くまさんの日常

日々の出来事をつれづれなるままに書き連ねています。治療院の裏話や本音がにじみ出るかも

良識を持ちましょうよ

2008-11-13 12:31:20 | 休日
ネットをいろいろと見ていたら、こんな記事がありました。

某県の警察では児童に声をかける不審者がいたら通報しましょうと。学校に出向いての安全講習では「知らない人に声をかけられたら、防犯ブザーを鳴らして逃げて下さい」と指導しているそうです。
そしてその県では実際女児に「おはよう」と声をかけた男性が通報されて逮捕されたそうです。

僕が引越した先の子供たちは(同じマンションなので)すれ違う時必ず挨拶をしてくれます。いいことだと思うので、僕も「おかえりなさい」とか「こんにちは」などその場にあった挨拶をするように心掛けています。そして近所の子たちも外で遊んでいたり学校帰りなどでもすれ違うと挨拶をしてくれます。何度かすれ違えば「あそこの家の子だな」と分かりますので、こちらから挨拶をすることもあります。

これでいちいち通報されたらたまらんですよ。


そして、知人から聞いた話ですが。
お孫さんが通っている学校では最近給食を食べる時、先生が机の上のベルを「ちん」と鳴らすのだそうです。それを合図に食べはじめるのですって。
え、いただきますって言わないの?

えぇ、言わないんだそうです。
なんでもとある保護者が「給食費を払っているのだから、わざわざ頂きますと学校で言わせるのはおかしい」と学校にクレームをつけたんだそうです。そこで校長が上記のようにすると決めたらしいです。

おかしいのはその親と校長だと思うんですけど、僕の考えは間違っているのでしょうか?
そもそも「いただきます」という挨拶は食べ物の命、育ててくれたお百姓さんたちや作ってくれた人に対する感謝の気持ちをあらわしているのだと、おばあちゃんに教わったんですけど?

別に学校に対して「いただきます」とは言わないと思うんです。


それを言うなら、たとえばキリスト教の人なら食事の前に感謝の祈りをしますよ。
「いただきます」は本を正せば神道の祈りでもあるわけですから、信教の自由を言い立てて騒ぐ人すら出てくるじゃないですか。

なんか最近の世の中はおかしくなってきている気がします。
世代のせいにしたくはないのですが、今の小中学生の親は「団塊ジュニア」ですね。その親は当然団塊の世代。
団塊の世代は自由をはき違えて育ってしまった世代だと僕は考えています。もちろん全員がそうだとは言いません、極端な人たちが目立つのでそういう括りをされることがあるのだと言う意味ですから誤解のないように。

その親に育てられた子供たちは当然「自由」についてきちんとしたことを知らずに育ちます。こういった人がいわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる「自己主張だけをして責任を取らない」ひとに育つのではないでしょうか?
自己主張もいいのですが、これがまた自分の主観に基づいたものになっていて他者の気持ちを汲んだり思いやったりすることがないのです。

困ったもんですね。


やはりもっと人を思いやり、人の気持ちになって物事を考えように心掛けるのがより一層必要な時代になったのではないかと思います。