おらの人生 空回り。 骨折り損…ですわ

死とは何か?

永遠のテーマなんだが、母の死で、確実に言えることは それまで息をして酸素を入れて栄養を取り入れ活動していた細胞が順番に止まっていき、最後に血液を循環していた心臓が止まり、おそらく、数秒か数分は、細胞も動くのだろうけど、もはや栄養も酸素もいきわたらないので、生物学的に細胞の停止ということなのかな・・・

で、精神学的には、思考や認識がなくなり、それも加わり、活動が停止することなんだろうな。

さらに、魂という存在が活動している肉体から離れていくことなんだろうな・・

ま、よくわからんのですけど・・・

ただ、母が「死」を迎え、もはや呼びかけにも応じない、息をしていない体になっちまったという「悲しい状態」にいることは確かなんだろうね。

89年・・・父と結婚して70年、俺が56年、姉は68年の付き合いだった。姉の長男とは44年、うちの長男とは18年・・・ながーい間、やさしいおばーちゃんでした。

末っ子は、死んだと聞いたとき号泣し、納棺前の湯灌で、ばーちゃんの足を泣きながらやさしく洗ってやり、納棺のときは、遺体を持ち上げる役を積極的にやり、通夜の読経のさいにも葬儀の際にも泣きじゃくり、最後のお別れのときは必死にこらえていたけど、拾骨のときは、斎場の外で、だれにも見られないように隅っこにいって号泣・・・思わず抱きしめてやり、やさしい子になった、お前はばーちゃんにやさしい涙を流せるいい子に育ててもらった。ばーちゃんにありがとうやぞ・・・号泣するわが子を抱きしめて・・・いい子に育ててもらった母に感謝です。12年間ありがとうって、おばーちゃんに感謝しな!

こうして、年寄と同居することで、人の死を見つめ、老人とはこういうもんだと理解し・・それが情操教育にも役立つ・・・妻はつらいでしょうけど・・・子育てをするのなら、同居がいいよ・・・ま、家のこともあるので千差万別だけど、同居できる住環境、仕事環境なら、同居して子育てして、祖父祖母の死を見つめ、通夜葬儀を経験する・・・人生において絶対役に立つことだろうね・・・。

昔は、こうしてその家の歴史が、それぞれの集落の歴史が、人類の歴史が延々と続けられているんだろうね・・

こういうものは、最新や流行なんていらないんだろうな・・・いや、伝統を守ることが必要なんじゃないの? しんどいとか今時とかそんなこととは違う一つの文化として継続することが日本を守っていくことなんじゃないだろうか?

葬儀を終えて、そんな気がしました。
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