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“男のためのガーデニング”改め

余呉町国安集落 草岡神社のスギと野神さん」~長浜市余呉町国安~

2021-07-18 13:25:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 余呉町は、巨樹の多い地域で神社や村外れなどに集落の御神木や野神さんなどの巨樹が守り続けられています。
しかし、近年は「栃ノ木峠のトチノキ」や「管山寺のケヤキ」「余呉湖の衣掛柳」など枯死したり倒壊したりした巨樹が多くなっているといいます。

余呉町の田園地帯にある「国安」集落には「草岡神社」という神社があり、境内には5本の巨樹スギがありました。
国道365号線にあった案内板には「国安 天神前 五箇の野神祭」の文字。興味をひかれて国道を外れ国安の集落内に入ります。



国安の野神祭とは草岡神社の大祭のことをいい、境内では国安・今市・東野・池原・文室の五つの村人たちが集まって盆踊りをするという。
五つの村の盆踊りですから「五ヶ踊り」というそうで、集落同士の交流の場でもあり、余呉川をはさんで隣接する各集落が水争いなどしないよう円満な関係を築くことにも役立ったのかもしれません。



小谷集落から下余呉集落辺りのエリアには「賎ヶ岳合戦」時に羽柴秀吉軍により築かれた山の砦が各所にあったといい、草岡神社の裏山の天神山にも砦を築かせて警備に当たらせたといいます。
「賎ヶ岳合戦」は賎ヶ岳の攻防だけではなく、余呉湖周辺や柳ケ瀬に至るまでの北部の広い範囲に砦を築いて戦場として陣を構えて戦ったとされ、局地戦ではなかったとのこと。



砦のあった天神山の麓にある草岡神社の鳥居を入ると、目に飛び込んでくるのは石段の両脇に聳え立つ見事なスギ並木。
神社の石段などの両端にスギがあるのを見かけることがありますが、ある意味での結界なのかとも思います。



広い境内の先には石垣で一段高くなった場所に境内社が祀られ、その中央に本殿へと続く石段がある。
一番大きいと思われるスギは右の境内社の前にあり、石段の両脇には2本づつスギが立っている。
どのスギも真っすぐに上に伸びていて、両脇のスギを眺めながら石段を登っていくと、浄化されていくような気持にもなる。



石段の上から下を見降ろすと、4本のスギの向こうに鳥居が見える。
間にある広い境内では「五ヶ踊り」の時に大勢の人が集まって盆踊りに興じたことでしょう。



石段を登りきると拝殿・本殿があり、本殿は石垣の上の神社の一番高いところに祀られています。
草岡神社の御祭神は「高皇産霊神・神皇産霊神・彦坐王命・菅原道真公」。

本殿は覆屋で被われており、中の様子はよく見えませんが、豪雪対策なのでしょう。
地元の方の信仰の篤さが感じられる立派な社殿です。



石段の途中の下段右側に祀られるのは「金刀比羅社」と「秋葉社」。
前にあるスギの幹周は4m弱といったところで、高さは35mとも50mともされている。



左側に祀られる境内社は「稲荷神社」と「毘沙門社」。
滋賀県の山村・農村に参拝すると、ほぼどの集落にも立派な神社があります。
ただ、余呉の集落でも石造りの鳥居だけがあるとか、神社の碑だけがある集落もあって、移転された跡地なのか神社自体がなくなってしまったのかよく分からない集落もありました。



「五箇の野神祭」では午前中にそれぞれの村の野神さんにお参りした後、午後から草岡神社で祭典がおこなわれるといい、祭典が終わるといよいよ「五ヶ踊り」が始まるという。
盆踊りは昼の部と本番の夜の部があり、江州音頭で盛り上がりをみせるそうです。



「草岡神社」の拝殿の横には「野神さん」の碑が祀られてありました。
帰宅してから知ったのですが、国安集落には野神さんがなんと3カ所もあるとか。

野神さんは集落に一つというのが普通ですが、ここは珍しい。
看板に天神前と書かれていた野神さんは「草岡神社」横の集落と神社の境内の野神さんで、もう一カ所は国安村にある別の字の野神さんだとか。



余呉町は山深い場所のイメージがありますが、この辺りは平野部が多く、田園地帯が広がる地域です。
農村ゆえに野の神を祀り、水の恵みと怖れを神に祈ってきたことが、祭りという形で残ってきたのかと思います。



追記:国安の3つの野神さんが気になったので日を改めて探しに行きました。
余呉川の近くにあったのは「天神前の野神」と呼ばれる野神さんです。



広い田園地帯を見渡して樹のある場所を探せばそこに野神さんが祀られています。
草岡神社境内の野神さん・天神前の野神さんに続いて最後の野神さんは「本郷の野神」です。



野神さんではありませんが、同じように田園地帯にそれらしい場所があったので行ってみると、それは地蔵堂のようでした。
祠の中に厨子があったものの、扉が閉まっていましたので地蔵かどうかの確証はありませんので推定です。



地蔵堂の横には石仏や石塔が祀られています。
もしかしたら賤ケ岳の合戦で亡くなった人の菩提を弔っているのかもしれませんね。





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