ま、俺が言うのもなんなんだんが、この前の長崎での高1少女の殺人事件や大津のいじめ自殺事件、古くはサカキバラ事件、過去の未成年の殺人事件なんだが、ま、簡単に言うと「親」ですわ。
「子」や「教育」じゃない、「親」と「しつけ」ですわ。「しつけ」というときついようなんだが、要するに『三つ子の魂百まで』・・・・・・・これが答えです。
ま、幸い家の子はまだぐれてもいないし挫折して人生諦めてもいない・・・
意識してしつけもしていない・・・でも、朝は”おはよう”、駅へ送っていけば”ありがとう”、帰宅すれば・・・”お帰り”…俺が言わないと、”ただいまは?”と逆にしつけされてますwwwww
ま、もう一つは、家に昭和、できれば終戦後間もない時期生まれたジーさんバーさんがいること。親子三世代同居は嫁が嫌がるだろうが、子供のことを思ったらそのほうがええ・・・。
ただし、これから先、じーさん、ばーさんになっていくのは、わがままで自分のことしか考えない、大きい声でいえば何でも要求が通るとしか思っていないいわゆる古き良き日本を知らない連中が多くなるので、はたして同居がいいか…それはわかりません。ま、簡単に言うと学校で道徳教育をちゃんと受けていた中年以上はええでしょう。
ところで、なんでこんなことを朝の早よからと思うだろうが、ネットニュースで長崎の例の殺人事件のサイトで「いのちの教育は子供だけでよいのか」とかいう見出しをみて、「は?親が一番なんじゃねぇ?そんなこと、わざわざ書かなきゃいけんの?根本的なとこなんで、親が当然わかっていることが世の中の常識でそれが前提なんだが・・・それが親からとは、情けなか~」と思ったんがきっかけです。
命は大事、何でも命がある、一寸の虫にも五分の魂、悪いことすれば地獄に落ちて・・・あー、こわ! とかいう話を小さいときから話してあげないと・・・。
それが宗教説話であったり地域の伝説であったり、妖怪の話であったり・・・。直接教えても理解できないことをお話で教える・・・日本のよき伝統なんだろうと思います。
それから、難しいのは「うちの子に限って」というけど・・・間違いなく子を信用するか否か…普段から子を観察して子を信用しているなら…うちの子に限ってと言っていいんだが、普段なーんも知らんのに、いざとなると そういう親も多くて…恥かく前によーく子を観察してチョーだいといいたいですな…。
ま、我が家では子よりも俺が信用されていないので…あー、おとうさんならやりかねんとか、うちの旦那?あー、何しとるか知らんとか、えー、そんなことしていたん?とか、今日は会議あるのないの?あるんやったら勝手に行って、そうそうごはん自分でしといてや・・・
ま、簡単に言うと、犬が家族のランクを付けるということなんだが、俺は・・・犬以下と、いうことなんだろうなwwwww (ノД`)・゜・。