老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1338;「老い」そして「病み」、その先は・・・・

2019-12-31 15:11:39 | 生老病死
今年は故郷に帰省した 生まれ育った処から羊蹄山を懐かしむ
「老い」そして「病み」、その先は・・・・

平成31年から令和元年へ
平成元年から平成31年まで
介護にかかわり続けてきたが
まだまだ「介護とは」何であるか

自分にとり介護について
他者に語れるものはなく
30年介護を続け
介護実践の集大成は何もない。

多くの老人やその家族の出会い
死別による別離も多かった。
枕もとで合掌し
安らかな死顔を拝見させていただいた。

自分も同じく安らかな顔で眠りにつきたい、と
いつも思う。


「老人」という言葉は
印象が暗く嫌がられますが
自分は「老人」という言葉が好き
「老人」の「老」は
長年の人生の苦労を躰に背負い続け
躰は曲がり杖をつきながら生きている姿を連想する。

「老人」に代わり「高齢者」という言葉のほうが
確かに受ける印象はよいかもしれないが、
齢(とし)が嵩んだ人、という意味にとれますが、
そこには生きてきた老人の姿が感じられない。

でも呼び方は人それぞれで、反対するものではない。


そして「老い」てくると
人それぞれ違い健康な老人もいれば
ひとりで「病」を数多く抱えている老人もいる。
自分も介護保険法上では「老人」の範疇にあるけど
気持ち(こころ)は、まだまだ「青年」だと思い込んでいる。

そうは言っても今年は
病気が次から次から見つかり
「病」を抱え「病」と生きていくことを
改めて知らされた。

慢性腎不全が自分の病気の元であり、20年以上のつきあい
今年は大動脈弁不全閉塞症、血栓がわかり循環器内科の受診が増えた
非結核性抗酸菌症の「菌」もしぶとく、自分の躰のなかで生息している
その菌が内蔵または頭部に巣食う、と命が危ない、とされ医師より話されるも
まだ深刻には捉えていない自分

貧血症、骨粗鬆症もあり、転倒は自分も気をつけねばならない


颯爽と病棟内を動き回る医療スタッフの姿をみて
つくづく「健康っていいな~」と
入院していてつくづく実感した

自分には健康な躰は望めないけれど
「病」と仲良く生き
躰に少しでも異変を感じたら受診する

躰をいたわりながらも 気持ちが退化することなく
2020(令和2)年を生きていく

多くの人に助けられながら
在宅老人の生きる後ろ姿から
老い病み生きていくこと
そして死をみつめていきたい

それは自分のことでもあるから

ブログ訪問していただいた方々
本当にありがとうございました





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