子どもゆがめる子離れせぬ親
子どもの学校だよりに「お願い」と強調されていたのが、朝起きるのが遅くなったとか、、ほんの少し体調が悪いなどのささいな理由での、自動車の送り迎えを自粛してほしいということだった。
改めてお願いしなくてはならないほど目立って多いということだろう。塾や習い事の送り迎えするために校門の前で子どもの終業を待ち構えている親の姿が結構目立つのも、時代の流れだろうか。
しかし、こんなふうに親が子どもの生活を丸抱えで支えるのも考えものだ。子ども自身の自立への弊害や、子どもの集団生活に対する意識の健全なる成長を妨げる一因になっているのははっきりしているのだから、親は果たしてどうあるべきかを真剣に考え、素直に反省をしなければならない。
子どもが自分の足で歩いて通学することは、社会生活に適応するための第一歩なのだ。
身の回りにあって必然の危険を避ける注意力や判断力、そしてとっさの決断力がそれによって身に着く。一緒に登校する上級生や下級生とのふれあいで、仲間意識や思いやりが自然に育つのだ。
みんなもう少し子離れしてもいいのではなかろうか。
(神戸・1996・2・1掲載)
子どもの学校だよりに「お願い」と強調されていたのが、朝起きるのが遅くなったとか、、ほんの少し体調が悪いなどのささいな理由での、自動車の送り迎えを自粛してほしいということだった。
改めてお願いしなくてはならないほど目立って多いということだろう。塾や習い事の送り迎えするために校門の前で子どもの終業を待ち構えている親の姿が結構目立つのも、時代の流れだろうか。
しかし、こんなふうに親が子どもの生活を丸抱えで支えるのも考えものだ。子ども自身の自立への弊害や、子どもの集団生活に対する意識の健全なる成長を妨げる一因になっているのははっきりしているのだから、親は果たしてどうあるべきかを真剣に考え、素直に反省をしなければならない。
子どもが自分の足で歩いて通学することは、社会生活に適応するための第一歩なのだ。
身の回りにあって必然の危険を避ける注意力や判断力、そしてとっさの決断力がそれによって身に着く。一緒に登校する上級生や下級生とのふれあいで、仲間意識や思いやりが自然に育つのだ。
みんなもう少し子離れしてもいいのではなかろうか。
(神戸・1996・2・1掲載)
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