ある方がこの写真をみて「怖い」と・・夕方の撮影が悪かったのかもしれません。確かに暗くなって、ここに来るのは多少^^勇気が必要かも(;^_^A。ここは「日の岬」で・・
クヌッセン機関長の胸像
1957年(昭和32年)2月、風速20mという厳冬の嵐が吹き荒れる日の岬灯台の沖で、日本船が火災を起こしました。それを発見したデンマーク人ヨハネス・クヌッセン機関長(当時39歳)は、嵐の中を接近し日本人船員を救助しようとしました。しかし、弱りきっていた日本人船員は厳冬の海に落ちてしまいました。クヌッセン機関長は船員を救助しようと、すぐさま自ら海に飛び込みました。しかし翌日、残念ながら日高町の海岸に、打ち上げられた水死体となって発見されました。このクヌッセン機関長の勇気をたたえ、日の岬の地に顕彰碑と胸像が建てられました。
クヌッセン機関長の胸像
1957年(昭和32年)2月、風速20mという厳冬の嵐が吹き荒れる日の岬灯台の沖で、日本船が火災を起こしました。それを発見したデンマーク人ヨハネス・クヌッセン機関長(当時39歳)は、嵐の中を接近し日本人船員を救助しようとしました。しかし、弱りきっていた日本人船員は厳冬の海に落ちてしまいました。クヌッセン機関長は船員を救助しようと、すぐさま自ら海に飛び込みました。しかし翌日、残念ながら日高町の海岸に、打ち上げられた水死体となって発見されました。このクヌッセン機関長の勇気をたたえ、日の岬の地に顕彰碑と胸像が建てられました。