僕にはコンプレックスみたいなのがある。
「横文字」をすらすらと口にする人を前にすると、寡黙になる。すげぇなぁと、思ったりもするんだけど。
しゃべるだけでなく、文章にも同じ反応をすることが昨日発見された。
買い込んだ本、泉麻人さんの著書が1980年代から90年代にかけて(すなわちバブル)に発売されたものが多かったんだね。そうなると、当然ブランド、ディスコ、海外旅行などの話しが出てくる。その海外旅行の話しで気付いた。
グァムだサイパンだ、やれハワイのオアフ島のどこそこビーチがとか、ニューヨークの、シドニーのなんとか通りにあるかんとかって店のほにゃららはどうしたとか、そんなことが描いてあるんだな。描写が細かいのはきっと、読者がそれを片手に現地に行って迷わないようにだったり、読んだだけで情景がつかめるような作家的配慮だったりするわけだ。
今まで何となく感じていた違和感がなんだったのかおぼろげにわかってきた。要するに、それを口にしたり描いたりしている人は「観光・旅」で行ったわけで、聞いたり読んだりする人の多くは同じなんだなぁと。
住んでいる人には有り難くも何ともない
普通のものが観光客にはとても珍しいってことなんだね。
なぁんだ、そんなことだったのかぁ(笑)
僕はアメリカも、デンマークも、ドイツも住んでいたわけだし、冬休みはオーストリアの山のロッジに2週間泊まってスキーしたり、夏休みはちょっと足を伸ばして南フランスやイタリアで遊んだりしてた。ハワイも、ニューヨークからの帰りに確か2週間ぐらいいたのかな??(子供だったからよく覚えてないけど)←その書き方がやらしい(-"-)
僕が持っている感覚って多分住民なんだなと、そう感じたですよ。それも、留学とか仕事とかそんなのとは全然関係なく、目的もなく自分の意志ですらなく(←ここだいじです)日本じゃないところに住んでいた、だからこそ感じる感覚だったのかと。
改めてそう思ってみると、いろいろ身体で納得いくことが多い。例えばね、清水辺りの人が富士山を見てもそんなに感動しないと思うのね、清里の人も八ヶ岳を見て感動しないじゃん。でも、そこに転勤したり学校が近くで引っ越したりした人はさ、慣れてきてもちょっとは「あ、やっぱりすごいな」とか感じるんじゃないかな。その辺の違いなんだけどわかるかな?
僕にとって「あたりまえ」の感じな物事を「ほら、こんなにすごいでしょう?」って紹介されるから、ちょっとまて、と反応がとまっちゃう。それで寡黙になったりする(やっと話しが戻った)
子供の頃に「外国はもうおなかいっぱい」になっちゃったから、今さら海外って言われても別にめんどくさいだけでありがたくはないし。その海外物をありがたがる感覚は未だにわかりませんが....
僕は名前を覚えるのが苦手だからわかんないんだなぁ
あんなにすらすらアーティストやブランドなんかの名前が出てきて話しが通じてるよっ すげぇなぁって、そこはね 確かにその通りかもしれない。いいものはいいんだけど、その名前まで「興味がない」から僕は覚えてないだけだぞって、そう思い込んでたんだけどさ。もしかしたら僕の中では「あんまりありがたくない」から興味もわかないし、「珍しくない」から感動もしないのかなって。
そう思ったらちょっとさっぱりした気分になったんだけど、こうして書いてみたらちょっとやらしい感じだよねぇ....
でもコンプレックスとは違う「感覚の問題」かもしれないって気付いたらなんとなく、気分が楽になったよ♪
「やまとことば」奇麗な響きではないですか。
日本の文化、自然ってすんなりと僕の身体になじみます。いやいや、演歌は嫌いだぜ言っとくけど! ああいう救いのない歌は嫌いですけど、作ったものではない自然の音、せせらぎ、木霊、風...
枯れ葉がかさかさ立てる音って太陽と風の音なんですよ
ほら、どう?
とても自然が愛おしく感じたところでおしまい(^_^)/
「横文字」をすらすらと口にする人を前にすると、寡黙になる。すげぇなぁと、思ったりもするんだけど。
しゃべるだけでなく、文章にも同じ反応をすることが昨日発見された。
買い込んだ本、泉麻人さんの著書が1980年代から90年代にかけて(すなわちバブル)に発売されたものが多かったんだね。そうなると、当然ブランド、ディスコ、海外旅行などの話しが出てくる。その海外旅行の話しで気付いた。
グァムだサイパンだ、やれハワイのオアフ島のどこそこビーチがとか、ニューヨークの、シドニーのなんとか通りにあるかんとかって店のほにゃららはどうしたとか、そんなことが描いてあるんだな。描写が細かいのはきっと、読者がそれを片手に現地に行って迷わないようにだったり、読んだだけで情景がつかめるような作家的配慮だったりするわけだ。
今まで何となく感じていた違和感がなんだったのかおぼろげにわかってきた。要するに、それを口にしたり描いたりしている人は「観光・旅」で行ったわけで、聞いたり読んだりする人の多くは同じなんだなぁと。
住んでいる人には有り難くも何ともない
普通のものが観光客にはとても珍しいってことなんだね。
なぁんだ、そんなことだったのかぁ(笑)
僕はアメリカも、デンマークも、ドイツも住んでいたわけだし、冬休みはオーストリアの山のロッジに2週間泊まってスキーしたり、夏休みはちょっと足を伸ばして南フランスやイタリアで遊んだりしてた。ハワイも、ニューヨークからの帰りに確か2週間ぐらいいたのかな??(子供だったからよく覚えてないけど)←その書き方がやらしい(-"-)
僕が持っている感覚って多分住民なんだなと、そう感じたですよ。それも、留学とか仕事とかそんなのとは全然関係なく、目的もなく自分の意志ですらなく(←ここだいじです)日本じゃないところに住んでいた、だからこそ感じる感覚だったのかと。
改めてそう思ってみると、いろいろ身体で納得いくことが多い。例えばね、清水辺りの人が富士山を見てもそんなに感動しないと思うのね、清里の人も八ヶ岳を見て感動しないじゃん。でも、そこに転勤したり学校が近くで引っ越したりした人はさ、慣れてきてもちょっとは「あ、やっぱりすごいな」とか感じるんじゃないかな。その辺の違いなんだけどわかるかな?
僕にとって「あたりまえ」の感じな物事を「ほら、こんなにすごいでしょう?」って紹介されるから、ちょっとまて、と反応がとまっちゃう。それで寡黙になったりする(やっと話しが戻った)
子供の頃に「外国はもうおなかいっぱい」になっちゃったから、今さら海外って言われても別にめんどくさいだけでありがたくはないし。その海外物をありがたがる感覚は未だにわかりませんが....
僕は名前を覚えるのが苦手だからわかんないんだなぁ
あんなにすらすらアーティストやブランドなんかの名前が出てきて話しが通じてるよっ すげぇなぁって、そこはね 確かにその通りかもしれない。いいものはいいんだけど、その名前まで「興味がない」から僕は覚えてないだけだぞって、そう思い込んでたんだけどさ。もしかしたら僕の中では「あんまりありがたくない」から興味もわかないし、「珍しくない」から感動もしないのかなって。
そう思ったらちょっとさっぱりした気分になったんだけど、こうして書いてみたらちょっとやらしい感じだよねぇ....
でもコンプレックスとは違う「感覚の問題」かもしれないって気付いたらなんとなく、気分が楽になったよ♪
「やまとことば」奇麗な響きではないですか。
日本の文化、自然ってすんなりと僕の身体になじみます。いやいや、演歌は嫌いだぜ言っとくけど! ああいう救いのない歌は嫌いですけど、作ったものではない自然の音、せせらぎ、木霊、風...
枯れ葉がかさかさ立てる音って太陽と風の音なんですよ
ほら、どう?
とても自然が愛おしく感じたところでおしまい(^_^)/