2023年の干支は「癸卯(みずのと・う)」、十二支では「卯(う)」でうさぎ年です。
“うさぎは跳びはねるので飛躍の年”とか“子沢山なので豊穣・子孫繁栄の年”と言われていますので、明るい話題が多い1年になって欲しいと願います。
神話の世界の「因幡の白兎神話」では、兎は大国主命(大己貴命)の求婚譚に登場する神の使いとされています。
「因幡の白うさぎ」は、ワニをだました兎が仕返しに皮を剥がされ、大国主命の兄の八十神たちに意地悪されて苦しんでいるところを大国主命に助けられ、兎の予言通り大国主命は美しい姫と結ばれたという話。
栗東市には大己貴命(大国主命)を配祀神として祀り、兎を神の使いとする「小槻大社」があり、兎は「御神兎」として奉られています。
「小槻大社(おつき)」は、古代に栗太郡の豪族・小槻山君が祖神として「於知別命(第11代垂仁天皇の皇子)」を祀ったのが始まりとされ、於知別命を御祭神として祀っている。
小槻氏は奈良時代宮廷に釆女を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで官務家(左大史)を世襲して朝廷に仕えたという歴史を持つ家柄だという。
神社は住宅地の生活道路の奥まったところにひっそりと祀られており、道に迷いながら到着しましたが、「大社」と名が付くだけあって広い境内を持つ神社でした。
参道の両脇には石灯籠が並び、ほぼ全ての石灯籠に「真向兎」の御神紋が彫られています。
「小槻大社」の御祭神・大己貴命(大国主命)の「因幡の白兎神話」にちなんで祀られているのかと思いますが、小槻山君の“槻”は“月”とも読み替えられ、月は兎にまつわる。
大己貴命(大国主命)が配祀神として祀られたのは、境内と隣接した天台宗・楽音寺(廃寺)の影響で、日吉大社西本宮から勧請されたものと推察されているそうです。
兎の石像が祀られている場所は参道に複数個所あり、「御神兎」として真向きの兎と立ち上がった兎の石像も祀られている。
大津市の「三尾神社」にも兎が祀られており御神紋は「真向きのうさぎ」ですが、三尾神社の方は三尾明神が卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方から現れたという言い伝えによるものだとか。
参道の横には「小槻大社古墳群」があり、小槻大社周辺には5世紀に築造された古墳が17基確認されているという。
小槻大社古墳群は小槻山君一族の墓とされていて、住宅地の中にある小槻大社の鳥居近くには「下戸山古墳」、同じ下戸山地域には「和田古墳群(9基)」など古墳の密集地帯でもある。
1号墳と呼ばれる円墳の墳頂には「龍王社」の祠があり、周辺に点在する石はかつての石室を構成した石組の一部と考えられているという。
この古墳は径25mの円墳で横穴式石室があったと推定されているが、知らなければ古墳と気付けないかもしれず、近隣に点在する古墳も田圃や宅地や墓地に姿を変えている場所が多い。
境内には「本殿」「拝殿」と八坂社(祇園社)、日吉社(山王社)、稲荷社が祀られており、周辺は鬱蒼とした木々に囲まれています。
この境内では毎年5月5日に例祭「小杖祭り」の祭礼が行われて花傘踊りが奉納されるという。
「小杖祭り」の風流踊は「草津のサンヤレ踊り」とともに「近江湖南のサンヤレ踊り」として国の重要無形民俗文化財に指定されているとのことです。
本殿と拝殿の右側には御神木が祀られており、分岐した枝が伐られていることから独特の姿をしています。
幹周は巨樹レベルではないものの、樹高の高さは神社を取り巻く木々に負けず劣らずの高さがあります。
「本殿」は永正16年(1519年)に建立された建築物で国の重要文化財に指定されている。
本殿内の宮殿には平安期の「木造男神座像(伝落別命像、伝大巳貴命像)の2躯が祀られていたといい、こちらも重要文化財の指定を受けているといいます。
(栗東歴史博物館に寄託)
本殿の向拝には「六角型菱灯籠」や「燈籠」が吊るされており、灯籠にも神紋である「真向兎」があしらえられた珍しいものです。
神社では生き物を神使として捉えることが多々あり、その種類は哺乳類・鳥類・爬虫類・想像上の生物と幅広く、人は生き物に霊的なものを感じ取ってきたとも言えます。
神使としての生き物は、神社の縁起や御祭神の縁に基づいて後年になってから奉られるようになったと思いますが、それぞれの神社での奉り方には興味深いものがあります。
うさぎの長い耳のように感度良く情報を集め、災難は脱兎の如く回避して、急坂をピョンピョン飛び越えていくような飛躍の年になることを願います。
“うさぎは跳びはねるので飛躍の年”とか“子沢山なので豊穣・子孫繁栄の年”と言われていますので、明るい話題が多い1年になって欲しいと願います。
神話の世界の「因幡の白兎神話」では、兎は大国主命(大己貴命)の求婚譚に登場する神の使いとされています。
「因幡の白うさぎ」は、ワニをだました兎が仕返しに皮を剥がされ、大国主命の兄の八十神たちに意地悪されて苦しんでいるところを大国主命に助けられ、兎の予言通り大国主命は美しい姫と結ばれたという話。
栗東市には大己貴命(大国主命)を配祀神として祀り、兎を神の使いとする「小槻大社」があり、兎は「御神兎」として奉られています。
「小槻大社(おつき)」は、古代に栗太郡の豪族・小槻山君が祖神として「於知別命(第11代垂仁天皇の皇子)」を祀ったのが始まりとされ、於知別命を御祭神として祀っている。
小槻氏は奈良時代宮廷に釆女を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで官務家(左大史)を世襲して朝廷に仕えたという歴史を持つ家柄だという。
神社は住宅地の生活道路の奥まったところにひっそりと祀られており、道に迷いながら到着しましたが、「大社」と名が付くだけあって広い境内を持つ神社でした。
参道の両脇には石灯籠が並び、ほぼ全ての石灯籠に「真向兎」の御神紋が彫られています。
「小槻大社」の御祭神・大己貴命(大国主命)の「因幡の白兎神話」にちなんで祀られているのかと思いますが、小槻山君の“槻”は“月”とも読み替えられ、月は兎にまつわる。
大己貴命(大国主命)が配祀神として祀られたのは、境内と隣接した天台宗・楽音寺(廃寺)の影響で、日吉大社西本宮から勧請されたものと推察されているそうです。
兎の石像が祀られている場所は参道に複数個所あり、「御神兎」として真向きの兎と立ち上がった兎の石像も祀られている。
大津市の「三尾神社」にも兎が祀られており御神紋は「真向きのうさぎ」ですが、三尾神社の方は三尾明神が卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方から現れたという言い伝えによるものだとか。
参道の横には「小槻大社古墳群」があり、小槻大社周辺には5世紀に築造された古墳が17基確認されているという。
小槻大社古墳群は小槻山君一族の墓とされていて、住宅地の中にある小槻大社の鳥居近くには「下戸山古墳」、同じ下戸山地域には「和田古墳群(9基)」など古墳の密集地帯でもある。
1号墳と呼ばれる円墳の墳頂には「龍王社」の祠があり、周辺に点在する石はかつての石室を構成した石組の一部と考えられているという。
この古墳は径25mの円墳で横穴式石室があったと推定されているが、知らなければ古墳と気付けないかもしれず、近隣に点在する古墳も田圃や宅地や墓地に姿を変えている場所が多い。
境内には「本殿」「拝殿」と八坂社(祇園社)、日吉社(山王社)、稲荷社が祀られており、周辺は鬱蒼とした木々に囲まれています。
この境内では毎年5月5日に例祭「小杖祭り」の祭礼が行われて花傘踊りが奉納されるという。
「小杖祭り」の風流踊は「草津のサンヤレ踊り」とともに「近江湖南のサンヤレ踊り」として国の重要無形民俗文化財に指定されているとのことです。
本殿と拝殿の右側には御神木が祀られており、分岐した枝が伐られていることから独特の姿をしています。
幹周は巨樹レベルではないものの、樹高の高さは神社を取り巻く木々に負けず劣らずの高さがあります。
「本殿」は永正16年(1519年)に建立された建築物で国の重要文化財に指定されている。
本殿内の宮殿には平安期の「木造男神座像(伝落別命像、伝大巳貴命像)の2躯が祀られていたといい、こちらも重要文化財の指定を受けているといいます。
(栗東歴史博物館に寄託)
本殿の向拝には「六角型菱灯籠」や「燈籠」が吊るされており、灯籠にも神紋である「真向兎」があしらえられた珍しいものです。
神社では生き物を神使として捉えることが多々あり、その種類は哺乳類・鳥類・爬虫類・想像上の生物と幅広く、人は生き物に霊的なものを感じ取ってきたとも言えます。
神使としての生き物は、神社の縁起や御祭神の縁に基づいて後年になってから奉られるようになったと思いますが、それぞれの神社での奉り方には興味深いものがあります。
うさぎの長い耳のように感度良く情報を集め、災難は脱兎の如く回避して、急坂をピョンピョン飛び越えていくような飛躍の年になることを願います。
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