おらの人生 空回り。 骨折り損…ですわ

しょうがないと諦めるしかないのか………

今、あるテレビで長野市での千曲川氾濫での被害報告………ある家の被害を見たけどさ………
家主さんがね、「しょうがない………みんな同じ………。でも、やるせないね………」って………分かるよ………その気持ち。
分かるよ………。涙が出るよ。泣けてくるよ。脱力感。不安………。

45年前、2月末………高校入試の2週間前………あっという間に、火の海。気づいた時には、茶の間は火の海、なにもできず外に飛び出し………あとは覚えていない。

全て失くなった。想い出のものも、教科書も………ただ残ったのが、不思議なことに仏壇とアルバムが全部残った。それだけ。
だから分かるよ…………夢であってと思うこと、信じられなくて………現実を認められなくて、だんだん悔しさが出てきて、どうしようもないとわかり始めると、自暴自棄になってきて………。

はははは、俺なんか県立高校も落ちて、そんなもん受験なんてうわのそら………。
で、落ちこぼれて私立高校へ………(田舎じゃ県立高校至上主義。私立なんか落ちこぼれの集まる掃き溜めなんだよ。)

今回の被害にあった家族に今年の受験を控えてる子供たちも沢山いるだろうな。

一言伝えておきたい。
負けるな! まだ時間がある。不幸をエネルギーにしろ!負けるな!負けるな!前を見ろ!明日をみて未来をみろ!また、君は負けた訳じゃない!

俺は、悔しさをエネルギーに変えれた。いった学校は、やくざ学校。(当時学校の8割は半端者、チンピラみたいな生徒とそれを抑えるために先生もやくざ化してるけど………でも、今は県内でも上位の進学高に大変身!堅気になったみたい。)
そんな中でも、なんとか大学は元国立一期校(一期二期の最後の受験に勝った。翌年からは共通一次だった。)に合格!
でもな………受験に費やした高校三年間は暗黒の青春時代。
ま、こういう学生は大学に入って………弾けて………あほになりやすい。ま、俺は(アホに)なっていたけ。で、今でも、ど阿呆!みたいだし。(笑)

ともかく、頑張れ!また笑えるときが必ず来るから!明日を信じろ!自分を信じろ!

伝えたぞ!

コメント一覧

もち豚
感謝ですね!
有難うございます。
ご謙遜はあるでしょうけど.....飾りのない窓際支店長様のお話.....共感するところばかりです。

私は、碌でもない高校から一浪して碌でもない大学に入りました。大学生活はアルバイト漬け(夏は軽井沢駅臨時職員、それ以外の季節はデパートの売り子・夜の守衛・道路公団のガードレール磨き・ブティックやカフェの店員等々)しながら一年中働き続けながら.....ナンパ(当時はこれが男の道)が本職(法学部法律学科ですから違法行為は一切していません。)でした。学校には卒業出来る程度に偶に行っていました。

でも、大学で学んだ事よりもアルバイトで学んだことの方が遙かに多かったです。それは「仕事は学歴や能力ではない!職場での人間関係と与えられた仕事は夢中になってやる!」ことでした。
4年間はあっという間に過ぎて、何とか卒業は出来ましたが、恐らく学力と成績は最下位でしたでしょう!!
卒業後もお江戸に住もうと考えていましたので、誰も行かないような会社の採用試験を受けて合格は決定していましたが.....親父から急に電話があり「何が何でも帰って来い!」と懇願されて、逆らいたかったけど.....何となく受け入れていまい、お江戸の小企業を蹴って田舎に戻りました。
しかし、その時期では田舎でさえ何処も採用してくれる会社も無く.....窓際さんと同じようにこの会社に中途採用があることを親父が聞いてきて何とか合格したという流れです。
結局、親父は翌年の4月に癌が発見され12月に手術を受け、その3日後にこの世を去りました。

窓際さんのおっしゃるとおり「人間は学歴とかではなく社会に出た時からその人の努力と姿勢が問われるものです。」ね!それを学生と言う身分の気楽なアルバイトで学びました。
学生時代はナンパばかりしていたので、田舎に戻って生活するならば旧友や親戚の手前、先ずは地に着いた生活をする形から示そうと思い、入社の翌年2月に今の妻と結婚しました。
そして、親父が死ぬ前に息子が結婚式を挙げることができ、孫の妊娠も知らせたことが出来ました。後に、親父の友人達に聞いたことですが「親父は友人達に孫が出来たと言い回って喜んでいた」ことを知り、こんな不良な息子でも、初めで最後の最高の親孝行ができたと安堵しました。

それからは、会社から与えられた仕事は本気になって一生懸命やり、法改正があればその全貌を「改正マニュアル」にまとめ、平社員の私が課員(課長を除く。)を集めて改正マニュアルを説明してきました。また、私が担当した業務は全てマニュアル作成して残してきました。
ただそれだけで、窓際さんと同じように支店長に任命されてしまい。次の世代にバトンタッチする役で精一杯やってきました。

今では幸せを実感できますが、本来ならば生まれた自覚を感じたときから今までずっと幸せを実感して、その幸せに感謝をしなければいけなかったのですね!!
「苦労の後に幸せがある」なんて嘘です。「苦労の後には苦労しかないのです!」それは何故かと言うと、真剣に集中して仕事をしているときは苦労なんか感じません、幸せな時間です。家に帰れば家族がいて、また幸せです。ずっと幸せです。
「幸せのあとに幸せがあるのです!」「苦労の後には苦労しかないのです!」そんなことが、最近、心に浮かぶ今日この頃です。

今の私は現役の時よりも、もっと忙しい日々です。真剣に集中することが山ほどあります。

人間は1人では生きていけません(山奥で自給自足していてもこの地球この自然が無ければ生きていけません。)全ての人が生きているいることに感謝をして....幸せを実感できるように願っています。
hetmh-asa627
ありがとうございます。
別に死んだわけでもないし……。火事も自宅一軒で終わり隣家に延焼してないので、まだ笑ってられますわ。
ま、火事がなかったら逆に今の自分は無いですね。普通に志望高校へ言っても、未来向けたエネルギーがなく目標も漠然としていたでしょうからね。同じ大学にはいれたか?といわれればきっとレベルの低い大学だったでしょう。

俺より成績の低い奴等が志望高校に受かって………合格間違いなしと言われて、自分もそう思って、親も学校も友達も思っていたのに、落ちた!というショックははかりれませんわ。
だからこそ、その高校に受かった奴等への猛烈な敵対心を心に秘めて受験戦争を闘いましたよ。同じ中学からその県立高校へ行った奴等………確か10人ほどいたけど、負けたのは東大と名古屋大へ行った二人だと思う。
ただ、受験に勝った、奴等にも堂々と胸を張って会えるという大学一年の春先の清々しい勝利者の気持ち………だけで 終わり、あとは怠惰な生活、目標のない生活に陥り、大学の偏差値落とすほどの体たらく(笑)
公務員試験は全て落ち、民間も全て落ち………就職浪人中に今の会社の中途採用に何とか合格したたいう流れですね。
俺は、高校受験でドン底に大学受験で勝ち上がり、そのあと体たらくで、大学は確かにレベルは低い同級生達がその後の努力で立派になっていますよ。
だから、人間は学歴とかではなく社会に出た時からその人の努力と姿勢が問われるんだと。大学に行くために努力してもそんなもん屁にもなりません。
社会のなかで自分の存在を活かす努力がその人の価値として問われるんですよね。
俺は未だ未だ努力が足りない。ただ少ない人数のなかでところてん式で支店長になってるけど、自分の実力には見合わないですよ。繋ぎ役として次の世代にバトンタッチするので精一杯です。
あと半年………そろそろバトンタッチの最終準備をしておきます。

あとはこっそり鉄道模型をチマチマつくって子供たちの笑顔を見るために頑張ります。
もち豚
偉いね!
窓際支店長さんには.....そんなに大変な経験があったのですね。
そんな素振りも見せずに.....窓際さんは元々天才ですが、その才能を開花させた色々な経験(学び)があって....それを乗り越えてきた....窓際さんは優しくて楽しくて偉い人なんですね!!
次に飲む時には、話を聞かせてください。
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