老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

100;懐(かいきょう)郷

2017-05-15 01:48:08 | 老いびとの聲
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人は誰も心の中にふるさと(故郷)に想いを抱き、
ふるさとを懐かしむ(懐郷)。
実家に帰って「ふるさとはいいな」と思うのも1週間、
田舎の不便さが疎ましくなり、
都会に戻ると
「やっぱり都会はいいな」と思ってしまいます。
(何処の地も住んでみると、住めば都かな)

室生犀星の有名な『ふるさと』の詩

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれ
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


「ふるさとは遠きにありて思ふもの」、
そこには自分の帰るべき居場所はなく、
悲しく、
都会に帰る詩(うた)なのかもしれません。

私は北海道の地で
ニセコ連邦と羊蹄山(蝦夷富士)が眺望でき
貧農の長男として生まれたが、
度重なる冷害と
大黒柱父親の直腸癌により43歳で他界
田畑と家屋敷を人手に渡し、
帰る家を喪失してしまった。

犀星と同じく望郷の思いは絶ちがたくとも、
いま自分が生活している南陸奥で、 
老いと死に向かい合いながら生き続けています。
冠雪の那須連山と阿武隈川の冬景色は、
遠きふるさとに似ており、
春夏秋冬のはっきりした風景の移ろいは
心を癒してくれます

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