9歳になる姫に手作りの誕生カードと毎年プレゼントしている誕生祝いの本を届けるためである。
姫の父親が海外出張中のため、どうせなら宅配便屋も兼ね、訪問パーティー屋も開業してしまえといういうわけである。
土曜日曜と2日掛りの大誕生パーティーなのだ。
小学校3年生の9歳というのは3歳くらいで芽生えた自我というものがこの年頃あたりで一層の飛躍を遂げる時らしく、今までの少し甘えたような態度振る舞いから抜け出して、何事においても自分の主張・意思というようなものを持ち始める時期でもあるようだ。
大人への入り口にたどり着いたとも言えるのだろうか。
乳・幼児期から小学校低学年までに見せていたボクへの甘えやまとわりつきなんてものは、今年に入る頃から幻のごとく消え去ってしまっていて、今回などは逆に夕食が済んだ後などトランプでもして遊ぼうかなどと誘ってくる口調には、ちょっとは相手をしてあげなければ気の毒だな、というような気配りから発しているのではと思わせるようなところもあって、それはそれで驚かされもするのである。
既にいたわりの対象になってしまっているんだろうか。そんな気さえ起こさせるような雰囲気でもあるのだ。
当方の気分は複雑である。
ボクの場合は男だから女の子よりオクテだったはずだが、小学校の4年生ごろから両親の干渉が嫌になり始め、なかなか微妙な時期を過ごしたような記憶がある。
それが反抗期へと続いていくんだろうと思うのだが、祖父という位置付けのボクに対する態度も含め、何はともあれ幼児期とは完全にオサラバしてしまっているわけで、つくづく子や孫の成長の早さには驚かされる。
その一方で作用と反作用の法則に乗っ取ればわが身もまた不可逆的に衰えて言っているわけで、大宇宙の摂理のかなりはっきりした断層面を見せられてもいるんである。
そして、そういう僕の奥底の心情とは関わりなく、2歳になったばかりの妹君が姫に取って代わってボクにまとわりついてくるのだ。
かくして大宇宙の摂理を目の当たりに突きつけられたボクとしては姫に対して、ジイジという孫との蜜月のような結びつき関係から「祖父」としての存在へとアウフヘーベンさせねば、と思うのである。
足利学校への道すがら「佐野ラーメン」なるものを食して見る。鶏ガラの透き通ったスープの味はさっぱりとしたもので、懐かしい味といってよく、昨今流行の豚足ゴテゴテのものより好感が持てる。手打ちのやや太めの縮れ麺にも腰があってソコソコである
餃子も美味しかったけど、大ぶりで一皿食べると腹がいっぱいになってしまう
広い土地に大駐車場を備えた店はドライブインのようでもあるが、ラーメン屋なのだ。近所のじいさんばあさんや勤め人などが次から次へとやってきていた
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