
戻らねばならぬ 水平線へ手をのばす
そっと 押しやるように
すると 浜松のひとつが 身を起こし 月をほうった
この絵を どこで見たのだろう と 探すうち
一九四一年に亡くなる 新井(歌川)芳宗 (二代) の作と知った
曾祖父母の時代の人だ 静かな夜の海を いくつか描いている
浜へ 天秤棒 で振分けた 桶をかついだ人が 上がってきて
もうひとりは まだ波打ち際で 汐汲みをする
その昔 須磨に 美しい姉妹が住んでいて 汐汲みに出かけ
流刑となった 在原 行平 と 出逢い 松風 村雨 と 呼ばれ 愛されたという
若松らも 海へ歩み入ろうとして しばし たたずむかのようだ
高くのびた老松は 枝葉をのべて (芳年らの絵で) 雁も吸い込まれゆく
満月を 漁ろうとしているのかも知れぬ
手品師のように 月を出したり 消したりしているのかも知れぬし
大潮の海とともに ただ月に ひかれゆくのかも知れぬ
大潮へ ひきゆく浜の かそけき泡 巻きつ つま弾く 波をすく月
波間にゆれる ぬれそぼった頭
また夢を 見ているのだろうか
かえりみれば 低くつらなる浜松の間に
砂へふせられゆく月の
うるむように光る
視線にそって
ゆるやかに渦巻く 波にきざまれ
しらじらと明るむ 帷子が
ひそやかに 海原をくねりのびてくる
追いつかれぬうちに
追いつかれる前の ほんのひととき
かなたより 波こゑ渡る ほの白き きざし かすかに きしむ風鈴

汐の集めた 声をきく
波が ゆっくりと灰になる
足指に 砂を含む
目を上げれば 夕日に まぶしそうな人がたと
遠ざかる 灯籠の群れが
ゆれているのが 見えるかも知れぬ
いつまでも
首をめぐらすことは なかった
岩にわだかまる 汐の上で
髪を吹き散らされ 耳を澄まして
ざはざはと 波くだけ 泡散る巌 蓬髪 舞いて 日月おぼろ

割れた風鈴と 汐の泡を たなごころに
精霊流しの列に ついて行った
緑の柳の ゆらめき並んだ
曲りながら のぼる細道
夕がすみの あちこちで
ゆかた姿と ひと色のうちわが
和紙の上へ落ちた
色水のように しみわたる
りぃーん りぃーん と 鳴る 風鈴の
ガラスへ描かれた 赤い金魚が
尾をゆらし つゐっと回り 泳ぎ出す
二尾になったり 黒くなったり
泡をくぐったり 通り抜けたり
くづほれし風鈴の 息のむこゑに 犬のかげ來たりて 寄り添ひし

平らな道の 平らな車窓
石ころや草や でこぼこやバッタや
コオロギやでこぼこや 草や石ころの
上をかげり過ぎ
時折 明るむ
若いままの先生も 平らなまま
乗るか と 言われても 乗らぬ子
すべってゆく 扉のかげを 手でひき開け
道の下へと 乗り込む子
りぃーん りぃーん 誰も帰ってこない
皆 どこへ行ってしまったのだろう
かくれ鬼をしていて そのまま帰ってしまった
子らを まだ探しているように
あたたかな塀に 手をつく
もう風鈴も 泡もない
空へ帰った
みわたせる 平らかな道 歩むごと 水 流れゆき 雲 まだ遠く

灯籠を流してから あたたかな海に入る
金魚が あかりのように きらめく
ひとりでに のびた髪が 水面に ながく散り
いつまでも ゆれていた
手から はなれるとき 障子紙が
ため息のような 小さな音を立てたのを
想い返しているような
目のかげが 波間に いくつも またたいて
來し方も 行く末も また 結ばれて はるか かなたを かがやき めぐる

真中歩める 蝉の子拾い 車にひかるるぞ と 塀の内へのせたる
明くる朝 この辺りにて と 見上げし 塀のはるか上 われを待ち居し
紗緑の羽 つぶらなる ひとみ 大いなる蝉 友なる歌い手
待っていて 見せてくれたのね と 母の笑みたまひし
蝉のあな あまた 大粒 雨入りて
こもれび 湧きし 線香 めぐる
塔婆 のぼり 空蝉 つどふ 葉かげ より
声明の雨 天 舞い昇る

こぞ 十一月まで 咲きたれば
薄紅の まぶた 唇 ほのひらき
夏 ゆきしか と ささやきつ まどろみつ
夏水仙の 噴井 泡巻く 昼顔へ
百日紅 しぶき かげ散らす 蝉

と 母のたたずみたまひし 手すりの
上へ 下へ くぐりて咲きし 橙色の薔薇
母を探し かをり 風にたづね 雨にきき
ついに光のうちに 母を見つけし
花の 笑み散る
散る花の 母の手のごと やはらかき
寄り添ひて しづけく朽ちゆく 花びらを
風の ゆすりて 遠つ海 來る

ひとり舞い 願う 詩仙のみたまへ
大海のふところ深く われを包み
帰らせたまへ 母なるみくにへ
いつか いつか いつか まだ まだ まだ
みこころに添ひ 眞実を尽くし
ありがたく すべてをうけ入れ
すべてをゆるし 持てるすべてを与ふ
いつなりと いつなりと いつなりと
いま いま いま

いまはなき母 いまはなき子つれ
あまた舟に乗りゆく
月かげ さやか
涙かくし 楽しき話
励まし語る 託されし 人の子のため
涙こらへ 耳 澄まし
やがて笑む 見知らぬ 人の母のため
人のため 人は死ぬる
祈りの風 願ひの汐に 送られて
とことはのよろこび のみ待つ
とこしへにかがやく みくにへ舟はゆく
いつまでも いつまでも いつまでも
ともに ともに ともに ある ある ある
生きよ 生きよ 生きよ
いまも いつも いまも いつも いまも いつも

走り 涙枯れ 手をふり
われも乗せたまへ と 舟を追ひ
ついに その舟が
すべての かなしみと後悔の届かぬ
ところまで
人のため 自らのため 命の限り生きる
ところまで 走り続けさせてくれた
ことに気づき 立ち止まる
舟の上のひとり またひとりが 手をふる
手を 大きくふり返そうと 上げると
まばゆく 日が昇る
その中へ 舟は消えゆく
見えぬ どの顔にも 心からの笑みが 浮んでいる
ゆく顔の すべてに 送る顔の それぞれに
死者に想いを馳せる季節ですからね。
死後の世界があるとは思いませんが
生者が死者を想うというその事に生の意味が現れているように思います。
死者がもし話せたらきっと
「自由にやりたい事をやれ」と言うでしょう。
そして、海辺の描写は
ヴァージニア・ウルフの秀作「灯台へ」や
全体としてはしょうもなかったですが
霧が掛った海辺のシーンが妙に記憶に残っている、テレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」
あるいは、どうせ下世話なエピソードの連続だろうと高を括っていた西原理恵子の「パーマネント野ばら」での、ほとんど神話的と言える海辺のシーンを連想しました。
後、つまらない事ですが
この文章のカテゴリーは「絵画について」ではなく「散文詩」ですよね(笑)
下書き して、来月の日付を 入れたのに、
OK 押さずに 閉めちゃって、今日は 外出、
今 気づき …
これって、30年前 の ワープロ 原稿から
拾った のに、ふりがな 振っただけ、
も少し 何とか なるか と 思い …
母が 割と 気に入って くれてた のが あって、
それ 探してて、これも 何とか したくなり …
恥ずかし … 本日中に 引っ込めます …
たいへん 失礼いたしました …
最初の方はかなり私とセンス似てますね。
広重は巧いですが発想が平凡だと思ってましたが、やや奇想が入ったのもあるんですね。
蝉のお話も懐かしいです。
福岡伸一さんの感性を連想します。
それはそうと、最近、遅ればせながら
Facebook始めました。
よろしければ友達申請してください。
Takao Uenoで検索して頂ければ見付かると思います。プロフ写真はいつものやつです。
最初の浮世絵は、広重 では ありませんでした …
隷書版 かな と 思い、あとで 観なくちゃ と 思ってたら …
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/ukiyoe_artist_title.php?id=004
点 ないし … おかしい、と思い、どこから 引っ張った のか
思い出せず、あれこれ やってたら …
曾祖父母の時代の 国芳の御弟子の 御方 …
新井 芳宗 http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/aiueo-zenesi/yo-zenesi/yosimune-arai.html
歌川 芳宗 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E8%8A%B3%E5%AE%97
何たる こと …
最初のは、広重の 落款 印章を つけた まがい物 …
詳細が クロース・アップで 拝見できる の を、
画題の下に リンク させていただきました …
http://data.ukiyo-e.org/artelino/images/28508g1.jpg
これです … ここから 入りました …
http://ukiyo-e.org/image/artelino/28508g1
振売の人が、月明りの夜の 須磨の浜で
明朝 売り歩く 貝を 採っている のでしょうか …
振売 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E5%A3%B2
江戸のご飯 http://www.geocities.jp/kotokura1944/000_zzz_timata_iroiro_bouteburi.htm
フェイス・ブック も、どうも ありがとうございました …
しかし 登録しないと 入れない ようです … 当たり前か …
ツィッター というのも ほとんど 知りませんでしたので、
night fly を 圧縮したような 感じかな と 想い、
楽しみに 拝読させていただこう と 思っております …
ところで、いつだったか 割と 最近、偶然 見かけ、
少年の 顔に とても 惹かれ、すでに 終了していた
ようだった の ですが、画像を 取り込ませていただき、
時々 拝見していた 絵が あるのですが …
http://aucview.aucfan.com/yahoo/183536285/
上野 繁男 画伯 の1969 年の 御作品で、
こちらの 御方も、どこかで、神戸の気象台の絵 (?) を
観たことが あるだけで、全く 存じ上げなかったのです
が、このたび、もしかして … と 想い …
自分だったら 9 歳 位 です ので、時代や 表情に
親近感を 覚えたのかもしれません …
このたびは、いろいろと たいへん 失礼いたしました
とりわけ 芳宗 の作品は、とても 気に入っていた
ので、ちゃんとした形で ご紹介したかったです …
まだまだ 間違い、勘違いが あるかも 存じますが …
どうか ご指導 ご鞭撻を よろしく お願い申し上げます
どうも ありがとう ございました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E8%8A%B3%E5%AE%97
文化 14 年 (1817 年) - 明治 13 年 (1880 年) 4 月 17 日
林 氏 という 大工 の 御方の 息子で、
御自身は、鹿島 氏 を 名乗られ …
この 須磨 の 浮世絵 を 描かれた のは、
その 初代の 息子で、芳年 の 御弟子、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E8%8A%B3%E5%AE%97_%282%E4%BB%A3%E7%9B%AE%29
文久 3 年 2 月 5 日 (1863 年 3 月 23 日) - 昭和 16 年 (1941 年)
点 故 あって 新井 氏 を 名乗られ …
なので、跡目を 継がれ、二代 芳宗 と なられましたが、
新井 芳宗 … でも … あれ ? … やっぱり 歌川 なのか …
だめだ こりゃ … まだ … また 間違えちゃう …
なんか広重にしちゃヒネリが利いてるなと思いました。
フェイスブックは自分が好きな映画やミュージシャンなんかを登録しておくと色々勧めてくれて便利です。
後、勿論、友人の動向も知れますしね。
それと、こんな所で父親の絵に出会うとは。
あの少年は兄か私か、はたまた赤の他人か分かりません。
タッチからして売り物ではなく展覧会用に描いたものでしょうね。