hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

瀧裏の道

2016年07月06日 | 散文詩
 道の隈 塀よりかづら 碧落の
 瀧さかのぼり 月 櫂かしぐ

 花かげに 波うづくまり 身と影と
 守宮に沈く いにしへの空

そこにはかつて瀧裏を
登り抜ける道があって
ほとばしる水の穹窿を眺められたが
明治の終りに台風で崩落
その後直すこともならず
裏見はできなくなったという

第三紀と第四紀の地層の境となって
いた
らしく、太古に橋かける道だった

出羽三山より請來されたという
不動明王像はいまも
途切れた道を護り佇む

奥の細道」 には次のように記される

廿余丁山を登つて瀧有
岩洞の頂より飛流して百尺
千岩の碧潭に落たり
岩窟に身をひそめ入て
瀧の裏よりみれば
うらみの瀧と申伝え侍る也

  しばらくは 瀧にこもるや 夏の初
 (しばらくは たきにこもるや げのはじめ)

  ほととぎす 裏見の瀧の 裏表
  ほととぎす 隔つか瀧の 裏表


あなたの前に、二つの道があるならば
そしてそのとき、あなたが健康ならば
困難なほうの道を行きなさい、とラマ僧は
友の フランス人映画監督 に云ったという

の中で、長男を亡くし塩を運ぶ ヤク
キャラバンを数十年ぶりに率いた老族長は
ラマ僧の絵師となり、いま父のため寺を出て
ついてきた次男から、師の教えを聴くと
若き日に一度だけ通り抜けたことのある
深い谿を崖伝いに行く、悪魔の道に挑む

石と板とを積み上げ、組んだ道は途中で崩れていた
老いた職人と老族長が残った石と板を一つ一つ
重ね直した道は、再び通り始めたヤクの足の下で
ゆれ動き、土と小石を絶え間なく降り落とす

しんがりを行く次男の目の前で、ついに再び道は崩れ
最後のヤクが転げ落ちゆくなか、なすすべもなく
崖に張りつき目をとじ祈る次男に、かけ戻った
兄嫁が崩れた崖を踏みしめ、手を差しのべる

ヤク一頭と塩二袋、悪魔に支払った
と族長は云い、一行は道を切り抜ける
まばゆい青空を映す、谿底の水


見知らぬ土地をゆく列車の窓から
幼い頃の夏の日につづく道が
木立の間にきらめいて
山裾に消え、海端で途切れることも
昔はあった

駅の改札を抜けるとあった
睡蓮の葉の浮かぶ小さな池
仄紅い花が
灯るように咲くこともある
探しても、いつもいなかった
緑の雨蛙が
記憶の底で、葉に手をついて坐り
ころころ鳴く
水面から、もう一組の目玉が出て
きょろきょろ動く

地下鉄工事のまばゆいランプが
目路の限り下がる、板囲いのつづく道

憧れに満ち、夕暮にまばゆく耀くいくつもの灯りに
仄白く照らされた板囲いに、目を瞠りながら
こんな場面があったわ
最後独りで、ずっと入って行っちゃって、倒れてるのが見つかるの
昔見つけて、ずっと探してた、庭園につづく緑の扉だと想って
H・G・ウェルズ の 「塀の上の緑の扉
という本だったと想う、と母が帰り道々話してくれた

遙かな昔、見たこともない庭園への
扉を見出し、夢のような時を過ごしたのに
その後再び、その扉を目にしたときはいつも
将来がかかり先を急いでるさなか
あとで想い出し戻ってみても、もうそこにはない
暇はどんどんなくなり、はずかしさも先立ち、やがて興味も薄れ
だが閣僚となったいま、またあの扉を見つけ
今度こそはその場で開け、きっとくぐりたいと願う

そして地下鉄工事の板囲いの内に、夜更け
独り入り込んで、トンネルの奥に倒れ
亡くなっている大臣が発見され
最近になって再会、思いがけぬ話を聴いた、幼な友だちの
書き手は、ついに見つけたんだな、と独りごちる

できた地下鉄で高校へ通った
大学に入り、院を出て助手になった頃
その本 を見つけた
母は学生時代、原文で読んでいたのだ
贈ったら、とても喜んでくれた
ボルヘスの序文に、ほぼ自伝に即したとある
亡くなったのはベッドの上だが、死出の夢の中
きっと扉を開け、くぐり抜けたのだ


ここは深い迷宮の底
氷の松明を掲げ、若者は
覚束ぬ足どりで進む
脱ぎ捨てた毛皮と角
斃れているような身と影を
隘路の隈に置き去りにしたかもしれぬ
視線は投じなかった
助けを求める声がかすかに
響いていたからだ

熱と灰の降りしきる町
大人の斃れた傍らで
子どもたちがうづくまり泣いている
おいで、と若者は呼びかける
灰にまみれた子どもたちの目が耀く
なんのために、この迷宮にとじ込められ
獣じみた叫びに切りさいなまれながら
待っていたのか、いまわかった

迷宮の奥へと戻る道すがら
ナルシスたちが水鏡から子どもたちを連れ
戻ってくるのに行き逢った

灰と煙、漆喰と硫黄の中に穿たれた迷宮の
深奥に氷河の湖がある
遙かな高みから、一条の光が差し込んで
月の舟が浮び上がる
子どもたちを乗せると、若者たちは
仄暗い迷宮に散り、それぞれの持ち場に戻る

そして氷河の耀きが、かすかにわだかまっている
優しく憂鬱そうなナルシスたちの
水鏡の奥から
途惑い疲れたようなテーセウスたちの
傍らから、響いてくる
舟がゆっくりと昇ってゆく音に
耳を傾ける


轟く水音が聴こえてくる

 瀧裏の しづくに揺るる 半夏生
 碧潭くぐり いにしへ わたる

 白き蝶 どこかで母の うたふ 道

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5 コメント

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みっつの扉 (alterd)
2016-07-06 21:02:44
さすがhazarさんのお母様、ウェルズを原文で読んでらっしゃいましたか。

「奥の細道」は読みましたが瀧裏の道はうろ覚えでした。

扉と言えば思い出すのが聖書の有名な言葉「叩けよさらば開かれん」と映画「グラディエーター」で、ラスト、ラッセル・クロウがコモドゥスの陥穽に落ち死ぬ刹那、かつて妻と子供が生きていた頃の庭園へと続く扉を開けるシーン、そして、トスカの一節「星は輝き、大地はよい匂いに満ち、菜園の扉が軋み、歩みは軽く砂地を掠める」です。

そのどれもが天国への扉なのでしょう。

そういえば、長い間修行していた禅僧が老師に「いつになれば悟れるのでしょう」と尋ねると「さっき小川を渡っただろう。そこからだ」と答えたそうです。

そこにも心の平安=悟りへの道が示されているように思います。

要は、日常生活への虚心で丁寧な態度が肝心なのでしょう。

改めて私が好きな芭蕉の句「よく見れば薺花咲く垣根かな」を思い出します。
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恨み仇か怨み難きか (hazar)
2016-07-09 01:12:21
alterd様、いつもほんとうに、どうもありがとうございます。

「裏見ヶ瀧」と裏に記された、古いスケッチを観る機会があり、それを読んだとき、
いや凄い(響きの)名前だな…と想い、調べるうち、崩れた道のことや芭蕉にもめぐり逢い、
日光には大人になってから初めて行って、春分の日に雪降る中、二つの瀧は
観た印象もはっきり残っているのに、この瀧のことは憶えておらず、
行かなかったのかな、と、がっかりしつつ、とても気になっていました。

奥の細道は、ところどころしか読んでおらず、なずなの句は、字すら読めませんでした。
よく見れば、という、近づくにつれ、視野の端で揺らぐ小さな花むらへ焦点を絞り込む導入は、
まことに自然で、巧まずして十分で、驚きと愛情すら表現されていることに、舌を巻く想いです。

「グラディエーター」の最後、そんな救いがもたらされていたとは、
さすがはリドリー・スコット監督、ぜひちゃんと観せていただかねば…

扉のことで、今も気になっている言葉は、亀様にお薦めされておられるのを伺っていて
手に入れ、観て印象深かった、「ぼくのエリ」の原題の、 Let the right one in で、
「ふさわしきものに入らせよ」、だと想っていたのですが、主語がないことに気づき…

扉をたたくものは、そこがどんなところなのか、そこ(にいる人)にとって、はたして
自分は入るにふさわしいのか、また同時に、そこ(にいる人)は、自分にとって、
ふさわしいといえるのか、知り、考えてからでなければならず、それがたとえ
不明であっても、そうであってほしい、と、賭けるしかないのか、

扉の内にいるものは、自分自身が外にいると考えたとき、(自分は)どうしてほしいのか、
どうするのがふさわしいのか、を知ろうとし、考えなければならぬ、ということなんだと…

つまりこれは、扉の外と内の人々が、他者と自己が、相手を尊重し、信頼し合い、
助け合える社会なのか、そういうものを目指すのか、それともあきらめるのか、
という問いかけなのかと…

「うらみ」は、「うらやむ」からくる言葉で、「裏」すなわち「心」が「病む」、
他者が恵まれていること、すなわち自分が恵まれていないことに、傷つくことをいい、
しかしながら、他者を憎むよりは、自分もそうありたい、と願うに踏み止まろうとしていると…

求めるものが少なくなれば、心は豊かになる、ということと、知的好奇心や向上心は
決して矛盾せず、しかしいかなる専有も独創につながらず、無知もまた無垢ではあり得ず、
締め出すものは締め出され、受け入れられることには受け入れることが先立つ…

日常生活への虚心で丁寧な態度というのは、身近なものに真摯に全力と真心を尽くす
という、計り知れない重みと深み、そして集中力と速度とを保持されつつ、
自由と楽しさへの果てしない伸びやかさと軽さを備えていて、alterd様にまことにふさわしい
お言葉で、座右の銘といたしたく存じます。

ほんとうに、いつもどうもありがとうございます。
返信する
Let the right one in (alterd)
2016-07-09 07:22:09
「ぼくのエリ」の原題は 「Let the right one in」でしたか。
ありがとうございます。
他者との交わりは往々にして不快なことの方が多いですがそれらを遥かに上回りお釣りが来ます。

実は前回描こうと思いくどくなるので止めたエピソードがあります。
それはヴィトゲンシュタインの入門書に書いてあった言葉ですが「この世には真理に至る扉がありヴィトゲンシュタインはその扉の鍵をそっと開けておいた」というものです。

実際、ヴィトゲンシュタインも「論理哲学論考」のあとがきに「一人でも理解してくれる人がいれば私の目的は果たされた」と書いています。

フィールズ賞受賞者の論文を本当に理解出来る人は世界に10人くらいだそうです。

ただ、私はエリート主義は嫌いです。

例えば、利休のような天才が確立した茶の湯が広く浸透したことを好みます。

茶の湯は日常を芸術にする行為だと思います。

さて、現代に生きる私にとって日常を芸術に出来るのは一体どんな行為なのでしょう。

それはひとつには楽器であり、後、他者を慮り出来る限り丁寧に生きることなのです。
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面白いですね (みすず)
2016-09-13 21:43:13
ねねっ 元気してる!? あはは え~っと、最後独りでずっと入って行っちゃって、倒れてるのが見つかるの昔見つけて、ずっと探してた庭園につづく緑の扉だと想って、H・G・ウェルズ の 「塀の上の緑の扉」という本だったと想うと母が帰り道々話してくれたという内容は説得力があってとても良いと思います。あっ・・・ 白き蝶 どこかで母のうたふ道 この終わり方もしっかり印象に残ってすごく良いです。内容が暗くなくて、明るい話の方やはり面白いです。以前より話の書き方が上手になっています。う、うん・・・ お体に充分に気をつけてください。
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うわ、ありがとうございます (hazar)
2016-09-14 02:15:12
ありがとうございます! おいそがしいのに、御目通しいただきまして感に堪えません…
女神様も お元気でしょうか…
なんとか月一のペースを取り戻したく…ひとこと書いた途端…
すばらしい絵と出逢ってしまい…次は絵のことに なりそうなんですが…
そういえば、こちら 先程気づき…「喜怒哀楽」が入った曲と言えば?
http://okwave.jp/qa/q9227861.html

いつも ほんとうに どうも ありがとうございます
女神様に明るく温かく照らしていただいております御蔭様にて、楽しく健やかに
過ごせております…しかしながら、女神様やalterd様や皆皆様のように 規則正しく
ていねいに日々を過ごせますよう、もっと努力いたさねばなりません…
今後とも どうぞ よろしくお願いします…どうか くれぐれも お元気にて…
また お目にかかれますこと 心から楽しみにいたしております
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