老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

104;心配症なのか 認知症の兆しなのか

2017-05-16 13:01:55 | 老いびとの聲
ご訪問いただき、ありがとうございます 

今日の朝も 
車のエンジンをかけ出ようとしたら
助手席にいた妻が
「玄関の鍵かけてきた?」と尋ねられると
どっちだっけ 
鍵をかけたはず と思いながらも
本当にかけたのかな と別の自分がささやく
不安が増し
車から降り
玄関の鍵を確認をする

鍵はしっかりとかけてあった

鍵は確かにかけたと
どうして思うことができないのか
カップラーメンの時間も経過していないのに
鍵をかけたかどうかを 忘れるなんて
怪しい

かけたかどうか 気になり
玄関に戻るのは 心配性 不安症

かけたかどうか 数分も経過していないのに
そのことを忘れていまった
認知症の兆し

意識することなく
ふわぁ~とした気持ちで鍵をかけているから
かけたかどうかもわからなくなる




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