死に寄り添う(中)~母の見送り 中勘助~
「臨死のまなざし」から教えられたこと(4)
妹を見送った中勘助は、23年後の昭和9年(数え50歳)に母(86歳)の死にあう。
「妹の死から二十幾年を経て・・・・私は母を失う悲しみに
くずれおれてしまいそう」になりながら、最後の息をつく母に語りかける勘助。(『脳のまなざし』60頁)
「夜。冷っこくなった母はこの世につくべき息の残りをしずかについている」(前掲書60頁)
臨終の前日「冷たい手を自分の温い手のあいだに挟んでたらなにかいいたい様子なので
耳をよせる。あした というだけがやっとききとれた。あした死ぬというのかもしれない」
ーのであった。(前掲書60頁)
勘助は、母の最後の言葉を聴き取るだけでなく
母の最後の「ひと息」を引き取るさまをしっかりとみつめていた。
勘助自身、「生まれつき虚弱」で「病身者」であったからこそ、
妹そして母の死に寄り添い、弱い生き物をひたすらみつめてきた。
母は老衰して命を終え、「母を失う悲しみくずれおれてしまいそう」と表現する
彼の言葉は胸に迫り、死に寄り添う姿に涙腺が緩んでしまった。
「臨死のまなざし」から教えられたこと(4)
妹を見送った中勘助は、23年後の昭和9年(数え50歳)に母(86歳)の死にあう。
「妹の死から二十幾年を経て・・・・私は母を失う悲しみに
くずれおれてしまいそう」になりながら、最後の息をつく母に語りかける勘助。(『脳のまなざし』60頁)
「夜。冷っこくなった母はこの世につくべき息の残りをしずかについている」(前掲書60頁)
臨終の前日「冷たい手を自分の温い手のあいだに挟んでたらなにかいいたい様子なので
耳をよせる。あした というだけがやっとききとれた。あした死ぬというのかもしれない」
ーのであった。(前掲書60頁)
勘助は、母の最後の言葉を聴き取るだけでなく
母の最後の「ひと息」を引き取るさまをしっかりとみつめていた。
勘助自身、「生まれつき虚弱」で「病身者」であったからこそ、
妹そして母の死に寄り添い、弱い生き物をひたすらみつめてきた。
母は老衰して命を終え、「母を失う悲しみくずれおれてしまいそう」と表現する
彼の言葉は胸に迫り、死に寄り添う姿に涙腺が緩んでしまった。
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