母の日に「長生きして」と……
「おまえらが、はよ安心させてくれんで、まだまだ死ぬわけにゃいかんわいの」
71歳になる母の口ぐせで、またその言葉通りなにくれとなくわたしとわたしの家族の面倒を見てくれる。
寄る年波で足腰が不自由なのに、毎朝畑に出て、収穫したものを押し車に載せて帰り、「新線やでうまいぞ。みんなで食べたらええ」とニッコリ笑う。確かに朝どりの野菜は味が違うので、わたしの家族は大喜びで口にする。
かと思うと、夫婦共稼ぎで家事を後回しにしていれば、洗たく、掃除、…と、いつのまにか母が片付けている。申し訳なくて感謝しきりのわたしたちに、
「子どもの家族の面倒みるんは親の役目じゃが。気にせんで働いたらええんじゃでな」
めを細くして、さも嬉しいと言った調子で答える母だった。
わたしの子ども3人も母が育ててくれたようなもので、いまだに3人ともおばあちゃん子なのだ。
ことしの母の日、家族の総意で母を招待してご馳走をふるまうことに決めている。
そして、こう言う。
「もう安心して長生きしてな、おばあちゃん」
(産経・1990・3・27掲載)
「おまえらが、はよ安心させてくれんで、まだまだ死ぬわけにゃいかんわいの」
71歳になる母の口ぐせで、またその言葉通りなにくれとなくわたしとわたしの家族の面倒を見てくれる。
寄る年波で足腰が不自由なのに、毎朝畑に出て、収穫したものを押し車に載せて帰り、「新線やでうまいぞ。みんなで食べたらええ」とニッコリ笑う。確かに朝どりの野菜は味が違うので、わたしの家族は大喜びで口にする。
かと思うと、夫婦共稼ぎで家事を後回しにしていれば、洗たく、掃除、…と、いつのまにか母が片付けている。申し訳なくて感謝しきりのわたしたちに、
「子どもの家族の面倒みるんは親の役目じゃが。気にせんで働いたらええんじゃでな」
めを細くして、さも嬉しいと言った調子で答える母だった。
わたしの子ども3人も母が育ててくれたようなもので、いまだに3人ともおばあちゃん子なのだ。
ことしの母の日、家族の総意で母を招待してご馳走をふるまうことに決めている。
そして、こう言う。
「もう安心して長生きしてな、おばあちゃん」
(産経・1990・3・27掲載)
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