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現在はほとんどの寺院が無住となっているため、通常は事前予約して村の世話方に観音堂を開けてもらわないと拝観することが出来ませんが、『観音の里ふるさとまつり』の日だけは31の寺院(神社)で開帳されます。
当日は門前市での模擬店などのイベントが開催され、周遊バスツアーや巡回バスの運行があり、高月・木之本の町が一気に活気づきます。
残念だったのは終日小雨交じりの天候だったことですが、各寺院には巡回バスが到着するたびに大勢の方が拝観に訪れられていて、湖北の観音様をひと目見たいとの熱気が感じられました。
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無計画なまま高月に入り、最初に拝観したのは「横山神社の馬頭観音立像」でした。
田圃に囲まれた森の中にある神社で、“観音の里ふるさとまつり”の赤いのぼり旗がなければ気づけない神社です。
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神社は社伝によると、推古天皇元年593年横山大明神が白馬に乗じて横山岳五銚子の杉の巨樹に光輪し、霊夢神告に従いその杉樹で神像を彫刻して奉祀したのが横山神社(本宮)の始りとされています。
957年になると、当時の神職が現在の場所に馬頭観音を移して奉安したとされます。
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小雨が降っていたこともあって、少し薄暗く怖い感じすらする参道を歩き一之鳥居を抜けると、6世紀頃に築造されたと考えられている「横山神社古墳」が祀られていました。
高月周辺にはこの横山神社古墳の他にも“兵主神社古墳・古保利古墳群・湧出山古墳・姫塚古墳”などが分布し、古墳時代に大きな勢力を持った豪族が存在したと考えられています。
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横山神社古墳は全長36mの前方後円墳で神社の境内にあることから、かつては祭祀などが行われていた場所と考えることが出来そうです。
高月の田園地帯を車で走行すると幾つかの古墳を見ることが出来ますが、人から聞いた話で“ある古墳では調査に入ると必ず事故が起こる”といった話がまことしやかに伝えられているということです。
まるでツタンカーメンの呪いのような伝説ですね。
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「馬頭観音」は社務所に安置されていて、横山神社に観音様が帰ってくるのは『観音の里ふるさとまつり』の当日だけだそうです。
通常は「高月観音の里 歴史民俗資料館」へ寄託されていて、まつりに合わせて当日帰ってきましたので、社務所内には観音様を包んでいた養生を開封したばかりといった状態でした。
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馬頭観音立像は像高約100cm、檜の一本造で平安時代後期の作といわれていますが、両肩より先・脇手・持物・両足先は全て後世の修理によるものだそうです。
観音様と名は付くものの明王のような憤怒の表情をした三面八臂の像で、高月町では唯一の馬頭観音だそうです。
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この神社では廃仏毀釈の影響は受けなかったのですか?と聞いてみると、湖北地方でも廃仏毀釈はあったが他の地域と比べるとやや緩く、横山大明神の本地仏として仏像は残ったとのことでした。
頭上の馬頭も後世の補修されてはいますが、やはり仏像は本来安置されていた場所で見るとありがたさが増します。
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ところで、なぜこの仏像が歴史民俗資料館に寄託されているか聞いてみると、“この寺院は田圃の中の森の中にあるため、セキュリティが悪く、何度も盗難に入られているので仏像の保護のため資料館に寄託している。”とのことでした。
昭和60年頃に盗難に入られた時には「薬師如来像」が盗まれたといい、現在は写真だけが寂しく厨子の中に祀られていました。
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湖北の某観音堂へ盗人が入った時に、気がついた村人が人を集めて取り押さえたという話を聞いたことがあります。
観念した盗人が居直り、着ていたシャツを脱いで上半身裸になって地面に座り込んだそうですが、その背中には...。
いずれにしても長年に渡って村人たちが信仰し続けてきた仏ですから、盗難するとは罰当たりな話です。
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