「おかあちゃん。
きょうおかしな男の人にあったよ」
芳樹はいつもより饒舌になった。
母に気づかれたくないからだ。
さっき捨てた弁当の中身に。
家の裏手に狭い畑がある。
ネギが植えてあって、
食事のたびに、
母がちぎってみそ汁の具にした。
その畑の畝の一角にごみ穴がしつらえてある。
残飯や残り物を放り込んで土をかけて肥料に変える。
その穴に弁当の中身をぶちまけて、
ひと目ではわからない程度に、
ほかの残飯と混ぜておいた。
まず母は気づかない。
それでも気の小さい芳樹には、
不安がぬぐいきれないのだ。
「へえ、どんな人だい?」
母は暢気に訊いた。
芳樹がやってのけたことを知ったら、
きっと卒倒するだろう。
だから、
母の気をそらすために、
興味を引くだろう話題を、
途切れなく提供するしかない。
「うん。
それでねえ。
その男の人、
ぼくんちと同じ名前なんだ」
「同じ名前?」
しめた。
母は興味を持った。
「そうだよ。獅子堂って名札を胸につけてたんだ」
「獅子堂?
それはおかしいな。
この村でも獅子堂は二軒しかないのに」
「妙だろ。でも本当に獅子堂だったよ」
「!」
母は目を丸くした。
芳樹は、
獅子堂と称する男の顔を、
懸命に思い出そうとした。
病室に人気はなかった。
ベッドに生命維持装置を付けた男が、
眠っているだけだった。
付き添いの家族は、
主治医に呼ばれて、
急いで病室を離れていた。
微動だにしない男の表情が、
一瞬変化した。
男を知っている誰かがいれば、
男が頬笑んでいると、
すぐに理解するだろう。
とはいえ、
男は脳死寸前の状態だった。
それが、
笑っている。
世の中には、
人知で推し量れないことも、
時々起こる。
それが、
この男にも、
起きているのか?
ただ、
冥府の道を一目散に駆けている男に、
どんな幸せが訪れているのだろう。
(次回に続く)
きょうおかしな男の人にあったよ」
芳樹はいつもより饒舌になった。
母に気づかれたくないからだ。
さっき捨てた弁当の中身に。
家の裏手に狭い畑がある。
ネギが植えてあって、
食事のたびに、
母がちぎってみそ汁の具にした。
その畑の畝の一角にごみ穴がしつらえてある。
残飯や残り物を放り込んで土をかけて肥料に変える。
その穴に弁当の中身をぶちまけて、
ひと目ではわからない程度に、
ほかの残飯と混ぜておいた。
まず母は気づかない。
それでも気の小さい芳樹には、
不安がぬぐいきれないのだ。
「へえ、どんな人だい?」
母は暢気に訊いた。
芳樹がやってのけたことを知ったら、
きっと卒倒するだろう。
だから、
母の気をそらすために、
興味を引くだろう話題を、
途切れなく提供するしかない。
「うん。
それでねえ。
その男の人、
ぼくんちと同じ名前なんだ」
「同じ名前?」
しめた。
母は興味を持った。
「そうだよ。獅子堂って名札を胸につけてたんだ」
「獅子堂?
それはおかしいな。
この村でも獅子堂は二軒しかないのに」
「妙だろ。でも本当に獅子堂だったよ」
「!」
母は目を丸くした。
芳樹は、
獅子堂と称する男の顔を、
懸命に思い出そうとした。
病室に人気はなかった。
ベッドに生命維持装置を付けた男が、
眠っているだけだった。
付き添いの家族は、
主治医に呼ばれて、
急いで病室を離れていた。
微動だにしない男の表情が、
一瞬変化した。
男を知っている誰かがいれば、
男が頬笑んでいると、
すぐに理解するだろう。
とはいえ、
男は脳死寸前の状態だった。
それが、
笑っている。
世の中には、
人知で推し量れないことも、
時々起こる。
それが、
この男にも、
起きているのか?
ただ、
冥府の道を一目散に駆けている男に、
どんな幸せが訪れているのだろう。
(次回に続く)
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