王国を 継ぐよう 言い遺し、 33 歳 の 誕生日を 前に 亡くなった という
砂嵐が 渦巻き、 ばらばらに 時空が 引き裂かれる と
静まり返った 月の 光の 中に 影たちが 集う
叩きつけた 槍を 何度も 何度も 引き抜き 投げ捨て
幾度も 幾度も へし折り 吾身に 叩きつけた
アレクサンドロス が 砂の 底に 泉が あるのを 見つけ
手に 掬 (すく) い取って 走り
倒れた クレイトス の 口許へ 持っていく
クレイトス は その度に 遠く 遠く 遙かに なり
水は 手から 滴 (したた) り 落ちて 砂の 中へ 消える
その度に アレクサンドロス は 踵 (きびす) を 返し、 水を 掬い取って 戻る
アレクサンドロス は 走る
竟 (つい) に 自らが 鷲掴 (わしづか) み 繰り出した 槍に 追いつき
自らが 捨てた 水を 砂の 中から 掬い 出し
槍を 捨て、 水を 届ける と
クレイトス の 目が 開く
その眸は アレクサンドロス と 逆で 同じ
鏡に 映し出された 抜けるような 地中海 の 昼の 青
と、 砂漠の 夜の 星の 鏤 (ちりば) められた 深い 闇の 黒
に なっている
クレイトス
と、 アレクサンドロス は 呼ばわり
アレクサンドロス
と、 クレイトス は 応える
その二つの 双眸に
燃え盛る アルテミス 神殿が 映っている
昼の ほうには 新しき
夜の ほうには 古 (いにしえ) の
二人は 水を 掬って 走り、 何度も 何度も
動かぬ 炎に 投げつけては、 笑い
やがて 火は 消える
黒ずんだ 水溜り から
ヘロストラトス が 立ち上がる
と、 吃驚したように 辺りを 見回す
神殿は 無傷だ しかも 二つ も その二つ とも
いや 違う 一つ の 中に 二つ ある
溶けた 黄金の 陽光の 目眩 (めくるめ) く 砂嵐の
稲光の 蜂蜜の 松脂の 琥珀 (こはく) の
煌 (きらめ) き 漲 (みなぎ) る、 立ち昇り 落下する 超流動 の 神殿
月光の 凍ってゆく 炎の 波に 包まれた 大理石の ような
満ち 退き 脈動し 明滅する 時間の 渦の 中で
澹 (たん) として 流れ、 杳 (よう) として 消え
ゆったりと 舞う 乳房の 揺らぎ 消え また 現れる
アマゾーネス が 光を 射る 陽炎 (かげろう) の ように
淡い 黄色の 衣を 靡 (なび) かせた 幼い 巫女たちを 間に
渦巻き 流れ 満ち 退き 入れ換わる 神殿の 内と 外を 透かし
立ち昇り 舞い降り 取り巻いて
羊が 待っているぞ、 と 色白の 弟が 言い
逆さの 目をした 浅黒い 兄が 威 (おど) す ように 笑う
居ない 間に 沢山に 増え、 険しい 岩場に 散ってしまった
白と 黒の 羊を 追って、 ヘロストラトス は 駈けてゆく
大きな 月 には アルテミス 女神の 静かな 面 (おもて) が 満ちてゆく
途中で、 ヒュパティア の 顔に なる
すべての 星の 道程 (みちのり) と 重さと 伝わる 速さと 向かっている 先が
今 彼女には わかっている
その微笑みに アレクサンドロス と クレイトス が 手を 振る
ヒュパティア が かすかに 頷 (うなづ) き 消えて、 アダ が 現れる
彼女は もう 夢の中で 知らずに 泣く ことは ない
彼女は 今 アリンダ や ハリカルナッソス に 似た 楽園で
兄や 姉と 一緒に 居る 弟は 小さく 幼く なって
我儘 (わがまま) 放題 だが 皆に ちやほやされて ご満悦だ
あなたも ここに 来るだろう 月の 船に 乗り
あなたが ほんとうに 行きたい ところ 一緒に 居たい 人の もとへ
あなたが ここへ 来るとき あなたが 持って 来れるものは 何もない
大丈夫 月は すべてを 見て すべてを 知っていて 思い出してくれる
あなたが 思い出さなくて よい ことは 思い出さない
あなたが 解決すべき ことは ここで やり遂げられる
アレクサンドロス は 走る アレクサンドロス は 笑う
クレイトス は ついて行く クレイトス は 笑う
いまだ 見ぬ 海の底を 雨の 滴る 密林の 中を オーロラ 舞う 極地を
ヴァン・アレン 帯を 抜け 月の 上を 銀河を 流れる
プラズマ の 風 ビルケランド 電流に 乗り どこまでも
そして また 帰って 来る 月の 光の 中で 眠る ため
生まれて 来なかった いまだ 生まれて 居ない 子供たちの
夢の 中で 見てきた ことを 話す ため
皆 月の 中に いる 笑い 声 話す 声 唄う 声
呼ぶ 声が 聴こえる 月の 光の 静けさの 彼方 (かなた)
満ちては 退く 明るく 昏い 内奥の 閾域の 源で
舞い 踊る 螺旋の 渦 温かく 爽やかな 早く 速くて 遅い
光 と 闇 の 間 (あはひ) の 澹 (あはひ)
メビウス の 帯 が 閃 (ひらめ) く 揺らぐ クライン の 壺 の 中から
アレクサンドロス は 驚く クレイトス は 訝 (いぶか) しむ
ヒュパティア は 微笑む アルテミス 女神 は 想い出す
壺が 倒れた のか と 思い、 アレクサンドロス が 周りを 回る
ので、 クレイトス が ついて行こう として、 行く手を 塞いで しまいそうに なる
ので、 ヒュパティア は 竟に 笑い出し、 アルテミス 女神 までが 微笑んでいる ように 見える
捩 (よじ) れ 攀 (よ) じれて 波立ち もとへと 戻る、 無限大の 不思議な 帯が また
閃き 出し、 長く 永く 伸びて 延びて 震える 電子の 笑いを 伝え 運んでゆく
アレクサンドロス は 走る アレクサンドロス は 笑う いつまでも
クレイトス は ついて行く クレイトス は 笑う いつまでも
アレクサンドロス は 往く 変わってゆく どこまでも
クレイトス は 守る ついて往く どこまでも
月は すべてを 憶えている あなた を も いつまでも
ヒュパティア は 観ている 星と 数と 人の すべてを どこまでも
(すみません … まだ … 次回に 続く) (次回の 更新は、 10 月 初め の 予定です)
ヘロストラトスがアルテミス神殿を焼いたのですか。
動機は違いますが金閣寺を焼いた坊さんを思い出します。
この世に痕跡を残したくない私には理解し難いですが。
名を残したい人は多く居るようですね。
しかし、「正しい人が去ってもその人の光は残る」という
言葉は真実であると思います。
アレクサンドロスがアリストテレスを本当に尊敬していて
捕虜にしたペルシャ王の家族を手厚く扱ったというエピソードも
権力者嫌いの私には興味深いです。
要は、人それぞれ役割があり
良い権力者、学者、芸術家等が存在するという事なのでしょうね。
また、「いまだ 生まれて 居ない 子供たちの
夢の 中で 見てきた ことを 話す ため」の下りは
リグ・ヴェーダの
「未だ輝かざる暁の数はげに多かり」を連想します。
後、魅力的なヒュパティアについても
なにがしか語りたいですが
前年ながらほとんど知識を持ち合わせていません。
他にも刺激された文はいくつもありましたが
力及びません。
ではまた。
いつも ほんとうに どうも ありがとう ございます。
金閣寺 炎上のことは、 自分も 思い出しました。
坊さん でしたか、 名は 思い出せませんでしたが。
広隆寺の 弥勒菩薩 半跏思惟像に 抱き付いて、
像の指を折った 学生 とか も …
やはり、 名は 憶えていません …
この羊飼いは、 自分が 火をつけた ことと、
その理由を、 公言していた というので、
神殿の 美しさも、 計り知れぬ 価値も、
朧げながらも 分かっていた ようなのですが、
それでも、 それを 飽くことなく 歓び、 感謝する
という 方向には 行かず、
どうしても 自分が それに 関係したくて 堪らず、
非力であっても、 どうにかして 影響を 及ぼしたく
て ならず … 神をも 畏れず、 テロリスト と なって、
そのような 否定的で 卑怯な やり方で、
歴史に 名を残した のでした …
附近に 寝泊まりしていた人や 消火に当たった人で
亡くなられた方が いたかは 知られていませんが、
彼が したことは、 そのような 考え方の人が
集まれば、 後の (キリスト教の) 狂信者に よって
アレクサンドリア の 図書館が 焼き尽くされたり、
ヒュパティア が 拉致されて 惨殺されたような、
自分が 理解できない ものを 憎み、
支配できなければ 殲滅する という 恐ろしい、
救いのない 無明へと 繋がる …
… 初めは そうだったかもしれない、
単に 子供のように 他愛ない
では、 済まされない ものの ように …
… 無明 は、 無垢 とは 違うもの …
… 無心 と、 真っ向から 相対する ような もの …
… ヒュパティア のことは ずっと 心にかかって
いて … 余りの 過酷さと 無念さに、 何か 書ける
とは 思えなかったのですが、 今回 こんな形で 少し
書けたので … それこそ まったく もって 力及び
ませんでしたが、 何というか … 自分で 自分が
少し 慰められた ように …
「アレクサンドリア」 という 最近の映画も、
どうしても 観る 勇気が 出ず …
… 監督が 今一つ 肌が 合わない 感じがするのと、
映像を 見てしまうと、 忘れられなくなり、 そこから
抜け出せなくなる ことが 多いので …
http://www.youtube.com/watch?v=FOrmvCuBpKQ
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-217.html
http://blogs.bizmakoto.jp/bunjin/entry/2034.html
彼女の物語は、 尽きることのない 土石流のような
狂信者の 群れの 歴史を 通して 描かれる よりも、
もっと 大きな、 宇宙からの、 神秘の 呼び声に
耳を 傾ける 者たちの 視点から、
描かれてほしい ように …
でも、 そろそろ 見るべき なのか …
もし ご覧に なられたら、 教えてください …
… やっぱり 勇気が 出ない …
ジョン・レノンの暗殺者等も連想しますね。
偉大な人物を暗殺することによって
自分がその人物に成り替わろうとする
歪んだ心理のようですね。
奥底にはアニミズムや汎神論のような
素朴な心理があるのかも知れません。
「アレクサンドリア」に関しては
hazarさんと同様の理由で私も観る気がしません。
「トロイ」のような半ばファンタジーなら良いですけどね。
後、「ローズ」「ドアーズ」等の
有名アーティストを扱った映画にも
良いものがありませんね。
よく知っているだけに違和感の方が目立ちます。
ヒュパティアに関しては
その研究内容に興味があります。
しかし、ギリシャ数学ですら覚束無い状況では腰が引けます。
ましてや、女性数学者の登用は認められていなかった為
男性名でガウスと文通していた
ソフイ・ジェルマンの数論における
功績を理解するなど遠い話です(笑)