通夜、通夜、葬儀、通夜とずーっと死にまつわる儀式を見ていたので、ついついお経とは何ぞやと考えてしまった。
死に至ると「枕経」を読み、通夜式でのお経に、葬儀のお経、斎場でのお経に初七日に・・・宗派によっていろいろと違うが、今回は浄土宗に浄土真宗本願寺派に浄土真宗大谷派とそれぞれ違ってました。おまけに神戸の叔父の場合には、新長田に再建されたお寺なんだが、通夜、葬儀、葬儀場から帰ってきて直ぐに初七日の法要をしてしまうんだが、その時の僧侶が違っていて、親族でびっくりだった。そのお寺に住職はいないので、どうも本願寺からその都度手の空いた者が来るような感じで、皆若くて、葬儀以外の僧侶は、ベテランではない・・・そりゃ読経聞けば分かりまっせ・・・抑揚や息継ぎや全然違いますわ・・・。
そんなことですが、お経を読んで成仏し極楽浄土に旅立つことを祈るのだろう・・そう思ってるんだが、反面、この世とのつながりを断ち切るための儀式であり、この世に彷徨わないで、ちゃんと極楽浄土に行けるよう導く装置というか乗り物みたいな感じですかね・・・。
叔父さんも丁寧に読経してくれた僧侶とお経の力で旅立ちました。合掌